あなたと
それではまるで
世界を一瞬で変えた、その
沈みかけた 手が触れるたび 屈み込んで 空の雲を手で掴むには ああとても 開いた扉の 夢の中の住人は君に |
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それはまるで、俺に対する挑戦。 結婚してから数ヶ月、連れ子の天馬との仲も非常によく、夫婦生活も比較的上手くいっていた。 始めは同僚たちには関係のことを隠していたが、それもすっかりばれてしまい、結果快く受け容れてもらえた。現朗の心配していた妬みややっかみは今のところないが、蘭の心配していた揶揄や冷やかしは大量に発生した。 ……お前のせいだからな。 涙目で責める妻をよしよしと撫でてやると、さらに憤慨するのが面白かった。ただ調子に乗って遊びすぎるとキレてしまうので、勿論その後機嫌をとることは忘れない。 だが、職場は同じとはいえ、一兵卒と大佐。仕事内容は大きく異なる。毎日一緒に帰ることは出来ないし、蘭は人との付き合いの関係で遅くなってしまうことが多い。 そして昨日は、彼女は参謀本部の会議の後夕食に出席する必要があり、現朗は天馬と二人きりで夕べを過ごした。 そして、朝。 隣にいるはずの妻がおらず、探して居間まで来て見ると、いたのだ。そこに。一升瓶を抱えて。 「ぐぅ―――」 ちゃぶ台の上は酒の肴と杯、そして空き瓶で汚れている。その横で、座布団を枕に涎を垂らしながらぐっすり眠りこけていた。 「……いい度胸してますよね。まったく」 これは一度二度ではなかった。 彼女は一人で夜遅くに帰ると、そのまま真夜中から酒を飲み始める。一人飲みでペースがつかめず、大量に飲んでそのまま居間で眠ってしまうのだ。 現朗はその度に、片付けはいいから布団で寝てくれといっていた。しかも昨日は、それを心配してわざわざ夕食会に行く前にいっておいたのに。 居間の雨戸を開け、朝日を取り込む。まだ柔らかい日差しだ。 ちゃぶ台の上をてきぱきと片付け、現朗は食事にとりかかった。天馬は既に起きて、一人道場の朝稽古に行ってしまうのでもう居ない。 味噌汁が出来上がるころになって漸く、むにゃむにゃと目を覚ました。 「……うつろ……おはよ……」 あどけない表情を浮かべる蘭の頬に、隙とばかりに口付ける。寝ぼけ半分の彼女は普段からは想像もつかないくらいに素直だ。 現朗が最後に口に接吻をすると、自分から舌を差し出してくる。それを思い切り吸い上げた。 が。 はっと、彼女の目に正気の色が戻った。 ぐぐっと手で男の体を押しのけようとする。 暫くして、顔を離した。 「おはようございます」 「お、お早う」 絶対零度の目で睨まれて、背筋が一気に凍る。夫が全然笑ってない。 確かに、笑えるはずもない。 昨日あれだけきちんと約束したのだから。 雷が落ちてくるのを予想して、着物と居住まいを正した。 「……もうすぐ朝食ですから、顔を洗って着替えてくださいね。天馬も戻ってきますよ。ああ、水でも欲しいでしょうね」 しかし蘭の予想に反して、言うだけ言って台所へ行ってしまう。 ……もしや。お咎めなし? 僅かな期待に、心を躍らせた。冷たいと思っていた顔も、もしかしたら地の表情の可能性もある。だいたいアイツは表情にパターンがないんだ、そうだ、と大変失礼なことを心中繰り返して納得した。 現朗は水の入った湯のみを用意すると、すぐに戻ってきた。 ばんっ。 湯飲みが、ちゃぶ台に割れんばかりに叩きつけられる。 眼前の茶器を呆然と見つめながら、絶対に夜酒で寝込むのだけは止めようと心に誓ったのである。 そして翌日。丸木戸教授に付き合わされて、夜遅くまで実験のデータと結果を聞かなければならなかった。 時間感覚の崩壊している彼に合わせると、本当に深夜まで作業が及ぶ。 結局蘭が家路についたのは三時―――もはや夜とも朝ともいえない時間だった。 家は当然ながら静まり返っていた。 今から寝ても三時間かそこらしか休めないだろう。 「ま。じゃあ一杯して……」 足取り軽く酒置場に向かう。再婚してから悩みも文句も一つもないが、料理の上手い現朗のせいで昔のように浴びるように酒を飲む機会が減った。ゆえに、時折、無性に飲みたくなる。身も心も溶かすほどアルコールを体に入れたくなる。 その依存性を夫だけが見抜いているのを、彼女は知らなかった。 酒置場は台所の片隅だ。 ……が、そこに、今まであったはずのそれがない。 首をかしげ、あたりを引っ掻き回し始めた。料理酒までもない。戸棚や押入れを開けても見当たらないし、納戸にもどこにもない。 あるモノがなくなると、無性に欲しくなる。始めは遠慮がちだった蘭も、次第に動きが大きくなった。戸棚を全て開け放し、座布団をひっくり返す。廊下に積んであった空箱を蹴り崩した。しかしいくら探しても見当たらなかった。 家中、隅から隅まで探しても、ない。 考えられる場所は残り二つだ。一つは天馬の部屋。そして…… 「寝室、か」 足音を殺して、寝室へ向かう。 丁寧に布団が並んで用意されていた。 一つには既に使用中。そしてその奥に、酒瓶が山になって置いてある。 「……宝の番人にでもなったつもりか?」 くすり、と笑みが浮かぶ。 一歩、二歩、そっと足を忍ばせて向かう。男の寝息は安定している。目当てのもののそばにたどり着く。手を伸ばせば、届く距離。 刹那。 「ひっ」 がしっと、足首を掴まれた。驚きのあまり声が漏れる。 手は強制的に足を引っ張った。 バランスを崩して、そのまま床に倒れこむ。 が、男は倒れる位置に先回りしてしっかりと支えので、痛みはなかった。 「お帰りなさい」 「お、起きていたのかっ!?」 「……まあいろいろと。先に俺の方を見れば我慢してあげてもいいと思ったんですけれど、一直線に酒に向かうとはね」 現朗は言いながら、蘭の帯を外しにかかる。 手で抵抗をみせたが、百戦錬磨の彼の脱がしの技術には到底叶わない。あっという間に帯は解かれた。 逃げようとする彼女の首に左腕を回し、強制的に振り向かせて唇を奪う。 「ふっ……うっ」 いやいやと顔を振るのを無理矢理そのままにさせて、その間右手で着物を脱がした。寝る前だったので、一枚しか羽織っておらず、すぐにその白い肌が男の目に晒された。 漸く、顔が離れる。 蘭の濡れた唇を、名残惜しそうに一舐めし、 「今日は手加減しませんので。そのおつもりで」 最後通牒を突きつけた。 受け取った挑戦は、きっちり倍返してやるのが俺の信念。 |
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