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「マジで強ぇんだな……」 激の棒に吹っ飛ばされた男は、壁に当たって痛む体をさすりながら体を起こした。彼の隣にも三人、同じように飛ばされた男達が転がっている。彼が一番に激の攻撃を食らったのだ。 棒というしなやかな武器からは想像の付かないくらいの重い一撃で、防御がまったく追いつかない。防御をやめて躱すという手段に切り替えたものの、攻撃の型が予想外であっさり食らっていた。本物の武器を使っていたならばおそらく彼は今の戦闘で二度命を落としていただろう。 だが、相手はそれを誇ることも見下すこともなく、肩に棒を乗せながら明るい声でいってきた。 「うへへ。 つーか、俺ってこれくらいしか取り柄ねえし」 面のせいでかけるはずのない鼻を小手でかく。 四対一。 なのに、防具を身に付けた男の動きから疲れは微塵も感じられない。 激は余裕があると、得物をくるくると回しながら何度も手の感触を確かめていた。いつも持つ鋼製の棒ではなく、樫の木でできたそれはかなり軽い。稽古用に頼んでいた棒が、入隊四日目の今日になってようやく届けられたのである。 キレの良い動きで次々に型をつくる。剣術を嗜む者ならば誰もが感心するほどの、一つ一つが一切の無駄のない流暢な動きだ。 「うーん……。 もうちょっと重さがなぁ。これじゃあ手からすっぽ抜けそうになる」 だが、本人はいたく不満らしく唸るような低い声が始終聞こえていた。 次々に壁に転がっていた男達は身を起こし、頭を振っている。最初になげ飛ばされた男は、ふらふらと壁に手を突きながら身構えた―――と、激が思った瞬間に彼は攻撃に出ていた。 床を力強く蹴りつけ木刀を振り上げる。小さな足音はあるものの静かな動きで、鋭い一撃が激の斜め後ろから襲う。相手はそれを見ていてない。入った、と野次馬全員が確信する。 が。 「甘いなー。型をしている時って一番守り易いんだぜ」 彼は僅かに棒をずらすだけで難なくその一撃の軌道をそらした。 勢いのあるまま床に木刀がぶつかる。 彼がそれを振り上げるよりも早く、激が半回転させた棒に真後ろから強烈な一撃を食らっていた。 「ぐっ」 彼が倒れれば、それに乗じてほかの男達も動き始める。 その後も新人と手合わせしたいと名乗る男達は次々に現れ、稽古場での命のやりとりは数十分程続いた。そして、太陽が天上に上り切る頃には激の実力を疑う者は誰一人としていなかった。 満足に体を動かし終わってから、激は面を脱いだ。一纏めにした長い髪が肩に落ち、全身から湯気がたち上がっている。汗を拭いながら壁に向かって歩くと、わらわらと数人の部下が集まってきて我先に声をかけた。 「棒、面白いな。一度教えてくれ」 「やー。さすが白服でいきなり来ることはあるなぁ」 口々に褒められて、激は頬を赤らめて肩を竦める。 今回は、彼にかなり有利な状況だったのだ。 激が刀を相手することはかなり経験があるが、隊員たちの多くは棒を経験したことがない。彼等の敗因は経験不足だ。この隊程の腕前ならば、一月もすればすぐに棒の動きに追いつくだろうとこのエリートは踏んでいた。 「そんな褒めんなよ。 つうかお前らもさ、そこいらの軍人どもとは、殺気も太刀筋も頭一つ違うじゃねえか。どうやって練習してんだ?」 敢えて殺人者たちの気を削ぐように、柔らかな質問をする。 「手近に目標があると成長が早いんかね。負けるけど襲うだけで強くなるっていうかんじでさ」 激の真横にいる男はさらに隣の男に顔を向けて尋ねる。 相手は、そうだな、と軽く返答した。 「日常が戦場だもんな、半分。訳も分からず襲われるなんてよくあるし、逆に腕試しのために上の奴に斬りかかるなんて日常茶飯事だし」 わかるわかると皆が口々に賛同する。 麦茶に毒が入っていたとか。 廊下を歩いたら死闘を繰り広げながら来た二名にはね飛ばされたとか。 噂話がぽんぽん出るところからみるに、それらは完全に法螺話でもないようだ。そんな噂話よりも、激は、一番始めに聞こえた言葉がとても気に掛かっていた。 ―――そういえばこの部隊の人間たちは片時も武器を手放さない。そしていつも、自分を見る目がなんとなく違う。なんとなく、ほんの些細に、だが。 話の切れ目を狙って、とうとう彼も口を開いた。 「……あのさあのさ。 上官が襲われるってさ、一応白服着ちゃってるから……俺もはいるの?」 怖々と、自分を指差しながら尋ねる。 にへら、と恐怖で引きつる顔でほほ笑んだ。 男達は不気味に無言で笑う。にんまりと。 『勿論』 「やだよぉぉぉぉっ」 別に合わせたわけでもないのにいやに綺麗にハモって、戦々恐々とする激を除いた笑い声が道場に響いた。棒を抱き締めて泣き出しそうな新人の肩を、ぽんぽんと横の男が叩いて慰める。 手の内を見せなければ良かった。そうすればもうちょっと寿命が延びた。 「ずりぃや、ずりぃや。そうと知ってりゃ竹刀で戦ったのに」 「これから大変だなぁ」 「日明大佐なんて毎日十人以上切り捨ててるんだから、ま、ガンバレって」 「俺も応援しながら背後から襲ってやるからよー」 その態度がほほえましくて、古参の隊員たちは色々言って脅してやる。上下の関係を見せず、さりげなく年上に配慮する。そして何より、激は包容感があった。彼と話していると胸のうちが温かくなるのだ。 「じゃあさ。 現朗も強いのか?」 和やかな空気は、その名前で一瞬に凍て付いた。 今まで笑っていた男達は、気まずそうな顔をしながら互いの表情の意味を探る。現朗。上官の名前。幾人かは、襲いかかったこともあった。簡単に返り討ちにされてしまったが。 だが、それは、遠い遠い昔の話。 今は誰も上官に声をかけたりはしない。 「……現朗隊長はやめておいた方がいい。殺すのが好きな、いわゆる中毒だ。いったん切れれば、マジで周囲まで手にかける」 殺人者の一人がぼそりと呟いた。 「殺人鬼だな、もうあれは」 「ああはなりたくねえ。成れの果てだ」 人々は声を潜めた。彼らの頭には暗い噂が浮かんでいた。彼ら全員、現朗の前では一瞬も気を抜かなかった。殺されたくないからだ。ただその共通認識を知らない激だけが、ぱちくりと無邪気に瞬く。 「―――そうだろうな」 冷たい声が道場の中に響いた。 まさか。と全員の顔が一点に向く。出入り口は開いていて、そこから一人が入ってくるところだった。涼しげな目元、流れるような柔らかな金髪。 「お前ら程度に負けるつもりはない。殺されたい奴だけが来ればいい」 部下たちの目が殺人者の目に変わった。決して、仲間を見るそれではない。彼から一定の距離をとるために後じさる。 激は、蜂の巣を思い出した。 幼い頃見つけた、大きな雀蜂の巣。それを遠くで見ていた夏の日。激を恐れた蜂たちは、遠巻きにしながら不思議な音を出し合った。 刻一刻と増える黄色の生物。 それの出す奇怪な音。 そして真っ黒な目。 無数の敵意に取り囲まれて、激の心は恐怖と混乱に支配された ねえ。何をしたの。俺が、何をしたの。―――と、瞳を震わせて立ち竦んでしまっていた。あの時兄弟子が助けが一瞬でも遅れていたら、蜂はすぐに攻撃に転じていただろう。自分同様髪の長い兄弟子は、少年を後ろからひったくるように抱えて、襲ってくる蜂よりも早く駆け出した。 その時の兄弟子の言葉を思い出し、激の口元に柔らかな笑みが浮かんだ。顔を向ければ、現朗はこちらへ真っ直ぐに近付いてきていた。目は据わっており、いつも通りの無表情な顔をしている。 全く、日明大佐から聞いた通りだ。 「じゃ。俺が行こうかなー?」 誰かが抜けば、抜く。そんな緊迫した空気を壊したのは、呑気な激の一声。 それを聞いて、現朗は近くに置いてあった竹刀を手にとり軽く振った。びゅんびゅんと、空を斬る音がする。 激の周囲からも人が離れる。 棒をくるくると回して、そしてぴたりと照準をあわせた。 先に駆け出したのは―――現朗だ。 「はぁっ!」 掛け声とともに振り下ろされる一撃を、激は難なく棒で軌道をそらしてそのまま攻撃に移る。しかし相手も一筋縄ではいかない。下段になった刀を手首を返して攻撃に移る。 早さは互角。 ともすれば相打ちになるが、双方それは望んでいない。 ―――ばきっ。 と、二つの得物が同時に声を上げた。激の棒は攻撃するのを止めて、現朗の二撃目を押さえていた。互いの得物を殺しあった状態でしばし対峙していたが、次の瞬間、二人とも大きく後ろに下がる。 十手二十手と組み合う。 部下たちは取り囲んでその試合を魅入っていた。違う得物同士の試合は、隙を探るのが難しい。だが勝負は一瞬なのだ。 「ああっ」 誰かが悲鳴を上げた。 激が振り上げた懐に、金髪が入り込んでいた。 蹴るにしても間合いが近い。 現朗は下段に構えていた竹刀を、大きく上へ薙払う。腹に入った一撃に、為す術もなく男はふっとんだ。轟音がして床に叩きつけられた激は、完全に失神していた。彼を親しく思っている者たちは、手当てにとすぐに駆け寄る。 あまりにあっさり入って、現朗に続きをやる気は失せた。 面白くなかった。肩で息をつきながら、もう一度心の裏で繰り返す。ちっとも、面白くない。 「……午後から新しい事件が入った。それを起こして、用意をして一時間後に部屋に集合しろ」 冷たく言い捨てて、彼は一人道場を後にした。 |
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