1
2
3
4
5
6
7
8
9
10 11 12 13 14 15 |
||
挑発的な目で女が睨むのがわかった。 部屋に入った瞬間は優しそうだった、手弱女。 それが、蘭が近づいて跪いた一瞬で表情を変えた。 気づいていしまったがゆえに、取り繕うのに骨が折れた。気を抜けば自分の心情が伝わってしまう。侮蔑という感情は、案外簡単に露呈するものだ。 「この度護衛を仕りました零武隊隊長、日明蘭と申します。 どうぞ宜しくお願いいたします」 片足を跪き、頭を下げる。皇族に対する、初対面の挨拶の基本をとって蘭は低音な声で言った。 一方女は、座ったまま、扇で仰ぐ手を止めないで薄く笑っていた。 日明、その名前には覚えがある。 いや。そもそも名前を聞かなくても、軍で女性というのは一人しかいない。 この女だ。これがあの女なのだ。 「……まさか、貴女。 日明様の妻じゃなくって?」 「はい」 分かりきったことを尋ねると、予想通り肯定の返事が戻ってきた。 当然といったその口調。 それが無性に腹が立つ。 値踏みするような目で蘭の全身を見下ろした。 肩幅の広い、がっしりとした体格。女らしさは微塵もない顔。そして白い体に似合った男らしい軍服。 身も心も常に着飾った自分とは、比べるまでもない。そう思って怒りを収め、冷静さを取り戻す。 「まあ。日明様もお可哀想に」 馬鹿にした調子を隠さない声を聞きながら、赤い絨毯を見つめて蘭はこっそりため息をついた。 今回の護衛対象は鈴木 元子という女性で、噂だけは知っていた。齢廿九、外国語も堪能で、容姿も申し分ない。帝の姻族の妹君で、皇族関係者の中でも評判が良い。 皇族関係者は、御殿から出るときに必ず軍の護衛をつけるきまりになっている。彼女は地方国技場の完成を祝う催事に特別出席することになり、四泊五日の予定で信州まで旅行することになった。本来護衛任務は日明中将の部隊の役目なのだが、運悪く帝の行幸中に重なってしまい、軍内二位の実技力を持つ蘭にお鉢が回ってきたのである。 護衛任務。 普段異形の者や危険な任務ばかり相手にする零武隊にとっては役不足のようにもみえるが、実はそうではない。任務完遂率百パーセントを誇るこの部隊にとって、護衛任務こそが最高難易度任務だ。 原因は二つある。 一つは、一般常識が隊長以下全員にないことだ。一般人だろうが知り合いだろうが己の前にいる人間は邪魔だと蹴散らし、口より先に手を出すのが当たり前の隊長。クレームがきても「え? 捻挫して失神しただけ? それなら運がよかったじゃありませんか。骨折以上の怪我になったら電話下さいよ」と爽やかに処理する部下たち。普段から零にする癖があるので容赦も遠慮もせず、やたら護衛対象やその周囲と衝突を起こし、それが間違いなく暴行・傷害事件に発展してしまう。 そしてもう一つの原因は、普段護衛を担う日明中将のせいだった。 蘭の夫、日明はやたら女性に好かれる。彼の護衛を受けた女性は例外なくいい感情を抱いてしまい、そして困ったことに、それが蘭への嫉妬に変わった。 剣の実力や容姿のせいもあるが、おそらくそれだけではないだろう。物腰柔らかな口調、丁寧で親切な態度、どんな者に対しても敬愛を払って接する態度が女性の心を非常にくすぐってしまうらしい。 護衛任務に就くようになってから、蘭は一つ得がたい教訓を得た。 ―――女の嫉妬は、恐ろしい。 彼女たちは、自分が狙われていることも省みず無鉄砲にも嫌がらせをかましてくる。そこに理屈もへったくれもあったものではない。 嫌味を言うとか物を投げつけるとかは序の口で、急な予定変更をしたり混雑の激しい所に無断で行ったりして護衛妨害はするし、風評を貶めようと色々言い触らすし、いちいち軍法会議にかけろと訴えてくる。酷い者になると、自作自演で誘拐騒ぎを起こしたこともあった。 そもそも、いくら努力したとしてもこれ以上零武隊の風評と評価を貶めることは不可能だということに、彼女らが全く気づかないから厄介だ。気づかないから止めない。蘭がいくらそのような話は相手にされないと進言しても、聞こうとしない。 しかも、尊敬する上官が無意味に苛められると、(普段は苛められているのに)隊員たちはなんと護衛対象自体を撃ち殺そうとし始めるから事態がややこしくなる。 勿論蘭も、護衛任務を引き受けないように努力しないわけではない。だが、嫌われ者の彼女が困るというのは一部の上層部にはこれ以上ないほど面白いことなので、日明が護衛をできないときは必ず、どれだけ嫌味や文句を言われようと零武隊を派遣させた。 だが、塵も積もれば山となり、クレームも積もればお堅い元帥府をも動かす力となった。零武隊隊員による暴行、傷害、殺人未遂等の膨大なクレームのため、到頭、元帥府は今回の護衛に条件を出したのである。 護衛対象とその周辺人物に一切零武隊が暴行を加えなかったら、護衛任務は以後他の部隊に任せる。 言い換えればこうだろう。 最後の一回くらいまともにやってみろ。 |
||
|