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「わかりました」 口に手を置き、重大な決断を下したかのような顔で重々しく述べた。 鈴木は、満面の笑みを浮かべている。なんにせよ、とにかく彼は自分に迎合するようなことをいうだろうと思った。彼はいつも望む言葉を、答えを与えてくれた。 現朗と毒丸の不安げな表情がますます女を喜ばせる。 「そこまでご迷惑をおかけしたならば、話さないわけにはいきませんね」 その一挙一動が、いやと言うほど車内の緊迫感を高める。 低音なのによく通る声だ。 「これからのことは必ず口外なさらないようお願いします。 由美さんたちも宜しいですか?」 鈴木より奥にいる侍女四人に向かって問う。反駁があがるはずもなかった。 「実は、この度、零武隊の任務状況調査を進める予定があったのです。 皆様のクレームだけでは軍法会議は開けません。会議を開くには、どうにかして証拠となるものが必要なのです。 しかし予算との戦いがありまして、そんな酷いことはないだろうと決めてかかったのがそもそもの間違いでした」 その言葉は半分は事実で半分嘘だ。 たしかにクレームだけでは軍法会議の議題にはならない。が、少将以上の者が推薦すれば、クレームだけでも問題として取り上げることが可能だ。 日明が作った劇的な雰囲気で告白されるとまさにそれは真実味を帯びた言葉に聞こえなくもない。だが、蘭には、現朗と毒丸が何故こんなにもあっさり中将に騙されるのか不思議でたまらなかった。 周囲を見れば、中将の部下たちは全く乗っていないというのに。この状況を楽しんでいるのが、何故分からない? 部下の失態を目の当たりにするのは厭だった。しかし、日明が、二人にからくりを教えないよう、気迫だけで蘭を押してきている。 そうですわ、そうですわ、と相槌を打つ声が聞こえた。鈴木の口癖だ。 「本来ならば内偵をつけるべきでした。 恥ずかしながら、軍は今、大変人手不足でその余裕がないのです。予算も雀の涙で。このような不足の事態に対しては大変弱い」 「お酷いですわっ。 そのような方がおられれば、こんな悲惨な事件は起こらなかったのですよ。 今後は、必ず日明様が私たちの護衛をして下さいね」 内偵さえいりゃあこいつらの悪行三昧が聞けただろうよっ! と、苦々しく毒丸は思う。 「まったく。まったくその通りです。その通りでした。 今でも悔やまれます。 機械で内偵の代わりになるだろうと、事態を軽んじていたことがっっ!」 そうですわ、そうですわ。 と、決まり文句を繰り返して。 それから……世界が止まった。 鈴木は一瞬で全ての興奮が収まった。 氷で一杯の樽の水をいきなり胃にいれられるような、そんな気分だ。 夢現な状態から目が覚める劇的な変化によく似ていた。 「機械……ですって?」 この瞬間から、事態は彼女の予想していなかった不穏な方向へ動き始める。 「ええ。機械を使って証拠を集めることにしたのです。 大佐の体に、音声を記録する録音機器というものをつけました」 「ロクオンキキ?」 聞きなれない言葉に、繰り返す。 日明は胸ポケットから四角い黒い塊を取り出した。 三箇所スイッチを押す。 『大佐の体に、音声を記録する録音機器というものをつけました……ロクオンキキ?……』 全く同じ音が、再び聞こえた。自分の声が入っている以上、偽物でないことは間違いない。 侍女たちも酷くおどろいたようで、さざめきが上がる。 「最近軍で開発されたものです。 いくつか型がありまして、これは、機械内部に音を残すことの出来る携帯用録音機器です。彼女にとりつけたのは、集音端末と録音部分とを分けた型のものです。 日明大佐。後ろを向いて」 蘭がくるりと背を向けると、中将は無防備な彼女の髪に手をいれて髪の毛と同じようなそれを抜き出した。直径三ミリほどの一本の長い紐。 ほら、とそれを鈴木に見せる。 「ここ五日間の、彼女の言動、行動、彼女への発言は一切録音させております。これで言い逃れが出来ないでしょう。日明大佐も。 ……これで軍法会議が開けるわけです。 必ずや正当な判断が下されるでしょう」 自信満々の表情で意気揚揚と語る日明中将。 その顔の明るいこと。 真っ青に血の気の失われてくる鈴木たちとは対照的だ。 日明は鈴木を見ないで、怖い顔をして蘭に向き直った。 「日明大佐。 極秘内容を鈴木様に言ったことを告げても構いませんよ。会議でね。 その程度では貴女の悪行が消されるわけではない。軍法会議への対応は帝都にもどってからじっくりお話しましょう」 鈴木が、後ろからぐっと中将の服の裾を掴む。 「蘭大佐を、その軍法会議で……この証拠を使って?」 彼女が言えたのは、そんな、ぶつ切りの単語のような言葉だった。混乱して何を言えばいいのかわからなかったのだ。 だが、日明はそれを咎めることはせず滑らかな調子で言った。 「ええ。 元子様のおかげでようやく言い逃れの出来ない証拠を手に入れることができました。 零武隊へのクレームは山のようにあったのに、彼らを罰するに不十分で大変歯がゆい思いをしていたのです。これで鬼の首をとったようなものです。 救われました。ありがとうございます」 滔滔と言って、鈴木を言い包めようとする。その手を軽く取り、軽く口付けた。 だが鈴木の方はその甘い言葉に包まれるわけにはいかない。 自分がここ数日間蘭にしたことが、軍にばれたら。 頬の筋肉がひくひくと引き攣っている。対処方法が思いつかない。取り巻きたちも軍人らになんとか止めようと自分のお気に入りの者に進言しているが暖簾に腕押し、糠に釘の状態だ。 このどんでん返しがしたくて、彼らはずっと黙っていたのだ。 この状態で笑わないとはな。 一方、蘭は状況の流れを一切無視して中将の部下ばかりが気になっていた。精神的に相当鍛えられている。うちの隊員は感情を隠すことは苦手で、今でさえ毒丸が笑おうとしているのを必死に現朗が止めているようだ。 ……性格もかなり悪い。 と、彼らの評価に加えた。 「そ、それはいいことですが。 その、やはり……蘭大佐もいいところがありましてよ」 鈴木はせわしく瞳を動かしながら、なんとか、言葉をつなげた。 「いえ。今日の動きを見ても少々剣の腕に溺れすぎているきらいがあります。馬車の腕もよくありません。 先ほどのようなことを、他の軍人がいない場でしているとしたら、軍人として相応しいのか甚だ疑問を覚えます」 「で、ですが。奥方でしょう? 日明様の奥方なのでしたら、その私も深からぬ縁ですわ。 軍法会議に進言するなんて、出来ません。 彼女が一生懸命だということは知っておりますもの。日明様には話しやすいから、つい、少しくらいの礼儀だけで随分うるさくいってしまいましたわ」 蘭を許すことで、自分の優しさをアピールする。なかなか上手い手段だ。 日明は彼女の手に、再び口付けを落とす。 「元子様は大変お優しい方です。 それは分かりすぎるほど分かっております。 ……ありがとうございます。でも、この様なことに優しさは無用ですよ。私の妻ならば、それこそ許せません」 勘違いも甚だしく(と鈴木らだけには見えた)、日明は目を潤ませている。 彼女は中将から手を戻すと、無意識に口元に当てた。ぶるぶると振るえている。このままあの会話の全てを聞かれては、この男にどれだけ軽蔑されるだろう。それに、軍内部でいい笑い者だ。 「中将。一つお伺いしてよろしいでしょうか?」 蘭が、沈黙を破って口を開いた。 日明の気が膨れ上がる。 ……黙れ。言うな。黙っていろ。 そんな思念が直接頭の中に叩き込まれるような錯覚を覚える。 「どうぞ」 と、彼は内心とは間逆の言葉を言った。 「私の素行調査について、先に鈴木様にお話していなかったのですか?」 「……ええ。極秘裏に進められましたからね」 「それでは、鈴木様は何も知らずに、軍に無防備にも帝に関する情報を漏らしてしまったことになる」 「成る程。 ……で? なにかそれが?」 わかっているのに、彼はあえて言わなかった。 妻にチャンスを与えようとした。 最後の、戻る機会を。 この劇を蘭の快勝で幕を閉ざすための、機会を。 「鈴木様に先に承諾を入れていない以上、私はその録音とやらを軍に聞かせるわけにはゆきませぬ。 帝に関する情報は絶対漏らさせるな。それが今回の任務の一つです」 だが、勿論、蘭はそんな機会をひねり潰す。そんなもの必要ない。 この女に勝つか負けるかなど、どうでもいい。 「多少ならば軍に漏れてもかまわないのでは?」 中将の部下が余計な茶々入れをするのを、蘭が睨んで黙殺する。日明は困った顔を作って、鈴木に向き直った。 「……元子様。 もしや、帝のお話をしましたか?」 「え、ええ。その、まさか録音などと……知らなくて」 「その正確な日時はおわかりになりますか? その部分だけなんとか処分することも可能ですが……」 鈴木はぶるぶると横に振る。軍人は目に見えて肩を落とした。 「分かりました。 引継ぎは完了した。 零武隊は最奥の車両で待機せよ。この件については……追って連絡する」 「不問、だろうな?」 蘭は嫌味っぽく尋ねる。 「……証拠がないならば、ね」 日明は、妻を殺気篭る目で睨めつけた。 |
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