あなたと
それではまるで
世界を一瞬で変えた、その
沈みかけた 手が触れるたび 屈み込んで 空の雲を手で掴むには ああとても 開いた扉の 夢の中の住人は君に |
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現朗は身動きできない暗闇の中で、色々と考えた。 何故、こんな状況になったのか。 まずは、いつも通り日明蘭を『国賊』と罵る男たちが現れた。彼女の命令を受け、すぐにそれを駆除した……と思ったが相手も色々考えていたようだ。全員駆逐したと思ったとき、頭上から音が聞こえた。見上げると、そこに人影があった。馬車は丁度トンネルを抜けたところにあり、そこから岩を落とされたら直撃する。 中にいれば無事ではすまない。 馬車の中には彼女がいる。 そう思うと、体が自然に動いていた。 振り落ちる岩を見ながら馬車の一部を切り裂き身を飛込ませて――― 「……気がついたな?」 「……大佐」 真っ暗闇の中……と思っていたがそれは思い違いで、実際は薄く明るい。酸素には困らないだろう。しかし外界の音が少しも聞こえないところから考えると、完全に瓦礫に埋まってしまったようだ。 彼の体の上には、人が乗っていた。誰と問うまでもなく、蘭だった。 向かい合わせで抱き合い、胸と胸が密着し、顔は近いのに見ることができない。何故このように覆いかぶさられる状態になったのか、そこらへんの記憶はない。 「ご無事ですか?」 「ああ」 「鉄男が外におりました、救出はすぐ来ます」 「……まったく。やってくれたな。怪我はしたか? 動けるか?」 「怪我はしていないのですが……」 現朗は蘭と土砂の重さが加わって身動き一つ出来そうにない。手は完全に埋まっていて、指すら動かすことがきない。 一方、彼女は、少しは動くことは出来るようだ。 「ぐっ!」 部下に怪我がないと知ると、地面についている腕に力をこめて、身を起こそうと踏ん張る。救出など待ってられないのだろう。だが、重圧に負けて、ばすんと落ちてくる。気を使って多少衝撃は緩めているのだが、そのいきなりの衝撃は現朗の脳髄を刺激した。 彼女が動くたびに細かい瓦礫がばらばらと顔の側まで落ちてくる。 やめてくれ―――と現朗は言おうとしたがぐっと堪えた。 酷い状態になる前に、おそらく、救助が来る。それまで待てばいい。心で九字を切って精神を宥め、平静を保った。 一方彼女は、無意味にも挑戦を繰り返していた。足の位置を変えたり、手の位置を変えたりしたが、いかんせん上の土砂の量が多すぎる。そのせいで、ぐっ、はぁっ―――と不自然に息が荒くなる部下の変化にさっぱり気づかない。 だんだん彼女も腹が立ってきた。何故こんなにしても動けないのか。救援を待てばいいのだろうが、こんな姿を部下に晒すのは屈辱だ。犬にこんなことをされたなんて、きっと中将どもは絶対陰で笑うだろう。丸木戸にいたっては正面きって笑うに違いない。 そんなところに。 「……お願いです……き……救助を待ちましょう」 とうとう彼が耐え切れず、声を出してしまった。蘭は不機嫌最絶頂だ。 「待てるかっ。お前もなんとかしろっ!」 ずりっと。 男の太ももに挟まれた足を移動させる。その刺激が敏感に男の本能を刺激する。布越しに伝わってくる体温が、暗闇なだけに意識が集中してしまう。 彼のことなどおかまいなく、彼女はまた始める。 そして、 「……はぁっ」 吐息が耳元に聞こえると同時に。 ばたん、と、胸の中に落ちる。しかも今回は腰が持ち上がっていたので、下半身にも当たった。 「待ちましょう。お、お願いします……」 彼の声はもはや震えていた。半泣きだった。 夜の営みの時ですらこんな声は聞いたことがない。健全な若い男としては、据え膳状態なんてものではない。わざとやっているしか思えない。 「お前も、少しは協力せんか」 「き……協力したいのはやまやまですが」 しかし、そんな青年の気持ちなど一切知らず、彼女は苛ついた口調で罵る。 「下からつき上げるとかできるだろうが。気合でっ!」 ぶつっ。 理性の一線が、鉈で切られたのを確かに感じた。 現朗はもう、前のように焦ることは無かった。腹をくくったのだ。 彼女がまた体を持ち上げたので、胸に戻ってきたときを狙って、口を開く。 「……待てって言ってるのですが。 お聞き入れ願えませんか?」 妙に冷たい声だった。 上官になんだ、と言おうとした蘭の口が、そのままの形で固まる。 「動くたびに刺激なさっているんですよ。 どこで覚えたんです、そんな技術。床の中じゃ小娘のようなのに」 現朗は腰を動かしていた。熱を持ち始めたその部位を、自分の同じ部分に宛がってダイレクトにそれを伝える。軽く腰をあげて動かした。 蘭の血の気が引き、全ての筋肉が硬直する。 のっぴきならない状態。 食われる。……いや、食われかねない。 「し……職務中だからな変な……」 「体、無駄に動かさないで下さい。中途半端に擦られると辛いんです」 上官の言葉をさえぎって、淡々と言う。口答えなど、普段なら即座に怒りの鉄拳制裁が来てもおかしくない行動だったが、蘭は無言で幾度も首肯した。 目の前に、小ぶりで形の良い、白い耳がある。しゃぶって下さいと鎮座しているように見える。 にやりと笑って、赤い舌を、ゆっくりと伸ばした。 「ひゃぁっ」 暗闇で意識していたせいか、予想外にいい声を出す。 くつくつと喉で笑った。 「……なんのつもりだ」 「さてね」 「殴られたいのか?」 「殴って止めて頂ける方が楽なんですけれどね。……殴れるものならば」 女の体が震える。 ……現朗はずっと考えていた。こういう内容となると、頭は普段の倍以上働くらしい。先ほど彼女が失敗していたのを見るに、どうやら上にも随分の土砂が溜まっている。そして暴力が呼吸の一部に組み込まれている彼女が先ほどから一回も殴ったり蹴ったりしてこない。 ということはつまり、今、この状態から蹴りも拳も繰り出すことは不可能だ。 彼は、羽をもぎ取られた蝶を思い浮かべていた。震える足が、長い口が、触覚が、大きな複眼がそこにあるあの可哀想な生物を。ただされるがままに、抵抗することはできず、つつけば面白い反応を返した。 面白い―――。 「そうだ。擦ってもいいですか? 我慢するの嫌なんですけれど」 軽く言い放つと、効果は絶大。 「だ、駄目だっ。絶対駄目っ。 頑張ればなんとかなるだろっ!」 泣きそうな悲鳴が落ちる。パニックになっているようだったが、体を動かさないように、必死で小声に抑えている。 「さあねぇ。でも、さっさとすれば困らないでしょう?」 それは冗談のように明るい口調だったが、かなり本気だった。散々煽られて、気が狂いそうだ。腰を動かしてさっさと楽になってしまいたい。隊員らが来るまでまだ時間はある。 すぐにすれば、ばれるはずがない。 一方蘭は。 何度も何度も九字を切っていた。儚い(多分もう今はない)男の理性に期待していた。今武器は無いし、武器がないことを相手も知ってしまっている。慌てたら完全にやられる。それは彼との生活が始まってから何度も辛酸を舐めさせられ身にしみて覚えている。 いきなり現朗は、下肢を動かした。 「何をしているっ」 「……足が痺れたので組み替えているだけですよ。それがなにか?」 男の一挙一動にびくびくするのが心底悔しくて、色々思いを巡らせる。 考えろっ。考えろっ! 必死に探せば見つかるもので、いい考えが閃いた。 今、男がその気になりかけているから怖いのだ。 萎えさせてしまえば怖くはない! 「な、何か、気の紛れる話をしないか」 「ふうん」 それは面白い、と現朗は挑発的に返す。 返事をしながら、頬と頬を擦りあわせる。柔肌、気持ちが良い。そして、また耳に舌を這わせた。 さっきのような反応は返ってこなかったが、微妙に顔をずらして逃げようとしている。その小さな動きが余計に嗜虐心をくすぐる。 「ええと……」 話で気を萎えさせようというアイデアは良かったのだが、実際どういう話をすればいいのかが思いつかない。 ―――だいたいこいつに話すことなんてないだろっ。今更っ! と、夫婦の危機一歩手前のことを考えながら、身を守るためにそれではいかんと頭を振る。このままでは確実に現朗は職務中だろうと関係なくやる。絶対にやる。忍耐と我慢とは程遠いところに生息している生物だ。 話題を思いつくために、時間系列を必死で遡った。 「あ。朝の食事……美味かったな」 現朗手製の朝食を思い出した。普段一度も言ったことのない言葉だ。 「そうですか。ありがとうございます」 「ええと。玉子焼きが……」 「それは昨日ですから。一応言っておきますが」 が、反応は冷たい。あたりまえだ。 「……あ、あ、あ。 なすっ。なすと、きゅうりの漬物が美味しかったぞ」 どくどくっ――― ……と、血管が最大限まで活動する。 相手の心音を聞きながら蘭の背筋に冷たいものが走った。 「お前のぬか漬はほんと……美味いな。瓜とかもいいし……ええと…… ―――って! なんでそんな興奮するんだっ」 「あっはっはっは☆ なんででしょう〜」 普段なら絶対聞けない朗らかな笑い声が、異常に怖い。 「私は漬物の話をしているんだぞっ。聞けっ」 「……世には変わった趣向というものがあるのですよ。 教えてあげましょうか?」 「なんだっ。それはっ」 今、蘭が彼の顔を見ることが出来たら自分がとんでもない失態を犯したことに気づいただろう。現朗の顔は表現しがたいほど歪んでいた。愉悦で。 ふっ……と耳に息をかける。 我慢して、口を閉じる。 「……昔々。 ある男が江戸から村へ帰る途中の出来事でした。彼は村からの出稼ぎでした。毎年村と江戸を往復しておりました。 その道の途中、彼は何を思い出したのか、突然、下半身が興奮しました。収まる気配はありません。しかし、目の前に広がるのは瓜畑ばかり。この道中で致すの恥ずかしくて、彼は瓜畑に身を隠しました。 そして瓜をとって……」 「待て、待て待てっ! 言うなぁぁーっ。ストップ、ストッぉぉぉプッ」 お前の頭には何が詰まっているんだっ、と力一杯問いたい感情を必死で堪えて、蘭は次の手を考える。 「ええと。朝食はいいから……」 「まだ茄子と胡瓜が残ってますが」 「聞くかぁぁぁっ! 聞くもんかぁぁぁっ! お前私が折角なんとかしてやろうとしているのに―――」 「俺はなんともして欲しくないんです」 全ての言葉を否定して、現朗は蘭の体に密着させようと動き始めた。 蘭と現朗の必死の攻防は、結局一分も持たなかった。 救援部隊が到着と同時に即座に瓦礫撤去をしてくれたので、現朗の志半ばで彼女は自由を手にいれることが出来た。 「……現朗、ここは、お前が、一人で、始末をつけろ。 元帥府にここが崩壊したことを報告し、交通規制をするよう警察にも連絡しておけ。真、護衛を頼むぞ」 全員の視線が、まだ半身を瓦礫に埋められたままの金髪に集まる。 彼が護衛からはずされることは滅多にない。 だが現朗は気にした様子はなく、わかりました、と答えた。 「先ほどのお話の続きは、家で致しましょう」 蘭の帰宅拒否はその後一週間続いた。 |
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