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 ・・・  羽化登仙  1  ・・・ 


 手首に確かな手応えを感じて、現朗はそのまま腕を振り払うように横へ投げ出した。握られている小刀は、刺客の首筋を滑らかに過ぎ去り命を奪う。
 噴き出る血が全身に掛かった。同僚たちは口煩く止めろといっているが、この戦闘方法は一旦覚えれば楽しすぎて止められない。生者が死体に変わる一瞬の表情が溢れる体液の滝の中から見れるのだ。断末魔よりも盛大な血の音を聞きながらうっとりしそうになる己が居る。
 生臭い匂いが鼻をつく。その時、いつも思うのだ。まるで生まれて初めて、それに気づいたかのように。
 自分の中にも、確かにこの暖かい液体が通っているのだ。
 そう思うと何故だか僅かに喜びを覚える。事実、自分は人を斬っている時は微笑んでいるらしい。
「敵だっ」
「東門の方だぞっ」
命が知らずの愚者の群が、こちらへ近付く音が聞こえる。蜂の巣をつつくと、十数匹の蜂達が互いに警戒信号を飛ばしあうように、館から至る所で声が上がっていた。それは全て青年の計算の内だ。
 抜けるような青空の下、身を隠す場所はどこにもない。全員殺しても言い訳が成立するから、わざわざ現朗はこの真っ昼間のここを襲撃場所に選んだのだ。
 ―――来い、来い、来い。
 金髪の青年は笑みを浮かべて地面に落ちた死体を蹴り飛ばす。
 と、同時に角を曲がって漸く辿り着いた男の群と目があう。
 彼等は、一瞬驚いたもののすぐに刀を抜いた。
 現朗が走り出す。血を被った金髪の美丈夫は、あまりにも現実離れしていて、まるで人形のようだった。冷めた表情のまま彼は手の長刀を軽やかに振る。初めに狙いをつけられた人は、その嘘のような一刀で絶命した。
 血を被りながら、青年は舞うように二刀を操る。片手だけだというのに長刀の一発はあまりに重く、それを両手で受けるのが精一杯だ。或る者は刀ごと斬られた。そして或る者は、受けた瞬間に小刀で殺された。
 汗一つ見せず、淡々と作業をこなす。築かれるのは死体の山。次から次へと応援が来ているというのに、ここは自分たちの本拠地だというのに、男達は侵入者に勝てる自信がなかった。
 否。それよりも前に、自分が生きてここを逃れることすら、曖昧になった。
 場を支配する男の殺気。
 冷たく、重く、息苦しくなる。空には入道雲が形を変えながらゆっくりと漂っている暢気さが、あまりにアンバランスだ。
 蝉の声が、先程から止まったような錯覚を覚える。
「……お、お前は……何者だっ。何者なんだっ!?」
死期を悟って発狂しかけた誰かが、そんな言葉を叫んだ。
 答えを期待していなかったが、現朗はぴたりと足を止めて声を聞こえた方を探した。叫んだ男と目が合う。
 冷たく澄んだ双眸に、男の体に戦慄が走った。

「歴史の始末屋―――
 まあ、つまり。
 文明社会公認の殺人鬼、といえば判り易いですね」

その最後の文句を理解するよりも早く、男は手にある刀を投げ付ける。それは全く無意味な行動で、勿論当たりもせず地面に落ちた。真っ直ぐに彼へ向かってきていた現朗は武器一つ無い敵を斬り伏せた。
 一人の狂気はすぐに周囲へ伝染する。
 残っている者たちは、撤退へと転換した。
 だが、彼等には大きな誤算があった。
 生きてこの場を去るためには、背中を見せて逃走すべきではなかったのだ。
 後ろも見ずに逃げ惑う人々よりも、冷酷な殺人者の方がずっと早かった。