10 11 12 13 14 15
 ・・・  波瀾万丈10  ・・・ 


 その後、駅には何事も無くたどり着いた。すすり泣く声を背景にしながら蘭が清清しい気持ちで朝日を見つめている。
 今日で終わる。
 なんと、気持ちの良い時間だろう。
 駅について、馬を日明に任せて蘭は一人降りた。この駅には皇族が乗る特別車両を置いてある。
 本来ならば、先行隊が駅と車両の安全確認をした上で案内する予定だった。彼女の後に数人の中将の隊員が追って、共に駅内の点検を始める。蘭は彼らに、駅と車両の外側の点検を命じた。
 「日明大佐。駅内部、また、車両から不審物は発見されませんでした」
彼女が皇族特別車両を点検しているとき、その報告を受けた。彼らは何度もこの駅を確認しているので、手際よく早かった。
「了解した。では、日明中将にお連れしていただける用意が整ったと報告して来い。こちらもこの車内で終了だ」
『はっ』
一つの低いテーブルを囲むように設置された三組のソファ、小型のサイドテーブル、そして折りたたみ式の寝台。壁は織物で内装され、艶が出るまでに磨き上げた樫の木で装飾具を作り、豪奢なつくりだ。ソファも海外から取り寄せた一級品だと聞いている。完璧なつくりゆえに爆弾などが仕掛けられるスペースも無く、最後の点検は早く終わった。
 程なくして、中将に連れられた女性たちがやってきた。誰もがぴたりと男の肩に身を寄せている。足取りも覚束ない。儚げな、今にも折れてしまいそうな、男が、手を差し伸ばさずにはいられないような雰囲気。

 ……はああああぁぁぁ?

 驚愕を一生懸命隠して敬礼する蘭の前を通り過ぎ、女たちはソファに腰かける。その横に、エスコートした軍人が挨拶をしてから座った。エスコートをしていない軍人の一人がさっと全員分の飲み物を用意した。
 一組ずつ、会話を楽しんだり、泣いたり、慰めたりと一気に怪しげな雰囲気が車内に発生する。朝なのに薄暗いのは、わざわざカーテンを閉めて電灯を灯したからだ。甘ったるい、大人の、空虚で虚言的でありながら、なお女を惹きつける幻想的な空間。 少女よりも少し大人びた女が読む甘い恋愛小説のような世界が生み出された。

 こんなこと、うちの部下には絶対出来んな。

 蘭は本気で感心した。
 日明の部下は実力がないと侮っていたのだが、その評価を全面改訂せざるを得ない。凄い。凄すぎる。護衛任務侮りがたし。零武隊が護衛を失敗するのも分かるような、納得できるような気がした。もはや根本から違う。
 正直、今すぐでもこの車両を中将に任せてしまいたい。場違いの空気にすわりが悪いし、鳥肌が立つ。
 しかし、それはずっと前から言っていた鈴木が『片時も離れるな』という言葉に反してしまう。そんな言葉を聞く気はさらさらないのだが、彼女のヒステリーだけは厄介だ。
 と、日明が蘭を呼んだ。
「……元子様。
 外の警護をこの大佐に任せも、宜しいですか?」
日明は肩にもたれかかっていた鈴木に、優しい低音で囁く。ゆっくりと、放心したように彼女は身を起こした。
 二人は暫くの間見つめあった。
 顔の距離が近い。
 息がかかる距離で、もう一度、日明は、許可をねだった。
 今にも接吻をしそうな距離だが、そんなことは絶対しない。
「勿論ですわ。宜しくてよ……」
鼻をすすりながら、答える。
 何で護衛対象にいちいち許可をとるのかがわからなかったが、そういう細かい点が文句や我侭を言わせないのに重要ならしい。
 日明は無言で少し頷き、蘭は意気揚揚と車内を後にする。
 蘭の目がなくなると、日明は女の肩に手を置いて抱き寄せた。広い胸から、鼓動が聞こえる。
「ありがとう……」
あえて敬語は使わない。親しみやすさを感じたその言葉に、鈴木は日明が自分を頼ってくれていることを心から嬉しく感じた。
 ……勝った。
 と、思った。
 それが全て中将の策略と気づいていた部下たちは、なんともいえない心情だったが。



 女の方が良いから側近護衛を交代させるな、とあれだけ文句をいっていたのは、なんだったのだ。
 呆れた気持ちを半分、お役御免の解放感半分で外で護衛をしつつ、身も心も伸ばしながら握り飯にかぶりついた。用意周到にも、日明の部下が朝食の残りを取っておいてくれたのだ。
 腹がこんなにすいたのは久しぶりだ。ご飯が旨い。
 彼女の予想を裏切って、案外早く零武隊は到着した。まだ握り飯が一つ残っていたので、それを慌てて頬張る。
「ちーす。大佐。言われたとおり荷物は全部詰めてきましたよ。
 はい、大佐のに・も・つ。
 ……お握り食ったようですけど、弁当いります?」
毒丸が言いながら蘭に鞄を渡す。嚥下しながらそれを受け取った。
 ひらり、とさらに手を差し出す。笑いながらその手に弁当を置いた。断るはずが無い。おかずがないと食事をした気分にならない、それが彼女の座右の銘である。
「ご飯粒が頬についてますよ」
「……貴様らが早く来すぎだ。少し遅れてくればいいものを」
「日頃の鍛錬の賜物ですねー」
現朗もやってきた。
「大佐。
 後は、従者たちが六台馬車を使って来ます。零武隊から、三十二人は汽車に詰め込む作業を手伝わせています。
 大佐のお使いになった馬車も含め、馬は旅館の者が引取りに来てくれるよう手配致しました」
「八人は吹っ飛ばした者か。
 お前ら二人とも鍛錬が足りんぞ」
ぽんぽん、と蘭は二人の腹と頭に拳を当てる。それだけの衝撃で、呻きながら二人は地面にうずくまった。触れられるだけでもまだ痛いのだ。
 蘭の見立てどおり、二人を含めた八人は大佐にやられた傷が深くて、先に汽車に乗り込んで休んでいた。隊員たちの指揮を執ったのは炎だ。炎一人、現朗側に参加せずに淡々と命令をこなしていた。だから早く来ることが出来た。
「いや。……その。
 先行隊で襲撃者と鉢合わせしましたので。
 なかなか手ごわく、大佐が先に護衛対象らを移送して頂けてよかったです」
金髪はうずくまりながら一応言い訳を言ってみる。
「わかった、わかった。作り話は後で書面でもって来い。
 そうだな。私も襲撃にあった。その襲撃者どもは、橋を爆破したように見せかけていたが、その爆発偽装が上手くて、中将も褒めていた」
「あっ。でしょ。すごいでしょぉ。あの音だけの爆弾は教授の新作なんですけど、威嚇には最高だと思いません?」
「……毒丸」