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 ・・・  怖いもの 8  ・・・ 


 八俣が、出がけに。
「今日はみんなで銭湯行きましょう」
といったので。

「誰とやりあうのだ?」
「どこで殺ルんですかっ?」
「武器は重火器まで良いですか?」

三者三様に零武隊的に返事をしたら殴られた。
「……帰ったら銭湯に行くんだよ。風呂屋。公衆浴場。
 誰が戦闘に行くっつった。つーか帝都の治安を守る俺自らそういうことするか普通の思考回路で考えればわかるだろうが」
「……お前が言ったからこそ、わざわざ兵器を用いて敵を倒そうとする行動の方だと思ったのに……」
殴られたところをさすりながらぶちぶちと蘭が言ったので、彼女はさらにもう一発殴られた。


 どうやら最近すっかりお父さん的役割が板についてしまって、水色髪の警視総監は一人ため息をついた。
 このままでは所帯染みた雰囲気がついてしまう。お洒落が全ての価値観を飛び越えるところに設置している彼にとってそれは一大問題だった。
 昨日のことになる。
 現朗が読んでいた新聞を蘭が取り上げたのを見て、つい口が出てしまった。
「現朗ちゃんが先でしょ」
彼女の手に納まっていた新聞を取り戻しながら言って、現朗に返してやる。金髪はなんともいえない微妙な表情でそれを受け取った。
 まさか、という蘭の顔。それがすぐに膨れっ面になる。
 よく考えてみれば、現朗は彼女の部下であり、譲るのが当たり前なのだ。どうしようかと迷っている金髪の心情を汲んで、八俣は言葉をつなげた。
「仕事がまだ残っているじゃない」
「新聞くらい読んでも変わらぬっ」
「……終わってから読め。今は現朗のほうが先だ」
納得していない表情だったが逆らうのは部が悪いと悟ったらしく、そのまますごすごと席に戻って仕事を始めていた。ぶすっと頬を膨らませながら、時折恨みがましそうな目で見てくる。どうせ夜食にチョコレートを出せば直ぐに機嫌が戻るのでほうっておいて問題ないな、と思いながら書類のページをめくって無視を決め込んだ。
 激は激で、どうやら今日揉め事を起こしたらしくその反省文を必死に書いているようだ。時折誤字脱字を見つけては、横からそっとフォローしてやった。
 二人の仕事が終わるまで、同じ座卓につきながら八俣は自分の仕事の書類に眼を通しあがら冷めた茶をすすっていた。
「八俣さんのおかげで半分の時間で反省文書けたよっ」
と笑顔で言われて一瞬良かったな……と思ってしまった自分に、今は非常に腹が立つ。

 なんなのよっ!? この微妙な役割っ!

 思い出しても嫌になる。あれでは夏休みの宿題をする子供を監視する父親そのものだ。知らずうちに勢いあまって、ばんばんと机をたたいていた。
「……警視総監。お電話ですが」
顔色を赤から青へ、そして歯軋りをぎりぎりならしたかと思えば机を壮絶な勢いで連打する千変万化の上官に非常に近寄りがたいものを感じた。どんなときでも仕事があれば声をかけなければならないのが部下の運命と悟りを開いた副官ですら、今日は普段の十倍がけで声をかけたくなかったが、意を決して名前を呼んだ。
 勇気を振り絞った彼の行動は後々語り草になるのはさておいて、はっとその一言に八雲は現実に戻ってくる。
「あら。誰から?」
「ええと。大阪から……です」
「はいはーい」



 銭湯の込み具合はすごかった。イモ洗いよりもさらに酷い状態の湯船だったが不思議と不衛生な気分にはならなかった。全面総タイル張り、細かに使われた硝子の細工、華やかな照明が別世界につれてこられたような気分にさせられたからか、それとも牛乳風呂とかいう入浴剤のおかげからだろうか。
「……助かりました」
と、現朗は肩まで湯につかりながら後から来た八俣を向かえつつ言った。
「なにが?」
「大佐、ずっとお風呂に入られていないようでしたから。
 この時期にそれでは……」
「そうね。一人になるの嫌がっているようだから。
 それで、原因わかった?」
「……残念ながら何も。
 教授から、精神安定剤を増やしたとの報告がありました」
薬に頼らせるな―――
 といいたかったが、丸木戸相手では仕方がないだろう。
 四人は肩を並べて家路についた。
 真っ暗闇だったが、激は浮かれ調子で鼻歌を歌っている。銭湯に来たことがとても嬉しかったようだ。確かにあの銭湯は帝都でも有名なもので嬉しいのはわかるような気がする。
 だが。
 ……いい年の男が鼻歌を歌うほど浮かれるものではない。
「可哀想……」
思わず本音が漏れた八俣を蘭がこつんと後ろから握りこぶしでたたく。ついでに激には壮絶な一発入ったらしく、暗闇から断末魔が響いた。
 やはり元気な彼女がいい。横の現朗が手で口を押さえながら笑っているので、つられて八俣も笑ってしまった。
 ちょうど半分を過ぎた頃、いきなり、激が声を上げた。
  「ああーっ! やべっ。
 現朗、俺のパンツ持ってる!?」
「は?」
「八俣さんはっ!?」
「……盗ってないわよ」
ぐぉぉぉお―――と、低音で叫びながら頭を掻く声が音が聞こえる。
「くっそぉ〜っ。新しい下着穿いたら前のパンツ忘れちゃったぜ。
 大佐、ひとっ走りして取ってきますっ」
「……待てっ!
 すみませんっ、奴一人だと確実に道に迷うので俺もついていきます」
一陣の風のように二人はいなくなってしまう。なるほどさすが零武隊、と思わせるいい動きだ。部下の背を見ながら、なんともいえない表情で立ち止まっている蘭の傍に近寄った。
「八俣……」
「いいー部下どもじゃねえか。しかも職務外のところまで上司の生活態度に気を使うなんて普通じゃねえぞ」
「奴等は無駄に心配性なんだ」
「……お前が心配かけるようなことをしてんだろーが」

 がさ……

 茂みから、微かな音が聞こえた。
「……あっ」
蘭が動揺するのがわかって、八俣は後ろからぐっと引き寄せて腕の中へしまいこむ。直ぐに銃を構えた。
 音は、がさがさと続いている。
 明らかに風の起こすそれではない。
 ……だが、人の起こすそれでもない。
「犬だ。わかるな?」
八俣は安心させるために胸の中の彼女に言いきかせた。それなのに、震えは収まらない。薬で抑えていたが精神のバランスはもうぐちゃぐちゃなのだ。
 ―――いつのまにか、慟哭に変わっていた。
 ゆっくりゆっくり背を撫でている。
「……だ……も……やだ……
 行き……たくない……いやだ……行きたくない……
 ……日明ぃぃ……会いたいよぉ……ひあきぃぃぃぃ……」

 聞こえないふりをしてあげるから。
 少しは、素直になりなさいよ。

 何処かに連れて行かれるのだろうか。
 ……と、彼女の言葉から推測するが、それにしてもわからない。後で現朗と相談しようと心に決めた。
 遠くから二人の足音が聞こえたので、蘭は無理矢理嗚咽を抑えて腕の中から出ていった。