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どんどんっ、どんっ ノックというのにはあまりにも乱暴すぎる音が聞こえたので、寝台に疲れた身体を横たわらせていた天下の警視総監八俣八俣は首を起こして顔を上げた。 部下ならばまず電話を寄越す。 いや、それ以前に、大きな事件を終わらせたばかりの彼に夜中一時過ぎに来るはずがない。明日まで待つはずだ。 この時間に訪れるような常識外れの人物を数人思い浮かべているうちに意識が明瞭になってきた。 ノックは、止まない。 今やノックというべきではないような、とんでもない音になっている。扉が壊れないのは拳銃や爆弾でも問題がないようにした特注品だからだろう。そうでなければはじめの一撃で穴が空いていてもおかしくない。聞きなれたリズムに一人の顔が浮かんだ。 ……あの馬鹿。 やれやれと思いながら身を起こす。 相手が彼女となれば、居留守をしても意味がないだろう。なんとしても乗り込んでくるに違いない。八俣に常識外れの知り合いは多いが、中でも彼女はぴか一だ。 どうやら、疲れたあまり制服のまま寝ていたらしい。確かに玄関の扉を開けた後の記憶は一切なかった。体は休みたいと悲鳴を上げているが、そういうわけにはいかないと言い聞かせて気力を振り絞る。 身の安全のみを考慮して買った家は、一人暮らしには贅沢すぎるほど広く、寝室と衣装室、食堂に使う三室を除いてはほとんど使われていない。 生活感は微塵もないが、週二回来る通いの手伝いのおかげで埃一つなく整然としている。 急ぎ足で廊下を渡り、玄関について明かりをつけた。見れば、扉が歪むほどの勢いで殴られていた。 ……うわぁ。 買い替えの予算がよぎって頭が痛くなる。 だが今は扉の値段よりも、この迷惑な闖入者を黙らせるほうが先だ。 意を決して三つの錠を外し、ノブに手をかけた。 「開けるわよ」 「だりゃぁぁぁぁ―――っ」 八俣が扉を開けると同時に、気合の入った声が飛んでくる。 見れば目の前で足蹴り直前の女。 足の狙いは完全に取っ手―――今は、八俣の腹だ。 それをだいたい予想していた彼は扉を開けたのとは反対の手で軽く受け止めた。 「……人の家を壊すな」 「開けてくれないからだっ!」 つかまれた足を無理やり引き戻して、彼女はずかずかと家に入り込んできた。 おいおい、と八俣が思っている間にどんどん廊下を歩いていってしまう。声をかけるのは、少しためらわれた。それは、彼女の格好があまりに異様だったからだ。 夏の夜、熱帯夜。 …………だからといって、あの零武隊を率いる日明 蘭が白い浴衣一枚で外を歩くことがあるだろうか。帯も軽くしか締めていないので首元は大きく開いて肌が見えた。その上裸足だし、なぜか左手には枕を抱えている。 相手が彼女でなければ暴漢に襲われそうになったから逃げてきた、といっても話が通る。 蘭は八俣の驚きをよそに、勝手知っている家の奥までいって寝室に入っていた。そして、日本では非常に珍しい大きな寝台にのりこんで、夏蒲団を奪って頭からかぶって丸くなる。持ってきた枕を胸に抱えていた。 遅れてきた八俣は自分の寝台が取られたことに気づいて、当然ながらまずは怒りがこみ上げた。 「ちょっと日明大佐。 ……これはどういう状況か説明してくださる?」 扉のところで腕を組みながら見下ろして軽いジョブ代わりに嫌味をぶつけてみる。すると。 「…………今夜から一週間お前の布団は零武隊が徴発する。以上」 聞こえてきた返事は、彼の怒りを宥めるどころか誘発するものだった。 そうでなくても疲れきっているところの迷惑な闖入者。普段は忍耐力のある彼だったが、これで冷静さを保てというほうが無理があった。 顔を引きつらせて壁を拳で思い切りたたきつける。がんっ、と轟音とともに家が揺れた。 「以上じゃないわよっ! こっちだって疲れてんのよっ。 日明は他人の家の布団に入り込んだらマジ切れするでしょうがっ! さっさと出てって帰れっ」 「無理だ」 「……俺は本気で眠いんだよっ。お前のつまらない悪戯に付き合っている余裕もゆとりもないっ」 一息で言い切り、荒い息を吐く。 しばらくは返答がなく、沈黙だけが続いた。 答える様子もなかったが、出て行く様子もない。 と、その時。 ぐずっと、洟をすする音が猛る彼の耳に届いた。 …………え? 彼がその疑問を考える前に、蘭の細い声が聞こえる。 「ひっ……日明は、出張だ。一週間は戻らぬ。それまで……だから」 よくよく注意してみれば、布団が小刻みに震えていた。 間違いなく、彼女は、泣いている。 少しだけ心配になって、いきなり怒ってしまったことへの後悔が去来する。 白い軍服をまとって横柄に闊歩する以外機能を搭載してないようなアレだけれども、あれはあれで一応人間なのだ。 「……何かあったの?」 先ほどは打って変わった穏やかな声で優しく尋ねると、今度は連続的に洟をすする音が聞こえてきた。どうやら本格的に泣き始めてしまったようだとわかって、寝台の横に腰掛けてゆっくり布団の上から撫ではじめる。 「先ほど、家に戻れぬ事情が発生した。 め、迷惑はかけんから……日明が戻るまでここにいさせろ」 最後の意地を張ってなんとか命令調であるのだが、非常に弱弱しい。 丸くなった布団の塊を覗き込むと寝台にしっかりとしがみついている。無理矢理離されると思っているのだろう。 確かに、寝台から引き離して家からたたき出すとか、そういう手段がないわけではない。 だが。 「はぁ…… わかったよ」 八俣もまた、疲れていたのだ。 とにかく寝たい。 一番穏便に解決するのは、すべて明日に回すことだ。一週間というとんでもない命令は首肯できないが、一日くらい寝場所を奪われてもさほど大変な話ではない。 「じゃあ、俺はソファで寝るからな。扉の修理代は払えよ」 行こうとする男の服の裾を、いきなり、白い手がつかんだ。 「……隣で、寝ろ」 いつもとんでもないことばかりする女だとは思っていたが、流石にその行動の意図が読めず固まってしまう。勿論蘭のことだから深い意味がないのだろうが、それは不意打ちに近い攻撃だ。 続いて聞こえる小さな声。 「う、うなされていたら、起こせよ。起こすんだからな。 悪夢見ていたら即座にだぞ。 直ぐにだからなっ」 意識がかなり遠くまで言っていた彼はその言葉に引き戻された。 動揺したことを悟られないように気を使いながら口を開いた。 「家にいられないって事情は呪いか? それなら、カミヨミのところに連れてってやるぞ」 ぐっと引っ張り出そうとするがそれには抵抗する。 「…………言えん」 それだけ言うと、蘭はだんまりを決め込んだ。 手替え品を替え質問をしてみても返答はない。しかし、どれだけ引っ張っても手が解かれる様子もない。 彼女の塵のような抵抗など無視して払っても良かったし、部屋を出て行っても良かった。だが、昔から知っている恐れを知らない弟弟子がここまで怯えて泣きじゃくっているのを無視することは、気が引けた。 皺になるんだがなぁ。制服……。 とは思ったが、まあ仕方がない。それにすでにこれで寝ていたのだ。今更言い訳をするつもりもない。 八俣は広過ぎる寝台の隣にそっと圧し掛かる。 寝台の表面は少し歪んだが、二人寝てもきつくないところを評価して買ったそれは、存分に力を発揮した。 その動きに安心したのか、白い手が離れて夏掛けの中に戻っていく。 しばらくすると落ち着いた寝息が聞こえてきた。魘されるような様子はない。 面倒臭いからすべては明日になってから考えようと思いながら、手元のスイッチで部屋の照明を落とした。 |
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