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 ・・・  波瀾万丈6  ・・・ 


 その通信が来たのは、侍女らと共に部屋で最後の夕食を食べているときだった。今夜は食事の相手が無かったので鈴木は部屋で酒宴を開いたのだ。
「大佐。元帥府より直通のお電話がありました。お急ぎ下さい」
爆にいわれて、蘭は眉をひそめる。一週間未満の護衛に元帥府から通信が来るなど、どう考えても良い内容ではない。
 何か事件でなければいいが……。
 不安を抱きながら、座卓に向かう。五人は向かってくる軍人に冷たい視線を浴びせた。
「護衛の任を代わります」
「……一刻以内に戻りなさい」
内容は聞こえていたので、鈴木は特に何も言わずに許可した。蘭は礼すらすらせずにくるりと踵を返す。
 ここ四日間、蘭は一時も側近護衛の交換が許されなかった。
 表向きは彼女が女性であることを理由にして、本心は彼女が隊員と会うのを妨害するために。昼の間は廊下に待機させることになっていたが、それも止めて、四六時中部屋の中にいさせることにした。
 おかげで彼女はここ四日間まともに休みも食事もとっていない。護衛対象の前で食事が出来ないからだ。
 それでも蘭は疲れた様子は一切見えなかったし、まあ、実のところ大したことではない。冬山二週間を一人で過ごしたことだってある。家の布団の上で満足に寝る方が、実際のところ落ち着かない。
「元帥府を通して、日明中将からのようです」
伝令係の爆は、上官が横を通り過ぎる瞬間囁くように言った。爆は護衛対象に言うべき内容と、そうで無い内容をきちんと区別して上手く使い分ける。
 中将が?
 その内容は驚きで思わず足が止まった。中将に仕事絡みで連絡されることは初めてだ。
 蘭が出て行った後、爆はすっくと背筋を伸ばし後ろに手を組んだ姿勢をとって動かなくなった。近くにいるのに幽かにしか感じられない気配。暗殺には役に立つ技量だったが、この女たちの前では無意味だ。
 食事の済んだ腰元が、跳ねる様に彼の元にやってきて、その手を引いた。
 ここ四日間、爆は伝令係を任せられていた。伝言や命令を届け、今回のように短時間ながら身辺警護を請け負う。ゆえに、侍女たちともすっかり顔見知りだった。
 蘭に対するような嫌がらせはされたことはなく、こちらもあえて炎のように敵視することはない。なんとも言えない微妙な関係だ。
「お酒、飲まない? 軍人さん」
だが、話しかけられたのは初めてだった。酒がはいって普段よりも高いテンションになったのだろう。
「申し訳ない。今は、仕事中で」
「あらこんな美人の酒を断るなんて、無粋ね。
 貴方もあの雌犬がいいのかしら?」
無視したが、しつこくまとわりつく。酒の息がかかって気分が悪い。第一級の女なのに、何故だろう、かつてないほど嫌悪感を覚えて鳥肌が立った。

 駄目だ。今は、何も思うな。今だけは……

 心に幾度も言い聞かせて荒れ狂う心を宥めた。
「……ねえあの雌犬のこと教えてよ。
 嫌じゃないの? あんなものごときに使われるのが。すぐ蹴ったりするし。暴力的で短絡的、ヒステリー持ちよ、きっと」
鈴を転がすような声で囁き続ける。
 爆が無言なのを、彼女は好意的に解釈した。もしかしたら、あの女軍人は部隊内でも嫌われているのかもしれない。この男は私たちに味方するかもしれない。そう思った。
「まったく、何人いれば満足するのかしら。ねえ。男に体を売って、そして操るなんて最低よね。
 お電話なんていって何をしているかわかったものじゃないわ。
 あなた、まだ深い関係じゃないみたいね。だからこの部屋の護衛をまかされるんじゃない? ……残念ね」
他の腰元が宥めに来る。彼女の言っている内容が少し聞こえたのだ。いくら酔っているとはいえ、妙齢の女性の口にする話題ではない。
 だが、若い娘はなかなか戻ろうとしない。気になっていたのだ。この軍人が。
 雌犬とは、彼女らの中で流行している隠語だ。
「あの女、貴方以外の殆どと深い関係みたいよ。あの黒い髪の奴とか、赤い奴とか……ね」

 激と炎が? ありえなさすぎて笑いも起きはしない。
 彼らの抱いているのは純粋な尊敬だけだ。力に、作戦の指示に、技量に対する信頼と尊敬。だから従っている。
 ……俺とは違う。

 彼女は言いたいだけ言って、にこりと笑ってきた。
 そうでしょう? そう、思っているのでしょう? 秘密にしてあげるわ、だから頷きなさい。
 無邪気な視線が問い詰めてくる。もう一人の女が後ろで引くのを完全に無視していた。

 無言でいればいなくなると思っていたが、どうやら、この相手は底抜けの馬鹿らしい。
 大佐。
 ……申し訳ない。俺は、同じように馬鹿で……お役に立てない。

 ふう、と爆は大仰にため息をついた。
 一瞬、彼女は嬉しそうな顔を見せる。
 が、爆の無表情を見た途端、彼女は自分の考えが間違っていたことに気がついた。
「下司張った女だな。これが天下の御皇族お付の者とは、冗談でも笑えぬ。
 お前たちの方こそ、欲求不満というやつなのか? いつも中将に何をして頂いている? 日明中将のところの男たちはいいらしいな。それはそれは残念だったろう。
 今からでも相手できる男を見繕ってやろうか?
 ……我部隊には、貴様のような下種を相手に出来る者は一人もおらん」
女は目を見開いてとまった。もう一人の腰元も硬直している。爆の声は低音で部屋の奥にいる鈴木たちには聞こえなかった。
 娘が離さない裾を、腕ごとを振って振りほどく。
「……上官が上官なら、部下も部下ねっ!」
ようやく、彼女の怒りが言葉になった。
 それは爆も同じ台詞だ。
 扉が、開かれた。着替えた蘭が入ってくる。顔は少し緊張が緩んでいた。
 ……いい知らせがあったのだろうか?
 蘭は蘭で、入った途端なんともいえない表情で腰元らに睨まれて、どうした、と部下に目で尋ねる。爆は目を伏せながら首を振った。
「なんでもありません。
 何か?」
「いや。ご苦労だった」
律儀に敬礼をして、爆が出て行こうとして―――
「大佐」
足を止めて振り返った。
 蘭は定位置について、爆に向き直る。
「体調が優れないので一足先に戻ります。
 ……宜しいでしょうか?」
思いがけぬ言葉だった。上官が本気で驚いているのがわかった。一番見たくない表情で、爆は視線を逸らした。
 爆に抜けられるのは、正直厳しいことだ。
 彼がいれば炎が落ち着くし、いざとなったときに炎に歯止めを掛けられる唯一の人物だ。
 それ以上にも、忍耐力は部隊で一番ある。
 冷静な判断やいつでも大局を見失わない視野がある。
 伝令係を頼んだのは、彼にしか、頼めなかったからだ。
 蘭は暫く呆然としていたが、ぐっと、眉根が寄った。
「……あと一日だがどうにか……」
言おうとして、目を閉じた。
 考え直すために。心を落ち着かせるために。

 彼は全てをわかって、それでもなお無理だといった。
 その判断に文句をつけるべきではない。

「…………。
 了解した。
 他の隊員についていきたい者がいれば彼らも返していい」
目を閉じたままいつもの口調でいった。
 任務遂行の妨げになる者は先に帝都に戻れ、と、口をすっぱくしていっていたのに、何故だか、胸にぽっかりと穴が開いたような、虚無感に襲われる。
 任務に、集中しろ。
 金科玉条の言葉をかみ締めながら再び護衛を始めた。