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陸軍特秘機関研究所にスーツ姿の男が廊下を歩いていた。長く、細い廊下の執着点は荘厳な鉄の扉。一見牢獄を思わせるそれこそ、この零武隊をまとめる日明大佐の執務室の入り口だ。 丸木戸教授の手には一枚の紙が握られている。 新しい発明品の実験結果で、思いの外良かった出来に鼻歌を鳴らしながら扉のノブをつかんだ。 その重々しい扉を挟んで、廊下とは一変した空間が広がる。 高い天井、大きな窓、だだっ広いとも思わせるようなそこには樫の木の重厚な机しかない。惜しみ無く使われている強化硝子のお陰で、太陽の光が部屋の隅々まで行き渡る。 今は、その机を挟んで二人の人間が話していた。 「……お前の判断で零にしろ。 相手は手練だ、決して侮るな」 一人の声は知ったものだった、が。 「へいへい。 ま、大佐の秘蔵っ子ですからねー。その辺は俺だってわかってますって」 もう一人の声は教授には馴染みのないものだ。 姿勢はよいが、どこかだらけた空気を纏っている。刀を持って軍人などになればどんな人間でもそれなりに緊張感を持つようになるから、だらけているということは余程の使い手かただの天然なはずだ。 背は大して丸木戸と差はないが、頭の逆立つ毛が補って長身に見せていた。その髪は特徴的だったが、教授は別のことに視線が釘付けになった。 白い軍服。 零武隊のエリートを示すそれを着ているということは、その男はここの幹部クラスにあたる。 だが後方支援の最高幹部たる丸木戸には、その顔は覚えがない。垂れ目で太い眉、ふっくらとした頬。変装したという可能性を考慮にいれても、その体格に当てはまる幹部は居ない。ということは、丸木戸に一切の話もなく、新しく幹部候補が入ってきたということなのだろうか。 「口が…… ……教授。入るときはノックくらいしてもらおうか」 「え、も、申し訳ございません。 ええと、実験結果がでたので報告に来ました……が」 口籠りながら男に不審な視線を送る。 それを察してか、彼はにっと笑う。 「丸木戸教授、ですよね。 初めまして。激っす。階級は、ううんと、確か少尉か中尉だったかと」 「フレンドリーに教授でいいですよ。 激君って呼んでいいかな?」 「君って、なんか照れるなぁ……。 えへへへ。噂より普通の感じで安心しました」 「あっはっは。人体実験しているとかでしょう?」 きらりと眼鏡が薄暗く光る。 が、激と名乗る青年は顔の前でぱたぱたと手を振った。 「いえいえ。 大佐にエロ薬盛ったとか、大佐に蹴られてもめげずにエロ薬開発しているとか、大佐に隠れてこっそりと売り出したエロ薬の試作品が大売れだとかそういうことです。完成したら分けて下さいね」 どこから漏れた。 と、教授は喉からでかかったつっこみを飲み込んで、愛想笑いを浮かべる。青年は人の良い顔をして、自分の発言をさほど気に留めていなかった。つまり天然の方か、とこっそり丸木戸は思う。 が、後ろの上官はそうはいかない。 「……減らず口は鉄拳で治さないと治らんというのならば、思う存分味あわせてやるが? お前は昔から好きだよな」 「いえっ! で、では明日にっ。 失礼しますっ」 低い声で促されて、慌てて出ていく男の背中を教授は見つめている。手渡された書類に目を通していた蘭は、ふと、顔を上げてその様子に小首を傾げた。 「どうした」 その言葉に振り返った男の顔は、いつもの笑みが完全に失せていた。 目を鋭く吊り上げて、上官を詰るように睨み付ける。 蘭もそれに呼応して真剣な表情に変化した。不自然な沈黙が部屋に落ちた。 「貴女は……」 口を開いたのは、丸木戸。 「現朗を、切り捨てるおつもりですか?」 頭の回転の鋭い教授は、二言三言の会話から全てを察した。 見慣れない白服。 そして、零にしろという言葉。 現朗は、零武隊でも一味違う幹部候補だ。日明大佐の昔からの知り合いで、彼女が直々に指名し、他の軍隊に入ることなくいきなり零武隊に引き入れた。彼がここに来て、もはやかなりの時が過ぎている。丸木戸とて浅い付き合いではない。 現朗は先日一人部下を失った。 ―――それだけならば、零武隊では問題になるような話ではないのだが。 死体の傷から死因が判明しなかった。半分以上、焼け爛れていたからだ。ただその死体に現朗の愛用する毒刃の跡が残っていた。 それなのに彼女は諮問会を開かずその理由を問い質さなかった。それ以来、零武隊の中では現朗という存在が浮いた。今まで幾度か現朗自身から攻撃を受けたとの報告が、あっという間に隊全体広がった。 「……貴女が、あそこまで育てた彼を」 丸木戸は吐き捨てるようにぼやく。 ―――が。 「それがとうした? そんな事、大したことではないだろうが」 蘭の瞳に浮かぶ強い光に、思わず生唾を飲んだ。 零武隊は殺し屋の集団。しかも、『異形なものを始末するため』の特別な。 過去に幾度か、人殺しという行為に飲まれた隊員が自暴自棄に出たことがある。それは主としては蘭の手で処分されたが、時折隊員同士で零にさせた。 だが、それは一般の隊員の話だ。 あれほど長く見てきた、我が子のような青年を、しかも他人の手で斬り捨てるなんて。喉まででかかった非難を、なんとか無理やり押しとどめる。 現朗という青年を切り捨てることに、彼女は微塵の迷いもないようだ。新しい幹部候補生をつれてきて、そして彼に現朗を殺させる。見事な挿げ替えだ。 嫌な気分が胸に広がって、丸木戸は自分でも無意識のうちに上官の手から書類をひったくっていた。 「まだ研究途中だということを思い出しました。 改めて提出致します」 「早くしろよ」 「わかりました。では」 言って踵を返す。教授は鉄の扉を出るとすぐに、足早に廊下を駆けていった。 |
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