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 ・・・  波瀾万丈7  ・・・ 


 日を追うごとに零武隊の雰囲気は悪くなり、五日目になると、朝から誰も喋ろうとはしなかった。
 蘭に対する鈴木女史とその侍女たちの嫌がらせは悪辣を極めた。軍人への雑言、予定変更、無断外出無断乱入は勿論のこと、行く先々で零武隊の悪口を聞こえるように言いふらし、ことあるごとに食って掛かる。今までの護衛対象の中で、ここまで酷かった人間はそういない。零武隊的最低任務のワーストスリーに確実に入る。正直な気分としては暗殺者側を応援したいし、侍女の一人や二人殺してもらえれば拍手喝采しそうな勢いなのだが、悲しいかな、身についた習性で怪しい人物は必ず撃退してしまう。
 傷害事件が三件くらい起きていてもおかしくない緊張状態だったが、元帥府の条件を守るために皆必死で堪えた。あの我侭で自由奔放の大佐が率先して守ろうとしているのを見ていると、部下である自分たちが壊すわけにはいかない。
 今日は朝八時半発の汽車に乗り、帝都に上る。それで任務は終了だ。
 護衛任務だけをみれば、おおむね順調なのだろう。予告はあったが怪しい人物は大事になる前に撃退しているし、一般人とも揉め事を起こしてはいない。護衛対象は自分が襲撃されていることすら知らない。唯一の予定外といえば、昨夜夜更けになって爆が体調を崩して戻っていってしまったくらいだ。
「……で。どうする? 八つ裂きにして犬に食わせるなんて面白味ないよな。大川にでも晒す?」
「生き地獄味あわせてからの方がいいんじゃね?」
「それじゃあうちだってばれる確率上がるじゃねえか。殺した後の死体で我慢しておけって。中将の強さはもうわかっているだろー? 侮ったらまじ殺られる」
「俺も混ぜろよー」
時折交わされるのは物騒な会話ばかりだ。炎が一睨みして、無理矢理止めさせる。爆は彼に、戻る前に重々言っておいた。絶対に、条件を守り通してくれ、と。 不穏な会話を止めるのがいつの間にか彼の役目になっていた。
 その後ろで、今までソファに転がっていた男がぐっと身を起こした。
「さ・て・と。行きますか」
愛用の鞭を持ってわざとらしく声を張り上げる毒丸。
 五時。朝の報告に行く時間だ。用意してあった着替えと弁当を手に取る。
 この五日間で鈴木本人に会っていなかったのは毒丸一人だったので、爆の伝令役の代わりは彼に任命された。
「がんばれ。くれぐれも何もするなよ」
炎が、冷たい声で優しい言葉をかける。アイアイさーと軽く毒丸はうけながした。
 現朗と鉄男が無言で後ろからついてきた。二人は止め役だ。
 先輩たちの話を聞く限りでは、毒丸は正直自分を抑える自信がない。鉄男がいてくれれば少し安心できる。
 美しい庭園を横切って離れまで来た。まだ、人の動きは無い。静かなものだ。
 足音を殺し離れにあがる。
 いつもの廊下に、彼女の姿がなかった。
 一応部屋の中で警護するのだが、朝の報告の時は廊下に出ていてくれる。不審に思いながら控えめにノックをすると、蘭の声が扉越しに返ってきた。
「……報告しろ」
「昨夜隠れていた数人を排除しました。
 取り押さえることはできませんでした。やはり予想通り帰りの汽車までの間に襲撃が予想されます」
「爆と他に誰が帰った?」
「爆だけが一人で戻りました」
「了解した。
 こちらは手が離せないので、服と食事をその場においておけ。
 予定通り七時になったら先行隊を駅に向けて出発させろ。先行隊には、地元警察には連絡してあるから存分にやってかまわんと伝えておけ。
 ……伝えるまでもないな。
 現朗頼んだぞ。銃はいいが、民間に被害をあまり出すなよ」
何も言っていないのに、現朗がその場にいることを確信して上官は命令した。
「拝承しました」
現朗の返事を聞いて、蘭は満足げに微笑んだ。
 実は。
 彼女は、とんでもない格好をして扉を背に部屋の中にいたのである。
 一糸纏わぬ姿に、靴を履き、刀だけを持っている。
 朝の寒さに鳥肌が立った。
 服を脱がされたのは、まことに下らない理由だ。鈴木が深夜ヒステリーを起こして、服を脱げと迫ったのだ。
 この四日間、このヒステリーだけは相手に出来ないことがよくわかった。侍女らですらその状態になると部屋からこそこそと退散する。一応精神安定剤を服用しているらしいのだが、長期出張のためにそれが上手く効かないのだ。しかも昨日は相当酒を飲んでしまっていた。
 相手にするのがほとほと疲れていた蘭は、まあ女に見せるくらいなら夫も何も言わないだろうと半分眠った頭で考えて、さっさと脱いだらいきなり服を燃やされた。流石にその行動の早さには唖然とした。が、それでもぐっすり眠ってくれたので安堵して護衛に集中できた。
 いつまで経っても立ち去ろうとする気配がない廊下に、促すように扉を蹴りつける。
 その音が、まずかった。
 寝室で護衛対象が起きて、こちらに近寄ってくる気配がする。
「あら。
 ……まあ。そんな格好、本当になさっていたの?」
と寝ぼけ半分の声。
「おはようございます。どうぞ今日も宜しくお願いいたします」
乾いた声で返事をしてみる。
 その気を抜いた隙に、扉が開かれた。
 開いたのは鉄男だった。後ろには毒丸と現朗が控えていた。
 蘭は仰天し、気が遠のくのを感じる。
「……大佐」
毒丸の声が、震えていた。
「服を貸せ。そして戻れ」
「あら。
 ……そうね。二時間貸してあげるわ。お若い恋人と好きに戯れなさい。
 四日間、よく堪えられたわね。ご褒美よ」
鈴木がいつものように揶揄した。

 これか。これが皆がいっていた……悪女か。

 毒丸が壮絶な瞳で睨む。鉄男は彼の前にぬっと腕を差し出すと、動かぬように無言で合図をした。
 様々な感情が入り乱れて、黒髪は身が動かない。
 ―――が。
 刀を抜いたのは、現朗だった。

 こんな辱めを、許せるわけがない。

 鉄男は遅れて彼を止めようとするが、間に合わなかった。
 鈴木は一瞬本気で驚いた。
 金髪の動きに気づいていたのは、蘭一人だ。
「馬鹿者っ!」
その格好でも全く気にせず、半歩間合をつめて、いつもの動きで現朗に後ろ回し蹴りをかます。怒りで我を忘れ、動きが直線的な現朗に蹴りは狙い通り当たった。手元に激痛が走り、刀が落ちる。
 数歩たたら踏む現朗を、蘭は続けて鞘で下あごを打ちつけた。
 綺麗な半円を描いて飛ぶ。
 後ろの毒丸ごと廊下に転がった。
 あまりに見事な動きで動けない鉄男の手から、服をひったくって、扉を荒々しく閉める。
 ばたん。
 視界と空間とがさえぎられて、ようやく、鈴木は意識が明瞭になった。
 刀を護衛に抜かれた。
 そのことが理解できた。
「……今、私を殺そうとしましたっ。ねえ、そうでしょうっ!
 あ、あ、あなたの部下ですわ。どう責任をとるおつもりっ? 襲撃なんてなかったのに、あなたのせいで危険になりましたわっ」
「何かの見間違いでしょう」
上着を着ながら、しれっと言い返す。
 あの程度で済むなら、話は早いのだ。
 現朗の逆鱗を撫でした以上、あの部下は必ずこの女を殺しに来る。しかも零武隊のいくらかは彼に味方をする。手の内の知られた作戦では対応できない。
「見間違いですって!? 戯言もいいところっ。貴女の部隊は役立たずのくせに、迷惑ばかりおかけになるのね。最低だわ。
 貴女もっ、なんでずっと部屋の中にいるのですっ!? 汚らわしい。人殺しで不浄な者がいるだけでここまで汚れてくるわっ。
 そんな格好で、大股を開くなんてっ。
 恥知らずもいいところっ。女じゃないわっ」
下着がないのはしかたないか、と蘭は思いながらそのまま下の服を穿く。軍靴にズボンの裾をいれ、腰に帯刀すれば完成だ。
「恥などとうに捨てている」
珍しく蘭が応えた。袖の釦を留めながら、まるで何事でもないように。
 服と普段の調子が戻って、護衛対象を睨みつけた。
 殺気を隠さなかった。
 たじろいで、半歩鈴木が後退さる。
「私の部隊に関する非難は全て軍にお伝え下さい。今のこともお好きに話されればよい。
 今は時間がない。汽車に向かうまでに間違いなく襲撃がある。それも、相当な手練だ。私は全身でこれから貴女がたをお守りしなくてはならない。
 貴女と貴女のお仕えする者だけ出発の予定を早め、今すぐここを発つ。朝食は汽車で食べる。荷物や服は後から部下に持ってこさせよう」
「……め、命令など、私がきくと……」
最後の意地を振り絞って彼女が抵抗を試みる。

「貴女の安全が第一の使命であり任務だ。
 私には貴女方の感情など知ったことではない。
 聞いて頂けないならば、聞いて頂けるようにするまで」