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大股で女に向かって、その細腰を抱きあげる。ぎゃ、と声があがった。逃げなかったのではなく逃げられなかったのだ。 もはや、蘭の独壇場だった。 そのまま廊下に出て、庭を横切って本館へ向かう。侍女らの使えている部屋は確か二階のはずだ。行ってみると、すでに四人とも起きて帰り支度を始めていた。 自分の主人が寝巻きのまま小脇に抱えられてやって来れば、驚かない者はいない。口をぱくぱくさせて声をあげられないでいる娘たちに、蘭は一喝した。 「今すぐ出発する。 荷物は全てそのまま置いていけ。 これ以上主人を辱めたくないならば、さっさと服を持ってついて来い」 顔をあわせ、誰も動こうとはしない。 にやり、と厭らしく軍人の口元が歪んだ。 「まだ五時半とはいえそろそろ人が来ますよ? 鈴木様」 脅迫で人を動かすのは大の得意だ。 腕の中の女の顔が朱に染まった。 寝間着などみっともなくて人前に出る格好ではない。 しかも髪もとかしていないし化粧もしていないのだ。 「私の服と化粧を。 急ぎなさいっ」 主の命令があれば、侍女たちは理由も聞かずすぐに動き出した。蘭は最後まで侍女たちを待つことはしないで先に歩き出した。 道すがら降ろしなさい、とか、直訴しますよ、とか色々脅してみるがさっぱり効果はない。いくら暴れても鉄のような腕に阻まれて動けるわけがない。 旅館には備え付けの馬車があった。六人乗りのそれをすぐに用意させ、旅館の男に自分の部隊に一枚の切れ端の伝言を頼んだ。 『全ての荷物を一つ残らず汽車に運んで来い。出発時刻は予定通りとする』 馬車の中に護衛対象を入れて待っていると、数分遅れで侍女たちが乗り込んできた。鈴木は自分の仲間が来たことに安堵し、服を引き取ると、めそめそと泣き出して蘭の悪行を侍女たちに言い始めた。 一方蘭は、御者台にいた。 娘らが全員入ったのを確認して、手綱を大きく振るって走りだす。実のところ馬の使いは下手な方だが、今の時間ならば道に人もいないし大変でもないだろう。とんでもない揺れに中の女たちの悲鳴があがった。 ああ、やっぱりこういう任務はいい。 部下を叱らなくてはならないのは分かっているのに―――分かっているのに―――どこかひどく感謝している自分がいる。 流れる風を肌で感じながら、この四日間消えなかったしこりのような感情が洗い流されていく。虚ろだった瞳に血が通って、視界が明るくなった。 悲鳴、車輪の轟音、蹄の音。そのどれもがこの場に相応しい。 今から刀を振り、多くの敵(部下)を倒すのだ。それを考えるだけで恍惚としてくる。 馬を景気よく走らせながら、蘭は興奮を抑えるのに必死だった。 昂ぶる神経とは反対に、妙に冷静な脳内には地図が浮かんでいた。旅館と現在地、そして駅を含めた三つの点と全てのルートを思い描く。旅館から駅までは、馬車で十分程度の距離だ。その間無数のルートがあるが、どのルートを通ったとしても必ず同じ橋を通らなければならない。 現朗はそこに仕掛けているだろう。間違いなく。 大きく迂回しながら橋の元まで来た。本来ならば旅館と橋とは大通りでつながっているのだが、待ち伏せを危惧して川沿いの道から橋に到着するルートを選んだ。 乱暴な運転で、乗客は勿論馬まで悲壮な顔をしている。 後百メートル。 異常は、何もない。 もしかして……現朗よりも早くいけたのか。それとも、別の地点で仕掛けるつもりか。 僅かな期待が胸を過ぎる。 がずぅぅんっ――― その目の前で、橋の中央部で爆破が起きた。 「……やりやがったな」 橋が、落ちるほどの大規模ではないが、それでも修理ができるまで通行は出来ない。 いわば、この都市の交通網そのものを破壊したようなものだ。 渡れない程の川ではないが、こちら側からは荷物などを運ぶことができない。まさかここまで豪快にするとは、考えていなかった。 確かに一番確実な手段だろうが――― あの修復費用は誰が負担するのだっ! 軍の予算は下りんぞっ。 下ろさんぞっっ! 手綱を引き、馬を止めた。 中にいた女たちにも流石に轟音が聞こえたようで、窓にへばりついて橋を見ていた。 と。橋から数十人、こちらに向かって来るのが見える。全身黒尽くめの衣装で一応顔はわからないが、その身のこなしで誰と尋ねるほうが間違っている。 馬を返そうとすると、後ろからも、なお黒衣装が現れた。白刃をきらめかせて、馬車を囲う。 ルートがばれていたか。 二十……いや、もっといるな。 連れてきた隊員は四十人程。となると半分以上が現朗側についたことになる。潜んでいた刺客の服をそのまま借りたようで、彼らが近寄るだけで血の臭いが漂ってきた。 蘭も刀を抜き、そしてくるりと身を翻して馬車の屋根に飛び乗る。屋根の上仁王立ちになって、周囲を見回した。案の定、近隣の民家の屋根には二人の狙撃手。腰に持っていた鉄球を投げつけて二人を転げ落とす。暗殺には狙撃が基本だ。 右側は川。 前後には自分の部下。 馬は怯えて、走りそうにはない。 「くそっ」 すたん、と地面に降りて一直線に敵に向かう。まずは退却ルートの確保だ。 一番先頭を走っていた男を鞘で投げ飛ばした。 毒丸だ。彼の間合は広いので、早く仕留めておく必要がある。 「日明様っ。助けてぇっ」 と、甲高い声が聞こえて蘭が振り返った。 後ろの馬車から、女が下りようとしている。 「馬鹿っ、何をしているっ!?」 そこを一斉に矢が降りかかってきた。民家に潜んでいた者たちが弓を用意していたのだ。 開いた扉を狙った。 蘭が走って、女ごと地面に転がる。馬車に何本か矢が入った。耳をつんざくような声が、唱和した。 どうやら完全に蘭の来る道筋はばれていたらしい。待ち伏せされた。 次の瞬間、立ち上がってすぐに扉を閉め、そしていまだ立てないでいる女の前に立ち塞がった。 「貴様。 死にたくないならば、頭を上げるなっ」 自分が指令ならば。 この馬車の者を殺せばいいのならば。 ―――火を使う。 頭の中で理解するよりも早く、火のついた矢が嵐のように降ってきた。蘭は火の部分だけを正確に刀で切り落とす。一本も逃さなかったが、馬が、火に怯えて暴れ始めた。馬車ががたがたと変な音をたてる。ぶるるっ、ぶるるっと馬が互いに危険信号をかわしている。 ……まずい。 顔に焦りが浮かぶ。 さらに火の矢が迫ってくる。 馬が暴走したら、馬車が土手から落ちてしまう。この高さなら無傷ではすまないし、下手したら……。 暴走させる前に、殺すしかない。 決意を決めた顔で、蘭が馬を見上げた瞬間。 「はいはい。どうどう」 そこには。 見慣れた顔があった。御者台に。 逆光でよく見えなかったが、聞き馴染んだ声は間違いない。蘭は戦いの最中にもかかわらず、時が止まったような不思議な感覚を覚えた。 |
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