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三十分後、蘭は汽車に戻った。 出発の用意は全て整った。今連結をしている最中だが、それも十分以内には終了する。もうすぐ出発になるだろう。 引き継ぎと状況報告。ただそれだけだ。 それだけだというのに、後ろには部下二人もくっついていた。さっき切れた張本人の現朗と、煽るタイプの毒丸。迷惑顔を露骨に浮かべる蘭を無視し当然のように控えている。上官が上官ならば部下も部下で、自分勝手なのが零武隊の不文律だ。 中将は妻の姿を連結部分の硝子に見つけて、鈴木の話を止めて席を立った。扉を開くと、蘭が二三歩入ってきた。 「日明中将。積荷、乗車全て完了しました。連結が済み次第、汽車を予定通り出発することが出来ます。 今のうちに引き継ぎを行っても宜しいでしょうか」 「日明様っ!」 蘭の顔を見て、鈴木が猛然と立ち上がった。 驚いたのは蘭だ。 ……もう復活してやがる。 命を狙われればもう少しは黙っていると思っていたのに。 彼女は日明に慰められているうちに普段の調子が戻り、甘えているうちに『自分の方が特別である』ことを再確認した。幾度も怖かった体験を繰り返し言うことで、記憶が整理され、結局蘭への怒りだけが純化されたのだ。 日明は心に直接囁く。悪くない。貴女は悪くない。勿論怒っていい。君は怒っていいのだよ。 それに煽られて、蘭の顔を見た途端とうとう爆発した。 「この方のせいで、とても不快な思いばかりさせられましたわ。 言葉も無礼、態度も粗野、礼儀を知らないっ。初めてです。こんな下野な方を見たのは。 それに、今日も、彼女がいきなり連れ出したから私たちあんな危険な目に遭いましたのよっ! 日明様の到着が遅れていたらどうなっていたことかっ! 何故この様な方をお付けしましたのっ。 軍はそんなにも人が足りなくて?」 憤然と食って掛かる女に、日明は大仰に眉をしかめた。容姿のいい彼がすると、それだけで本気に見える。 「それは、大変辛い思いをさせてしまいました。 申し訳ございません、元子様。私どもが帝様の行幸についていってしまったがために……。零武隊は普段護衛の任務ではなく慣れていないのです。どうかお許し下さい」 「それは知っておりますわ。 でも、それでも限度というものがあります。許せません」 髪が逆立たんばかりの形相に、毒丸が笑いながら怖い怖いと揶揄う。それを現朗は傷を触れて黙らせた。 全く懲りてない態度を堂々と見せ付けられて、ますます鈴木は白熱した。 ヒステリーに近い彼女の罵詈雑言を受けながら真摯に答える中将。侍女や部下たちの視線も集まった。 しかし、なんというのだろう。この女のヒステリーはほとほと蘭を困らせたものだが、実際他人に向けられていると非常に滑稽だ。 しかも中将は上手く切り返し、蘭のように正面から押しつぶされたりしていない。 ……こんなもので疲れた私って…… と、内心拗ねる。夫との隔たりがまた大きくなったのを感じた。 「わかっておりますっ? ひどいでしょうっ!?」 「ええ。全く。……まさか、そんなに恐ろしい状況とは思っておりませんでした」 日明がため息をついた。 蘭にはそれが、非常にわざとらしく見えた。 ……何を考えている? と、夫の心を探ろうとするが、ポーカーフェイスに邪魔されて真意がつかめない。 「やはり、そうだったのですか。 実は、牧本夫人や三重様ご夫妻からも、零武隊への抗議はいくつかあがっていたのです。元子様にはそのような先入観を持たせたくはなかったので、お話ししておりませんでしたが……」 首を振りながら日明が言ったので、さらに女は調子づいた。 噂好きの彼女が零武隊に皆が抗議しているのを知らぬはずがない。 「まあ、そうなのですか? 日明様、ひどうございますわっ。 まことに酷かったのですよ。 ……そうっ! そういえば、そこの金髪のお方。今朝私に向かって刀を抜いたのです」 「刀をっ。本当ですか! なんて恐ろしい」 中将だけには言われたくない台詞だな……。 と、現朗はこっそり思う。日明は刀を抜かなくても恐ろしいのだ。 何せ蹴りだけで零武隊六十名を病院送りにしたのはつい最近の記憶だ。逃げ回っていた現朗と逃がされた数名以外皆その餌食になった。 毒丸も初めの方にやられたうちの一人で、苦虫を潰したような顔をしてこちらを見ている。いいたいことはよくわかる。 「それだけではありませんのよ。 零武隊の方々は私たちを怒鳴りちらし、他の者を殴ったり……暴力的で、とても怖い思いをしましたわ。 護衛をするのではなく、殺すおつもりなのですっ。命令を聞かないならば暴力で脅してくるなんて。 違いまして? 日明大佐」 「そうですね。刀を抜きましたよ」 現朗が蘭に代わって返答する。 殺せなくて残念ですよ。 と内心で付け加えた。毒丸はけたけたと腹を抱えて笑っていた。蘭は手を前において後ろの二人に黙るように指示をするが、聞くはずが無い。 「ご覧下さい、この態度っ。酷いでしょう? 私たちが女性だから、軽蔑してるのですわ。 私、とても怒ってますのよ。たとえこの方が日明様の奥方だとしても決して許せませんわ」 「わかっております、元子様。 あまりに無礼ならば、この者に軍を辞めて頂くこともあります。確かに護衛任務は彼らの通常任務ではないとしても、酷すぎる場合は仕方がありません。 刀を抜いたり、殺そうとしたりしたことが本当ならば、隊員だけではなくその上司も勿論です」 「そうでしょう? ねえ」 息巻く彼女をさらに煽る。 毒丸も現朗も、中将の態度がどうしても許せなかった。 何故お前が大佐の味方じゃない。 が、当の蘭は無表情で事態を静観していた。 |
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