鬼子母神編 教授編 狸編 隊員編・1 隊員編・2

      同性愛編 隊員編弐 解決・1 解決・2
 ・・・  懊悩と解決  ・・・ 


 菊理が零武隊の仕事を終わらせたのは、すでに深夜をすぎて東の空は薄く明るい時分だった。月は、光を失い、ただそこにある白の星に変わっていた。青の、深い青の空に烏が啼き飛び交う。天には吸い込まれてしまいそうな虚空があるばかりで、星はほとんど見えなかった。
 馬車での帰り道、ぐっすりと眠っていた菊理は家のすぐ側で目を覚ました。
 蘭の肩を借りて気づかぬうちに夢の中へ潜り込んでいたようだ。
「寒くないか、姫?」
「……です。大丈夫、ですわ」
「もうじき着く。眠っていなさい」
程なくして近円寺邸に着くと、馬車から蘭だけが下り、玄関の戸を自前の鍵で開ける。それから少女の下に戻ってきた。菊理の軽い体を姫抱きで持ち上げて、ずかずかと家に入り込む。いつも朝帰りになったときはこうして、部屋まで運んでくれる。蘭と菊理の二人だけの秘密だ。
 安心して菊理は身を預けた。とくん、とくんと聞こえる心音に暖かな人肌。朝の寒さで凍えた体にこれ以上気持ちのいいものはない。
 少女の部屋の前に立つと足で器用に襖を開く。着物や小物に飾られた部屋は、残念なことに寝具の用意はしていなかった。予定外にも早く帰ることができたのだ。
「少し待っていなさい」
入ったところの長椅子に少女を下ろし、まめまめしく布団を整えて招き入れる。
 菊理は横たわると、丁寧に掛け布団を胸元までかけた。蘭の一瞬の隙をついて、少女の細い手が軍服の端をつかんで握り締める。
「……姫」
と、少し脅すような声を出しても、聞きそうにない。半分夢うつつなのだ。普段の彼女なら我慢するだろうが今は本能のままだ。
 押して駄目なら、引くしかない。安心させる笑みをみせて、その髪を優しく撫でた。
「外の馬車を返したら、戻ってくる」
ようやく少女は手が緩む。ヨミをした後は夢見が悪いし、邪霊もたかる。一人は不安なのだろう。
 御者に帰るよういい、それから蘭は戻ってきて刀を枕の上に置く。上着を脱ぎ、身軽くして菊理の横にすべりこんだ。間髪いれず、少女の細い腕が絡まる。優しく、優しく撫でる。それだけで次第に落ち着き、そして、穏やかな吐息に変化した。
 暗い部屋。
 護符や結界によって薄暗い、不気味な部屋だ。少女の心音が安定した時、小さな声を聞いた。
「……大佐……申し訳ございません……」
「ん? ……何を、あやまる?」
「……申し訳ございません……」
それは、寝言だった。
 蘭はやさしく抱きしめ、己も軽い睡眠を貪った。



 菊理が目を覚ましたとき、すでに蘭は出て行ってしまっていた。いつもの召使いが服をととのえていると、突然、部屋の襖が開いた。
「菊理。聞きたいことがある」
同じ顔をした兄がそこに立っていた。後ろの瑠璃男の、なんともいえない情けない顔をみて、ふう、と彼女が息をつく。
「いきなり入らないで下さいとおっしゃっているではないですか。お兄様」
「僕に見られてはまずいものでもあるのか? おまえの体なんてどうせ僕と同じだ。
 そんなことより、あの鬼婆の顔と腹の怪我は、どうしたのだ」
「……軽い怪我だとおっしゃっていましたが」
「そうか。
 軽いならばいい。
 余計なことは話していないな?」
「お兄様……」
「天馬にもそう伝えろ。
 いいか、この件は全て僕が仕組んだ悪戯だ。何も話すんじゃない」
兄の下によって、その長い振袖の端を、ぎゅっと握った。
 帝月は何も言わなかった。
 それが余計に悲しくて、はらはらと涙を零しながら必死に何か言おうとする。だが、嗚咽が邪魔をして言葉にならない。
「さま……にぃ……さまっ……お兄様ぁ……」
違う。こんなことを、いいたいのではない。
 もっと自分が言わなければならない。
 兄はその気持ちをしっているが、それを絶対伝えない。少女の白魚のようなその手の上をゆっくりさすってやった。
「菊理。
 ……日明蘭も、僕がしたならば納得するし、問題も大きくならない。
 おまえはあの女の信頼を勝ち取っておいたほうが、今後も都合がいい。わかるな?」
 少女は涙を拭こうとせず、そのまま首をいやいやと横に振る。それでも少年の決意を動かすことはできなかった。
「坊ちゃん。わいが……」
「犬が主人の心配をするなぞ言語道断だ。
 ……菊理の世話を頼むぞ。ヨミの次の日は疲れるのだ」

「帝月」

と、その声の闖入は、三人を大いに驚かせた。
 白い軍服の少年が、いつの間にかそこに立っていた。菊理の部屋は廊下の突き当たりにある。ここまで来るのに気づかなかったのは、それだけ心乱されていた証拠だ。
 天馬の後ろにはさらに、二人の軍人が立っていた。金髪と黒が身のワンセット―――よく菊理の護衛を担う現朗と激だ。
「考えることは同じだな。
 駄目だ。四人全員で謝りなさい。
 庇ったとしても、大佐は必ずお気づきになる」
現朗がぽんと天馬の肩に手を置くと、唇の端をかんでうつむいた。