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 ・・・  羽化登仙  4  ・・・ 


 「ああっ。よぉ!」
現朗が一時間遅れて零武隊へやってくると、すでに新人と部下たちは親しげに会話を交わしているところだった。
 現朗は朝から大佐に呼ばれて、隊に来るのが遅くなってしまった。今日から新人が入ると聞いてわざわざ早く来たのに、全てが無駄になった。
 新人は彼が来るまでの間に、すでに相当この隊に馴染んでしまったらしい。強持てで屈強な男らに取り囲まれて楽しげに話す声が、外の廊下まで聞こえてきていた。部下は人見知りの激しいはずなのに。
 だがその和やかな空気も、金髪の上官が入って来ると一変した。それは上官だからということではなく、現朗だからだ。
 ――――――と、いうのに。その空気をまったく読まない新人は気軽く手を挙げて声をかけてきている。
 同じ白服を与えられた幹部候補生だからと、高を括っているのだろうか。
 周囲の部下は、注意しようかどうしようか困った表情でうろうろしていたが、上官の顔を見るとその気も失せた。いつもの冷淡な無表情のまま一直線にこちらへ向かってきていたのだ。
 やばいかも―――
 と、誰となく思う。思いながら彼らはいつでも抜けるような姿勢をわずかにとった。この暢気な新人を守るためだ。
 無表情はいつものことだが、目の輝きがわずかに違う。
 とばっちりは受けたくないと激の回りに居た男達は僅かに身をひいて、現朗と彼の間は人が割れ一直線の道が現れた。

 成程、零武隊に入るにはまあ悪くはない、と、現朗は思った。

 骨太なの体格を服の上から見取って、歩きながら新人を次々に分析した。
 自分よりもわずかに背は低い。上半身の筋肉だけではなく、全身に均等についている。かなり体術もできるのだろうと思うと同時に、彼の得物が刀ではないと理解した。激はまだ零武隊という環境を侮っているようで、彼の回りには武器が見られない。武器を持たないなんて、愚か者のすることだ。
 人懐こい垂れ目は、この人殺し集団とはまったく相容れない輝きを見せている。口元は真っ直ぐ一文字に結ばれて口角が僅かに上がっていた。
 真っ直ぐに自分を見ている。それは、好意の感情だ。
 全ての分析を終えたとき、目の前に激が立っていた。
「俺ぁ激。宜しくな」
嬉しそうに目を細めながら、挨拶をしてくる。
 馬鹿らしい。
 現朗が対照的に見下すような冷たい視線を送り返すと、その心中を察してか、男の顔から人懐っこい笑みが消えた。
「私は現朗。階級は中尉だ。
 これより補佐を預かってもらう。引継ぎの資料を渡しておいたはずだが、一読もしなかったのか?」
「えっ! あれ、読むものだったのかよっ!?
 お菓子かと思ってそのまま持ってきちまったぜっ」
慌てながら激は振り返って自分の机の上にあるそれを見た。菓子折りのような風呂敷包みが一つ置いてある。遠目から見てもそれが開かれた様子はなかった。
 数人の笑う声が、静かに広がる。視線を感じて恥ずかしげに頭をかいて護摩化そうとしているが、それが余計に失笑を誘った。
 丁寧に濃い紫の風呂敷で包み、厚さは親指一本分ほどある。そしてわざわざ上下に木の板を仕込んで、紙の端が痛まないようにしておいたのだ。菓子折りと見間違えたとしても仕方がないといえばそうだ。
 だが、そうであったとしても。
 まだ会ってもいない新人にわざわざ菓子折りが届くかどうか、常識で考えればわかる話である。
「……無能」
 誰にも聞こえない程小さな声で、金髪は独り毒づいた。
 秀麗な顔を微塵も崩さず、現朗は背を返して部下達の方へ目を向ける。男らの顔に緊張が走る。
「あと五分で見回りの時間だが、お前らは用意は出来ているのだろうな。
 それと、昨日の報告書は? どこに提出した?」
言い終わる前に、隊員たちは次々に部屋から出ていく。
 見回りを遅らせてでも新人の紹介とかあるだろうと考えていたが、この上官は一人そんな無駄なことに時間を割くつもりはさらさらないらしい。それさえ分かれば十分。もう、現朗が現れたこの部屋にいる必要はない。
 書類を持って戻ってきた部下からそれを受け取ると、それを読み終える前に部下は去っていった。
 ぽかーんとした表情のまま激は立ち尽くす。今までの楽しい雰囲気があまりにも一気に失せてしまって、感情がついていけないのだ。が、その服の裾を親しくなった部下の一人がつかんで、彼を誘導した。菓子折りと間違えただろう、と指摘してやると新人のまわりに和やかな笑い声が起こる。
 広い部屋は、一分と経たないうちに静かになった。
 誰もが大部屋からいなくなって、一人ぽつんと立っていた現朗はそっと柄に触れる。ごつごつした、手に馴染む感触。毎夜毎夜必ず研ぎ直し、結び直している。刀の血の曇りは取りにくいが、現朗の愛刀は人の肌を知らないように透き通っている。
 そして、胸の小刀にも触り、服の上から感触を確かめる。

 あれを、斬るのだ。そうだ、あれを斬らしてやるよ―――

 心中そっと囁いて、気を入れ直して現朗も歩き出した。