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一人にしないように気をつけてくれる? と警視総監から言われたのもあったが、それ以上に大佐の不審な行動が気になっていた現朗は、言われなくとも彼女から少しも離れないように注意していた。彼女はとにかく一人を怖がっているようだ―――と警視総監は言った。あの大佐にそんな馬鹿なことが、とも思ったが今の状況はどこをとっても彼の想定外のことなので、その意見には素直に従っておこうと心に決めた。 外見はそう変化はなかったものの、仕事中一回も逃げ出さず、一人考え込む時間が長くなったように思う。 丸木戸教授が精神安定剤の量を増やしたと報告に来た。 「何か、変わった点がありましたか?」 「ま。ちょっとバランスが悪くなっているようでしたから安全を考えてね。少し体温が高いようだから。なーに。多分なんでもないっしょ。 怪我も病気もなし。激君が食事のバランスを見てくれてますから肝臓も良好」 肝臓? 聞いて、ふと現朗の頭に疑問が浮かんだ。 そういえば大佐はここ数日一回も酒を飲んでいない。激や八俣が飲んだときでさえ、飲もうとしなかった。中将のいないときは恣に飲むので丸木戸が血液検査で目を怒らせるのが常だというのに――― 「休みをとらせたほうが良いでしょうか?」 「うーん……。それは勧めたんだけど、仕事が忙しいからって頑なに断ってきたから無理だと思うよ」 教授が休みを勧めた。 となると、やはり事態はそう楽観的なものではないらしい。 ポーカーフェイスの上手い彼の表情からはそれ以上のことは読取れなかったが、教授もどこか引っかかるものを感じているようだ。 大佐は日明中将が出張になると、これでもかっというほどに元気になり、我侭になり、悪戯好きになる傾向がある。ゆえにテンション高い彼女を抑える術はいくらか現朗の本能に書き込まれたが、逆に塞ぎこんでしまった上官を引きずりだす方法は浮かばなかった。 部屋を貸してやる八俣、薬を処方してやる丸木戸――― その二人に比べて、なんと自分は役に立たないことか。 己の無力さをかみ締めながら、教授から診断書を受け取った。 ***** 儚い、なんて彼女に対して感じるなんてありえないだろうと思っていたが、ぼんやりと遠くを見ているその姿はどこか一瞬で幻になってしまいそうな雰囲気があった。 「……なあ、丸木戸教授」 かすれた声で蘭が口を開いた。 漆黒の瞳は遠くの景色を映したまま、首は窓の外を向けながら尋ねてきた。 「私がいなくなったら、君は、どうする?」 二人きりの馬車の中で、丸木戸はその質問に戸惑わなかったといえば嘘になる。現朗に聞かれるまでもなく彼女はここ最近おかしかった。いつもの血圧が上がる方向性のものならば、陸軍特秘機関研究所の床や壁がいくつか壊れるだけで済む話だが、珍しくその逆だった。 心理治療なんかしてみます、と軽くいってみると無言で拒絶した。医療という自分のもてる全ての力を使っても、蘭の助けにならないことが、今、彼は酷く悔しかった。 馬車は酷い揺れだった。 雨上がりの上、ここは有名な悪路だ。 轟音の中では小さな声は聞き取れないことがある。なのに、彼女は聞こえたことを確信していた。教授の動揺がわかりやすいくらいわかりやすかったからだ。 「……どうするのか、訊いている」 だから答えろ、ということか。 ったく、と心の裏で舌打ちしながら、丸木戸は視線を頭上にそらして考えをまとめる。 聞いたこともない憂いを帯びた声で――― 儚い雰囲気を背負いながら――― なんてことを、訊くんですか。 言ってやりたいその感情を胸の奥底にしまうのに、少し苦労が必要だ。 「……捜しますよ。 大佐に仕事をサボられたら捜すのが零武隊の使命ですからね」 真剣に尋ねているのをわかっていたから、あえていつものおちゃらけた調子で言い返してみた。 ようやく、振り向いた。 さらりと長髪が流れる。 ここ最近、帽子を脱いでいるときが多いような気がする……などと別なことに意識がとられた。 「サボるとかの話ではない」 蘭は怒っているわけではなく、かといって不真面目なわけではなく、ただ事務的に付け加えるように言う。逃さない、ということだろう。 ……わかってますよ、言われなくても。 丸木戸は、眼鏡をかけなおした。 「……それでも、まあ。 捜しに行きますよ。俺は」 彼の一言に、やけにむきになって彼女は命令する。 「そんなことをしなくていいっ。 君は次の隊長の補佐をしろ。わかったな」 くくく、と丸木戸は喉の奥で笑った。 たとえこの鬼子母神に怒髪天を突く勢いで攻められてもひらりとかわせるのが、彼が彼女の傍に居られる所以だ。長い付き合いは伊達ではない。 互いに、相手の本気も嘘も逃避も何もかもが手にとるようにわかる。 「俺が素直に命令従うとでも思っているのですか? 貴女らしくもない。 俺は俺の好きなようにしますよ?」 これは、彼の本心。 「軍人なれば真摯にお国のために忠義を尽くさぬかっ。このたわけ者がっ」 これも、彼女の本心。 「……じゃ、きちんと尽くすよう見張っていて下さいね。大佐」 ニコッと不意打ちのように微笑むと、蘭が一瞬呆気にとられる。その隙に教授は腰を上げて、がばっと覆いかぶさった。ぎょっとする蘭の顔を見ながら、彼にしては酷く真剣な眼差しでみつめる――― 「……誰もが誰も、貴女のように強いわけではないのですよ。 貴女の下だから、ここに、居られる。 そういう弱い軍人だっているんです」 そして、これも彼の本心だ。 至近距離で蘭の顔がみるみる翳っていくのがわかった。 なんてことを言うのだろう。わかっているのに。それが彼の本心だとわかっているのに。……わかっていることを敢えて言わせた自分が悔しい。 手で胸を押されて、丸木戸は、元の席に戻される。 「……もしもの話だ。すまぬ。気を使わせた」 「いーえ。 薬で気が休まらないようでしたら、こういう問答も重要な回復手段ですよ」 「…………。 だが、私がいなくなったら、後任を頼むぞ」 「…………まだ言いますか?」 |
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