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 ・・・  波瀾万丈2  ・・・ 


 ぱたん、と鈴木が扇を閉じた。
「ああ、そうそう。実はブローチが一つ持ってくるのを忘れてしまって。代わりの物を百貨店で買おうと思っておりますの。
 宜しくって?」
「申し訳ございませんが、買い物は旅館内の販売所でなさってください。
 予定外の外出は認められません」
女の柳眉がこれ以上ないくらい持ち上がる。
 今まで、自分の意見が否定されたことはなかった。ましてや、身分の低い者に。
「随分お堅いこと。
 日明様はどちらでも連れて行って下さいましてよ」
「日明中将と違いまして、我軍は護衛任務は得意ではありません。中将の軍と同じようにはいきませんのでご了承下さいませ」
「あら。貴女、案外に役に立たないのね。
 日明様は必ず行きたいところに連れて行ってくださいますのよ。それに、よく贈り物を下さいますわ。
 そういえば、この簪もそうなのよ。こちらは浜名湖の真珠の細工。綺麗でしょう。私のように、髪の長い女性にしか似合いませんもの。怒らないで下さいね。
 あなた、知らなかったでしょう。うふふふ」
話を最後まで聞かずに、蘭は部屋の調査にとりかかっていた。
 ……当たり前だ、日明が言うわけないだろ。何を馬鹿げたことを。
 電灯の笠を持ち上げながら、こっそり思ったが口には出さない。
 皇族や帝の護衛に携わった者は絶対に任務の様子を外に言ってはならない。どんな情報が帝都に仇をなす者に伝わるかわからないからだ。たとえ下らない情報でも、使いようによっては武器になる。
 この旅館は幾度も皇族の行啓や帝の行幸に使われているので警備はしやすいが、それでも注意を怠るわけにはいかない。旅館ごと吹っ飛ばされない、という根拠はどこにもないのだ。まだ帝都は体制そのものが不安定だ。皇族一人がなくなればそれだけでも十分反対派は勢いづく。
 ぐだぐだと続ける雇用主の嫌味を百万分の一も聞かないで、不審物の有無などを調べていた。
「……お話し中にそのような態度は随分ご無礼ではなくてっ!?」
鈴木が声を荒立てたのは、蘭が備え付けの戸棚の中を漁って調べていたときだった。
 ……案外もったな。
 もう部屋の全部調査が終わった。あと戸棚の下を確認すればいい。
 聞こえなかった振りをして一段下に手をかけると、彼女は、怒って真後ろまで歩いてきた。そして真後ろで、同じ言葉を繰り返す。
 流石にこれを無視するわけにもいかず、鬱陶しいという心情を隠さずに眉を顰めながら振り返った。
「……話を聞くのは職務ではありません。
 先ほど言ったように、我軍は職務外行為ができる程の余裕はない」
淡々と言い返すのが、余計に鈴木の逆鱗に触れる。
 ばん、と荒々しく扇子を蘭が調べている棚の上に叩きつけた。
 顔がみるみる紅潮していく。
「立場というものをお分かりになられて? 私が口をきけば貴女などいくらでも辞めさせられるのですわよ?」
辞めさせてくれ。頼むから。
 軽く一瞥をくれると、女の震える頬に、一筋涙が流れるのが見えた。
 聞きも答えもしないで作業を再開させる。下の段を調べ、そして床に頬をつけて脚元もよく調べた。
 言いたいだけ言い放った鈴木は、糠に釘なことを悟って寝台の方へ去っていく。最後のほうは泣いていたようだ。
 だからといって何もしようがなくて、手持ち無沙汰の顔で蘭が部屋を見回していると、ノックが聞こえた。戸を開くと炎が立っており、彼は周囲に異常は特になかったことを報告した。
 それさえ聞ければもうこの部屋にいる必要はない。
「旅館内部の確認は終わりました。
 護衛はつきますが、旅館内に限り自由に移動することが出来ます。ブローチでもなんでもお買い求めになるときは必ず私をつけて動くようお願いします。
 何か異常がありましたらお知らせ下さい。廊下で待機しております」
奥の部屋にいるだろう護衛対象からの返事はなかったが、蘭は炎とともにさっさと部屋を後にした。



 廊下に出て、数歩。前を歩いていた炎が、唐突に、くるりと振り返った。
「……また中将絡みの女性のですか?」
感情を隠すことをしない赤髪の男は、荒い調子で詰問調に質問した。答えは知っているのに、訊かずにはいられない。
「その、ようだな」
蘭は伏目がちに答えた。声にはいつもの自信も覇気もない。
「そもそも零武隊は護衛には不向きな者の集まりでしょう。隊員たちからも不満の声が多くあがっております。
 何故護衛などしなければならんのです」
「元帥府の条件は聞いているな?
 貴様らが暴行事件を起こさなければ、もう以後護衛任務はない」
「条件? ふざけるのも大概にして頂きたい。
 護衛任務など零武隊の職務ではない。それなのに、何故そのような条件に縛られなければならないのですか?」
彼の怒りは蘭もよくわかっている。
 沸点が自分のように低い部下たちに、我慢しろというのは正直気が引けた。自分が部下だったら間違いなく護衛対象を蹴りまくっている。

「炎。
 ……揉め事を起こすつもりならば、その前に爆をつれて帝都に戻れ」
「お分かりだと思っていますが、俺がいないともっと早く護衛対象を襲撃する奴らが増えますよ?」

蘭は押し黙って睨みつける。付き合いの長い部下だから、余計にたちが悪い。
 炎、零武隊の重鎮の一人で、隊員の中にも尊敬する者が多いし、実際彼は口や態度は悪いものの下への面倒見は良い。確かに彼がいないとそれだけで、若い隊員たちが変な気を起こしてしまう可能性はあがる。
「煽るような言葉は言うなよ。お前は良くも悪くも影響力がある」
だが、それだけに問題なのだ。
 彼や、重鎮たちが切れたらそれこそ誰にも歯止めをかけられない。
「まあ現朗がいますから、俺だけでどうこう出来ません。
 それに最後なわけですし」
「……最後になる予定、だがな」
部下の言葉を軽く訂正すると、立ちふさがる炎を横に抑えて蘭は廊下を行った。