鬼子母神編 教授編 狸編 隊員編・1 隊員編・2

      同性愛編 隊員編弐 解決・1 解決・2
 ・・・  懊悩と解決  ・・・ 


 「ほう。
 数えで十五か」
「はい。
 菊理は十四ですね」
 天馬がいいながら横を向くと、婚約者は頬を染めて同意した。天馬の顔を見るたびに見せるこの少女らしい反応は、蘭は嫌いではない。そして白髪の少女の隣り、黒髪の少年はしれっという。
「僕もだ」
「へえ。坊ちゃんも十四になれましたか。そりゃ驚きで」
「……初なぶり、といこうか瑠璃男?」
すっくと立ち上がって、いきなり少年の肩に足を置く。ちらりとシャツの下からみえる十字の傷。冷たい目で睨まれても、瑠璃男のほうは平然と笑っていた。主人の本気と揶揄ぐらい、簡単に見分けがつく。
「帝月やめろっ。正月くらいちゃんとしないか。めでたい日だぞ」
「ふん。犬の言葉など聞けるか。だいたいめでたいかどうかは僕が決める。
 それよりも、今年もきちんと仕えるんだぞ。わかったな!」
「まぁた新年早々その話を
「お兄様ったら!」
「…………やめぬなら。帰るまでだが」
蘭はいいながらちらりと懐からぽち袋を見せると、その効果は絶大だった。
 帝月は勿論、天馬まですぐにもとのよい姿勢に戻る。予想通りの現金な態度に、少し苦笑してしまう。
 四人目の天馬に渡し終わると、いきなり帝月が封を空けた。ちらりと他三人が蘭の顔色を伺うが、彼女は開けるように無言で指示すると我先に袋から現金をとりだす。
 感嘆の声が漏れた。
 皆平等……といいたいところだが、彼女は菊理だけには三倍渡す。
「あ」
と、いったのは帝月。
「女性は必要なものが多い、なんか文句があるか」
不平を切り出しそうな少年に、彼女は堂々と切り返す。
 ―――元旦の、もはや慣例となっている光景に、思わず他の三人は噴出してしまった。去年も一昨年も全く同じやりとりだったのだ。
 正月。
 明治の世になって数え年の制度はなくなったが、それでもお正月に年をとると考える習慣そのものが打ち消されるわけではない。近円寺邸ではとりわけその趣は強く、家の主が体面を慮って派手な正月行事を開く。歌留多大会やら歌詠み大会やら。今年は餅つき大会が開催されて、庭からは盛大な掛け声と人のざわめきが漂ってきていた。
 始めはカミヨミの二人も参加していたが、天馬と蘭の二人が護衛のついでに挨拶に来ると、奥の間にひっこんで五人だけの正月を楽しんでいた。
 毎年双子には違う着物が贈られる。
 彼女と彼の美しさを最大限に引き出す苦心の作だ、と近円寺公が自慢げに(別に彼が苦心したわけではない)言っているのを思い出して酒を飲みながら笑みが浮かんだ。確かに彼の自慢に値するだけのものはある。双子というのは存在だけでもなかなか迫力があるもので、それが着飾るとなんともいえない緊迫感が空間にもたらされる。
 着飾った二人を前にして、蘭もやさしげに目を細めていた。
 見せびらかす、というのが、あの狸爺の楽しさでもあるんだが……こういう時はよいものだな。
 去年までは子供の柄だったが、今年の振袖の絵柄はぐっと大人びたものになっている。菊理は女性の色が仄かに香り、それがよく似合う。一緒に過ごす時間が長いので気づかなかったが、改めてみれば随分成長したものだ。
 目を移して自分の息子をみれば、確かに、去年よりも背が伸び(まだ小さいが)姿勢よく(威厳がないが)なっているが、やはり女性の成長にはかなわない。まだ子供めいた雰囲気がぬけていない。
 子供たちは歌留多遊びに興じていた。瑠璃男がお手つきしたと帝月が言い張り、天馬がそれを叱る。叱っている息子にいきなり抱きついて押し倒し、馬乗りになって犬のくせにとばたばた文句を言うと、菊理は少し本気で兄をたしなめた。お離れになって、私の天馬様に―――と、可愛い嫉妬に頬をそめるのは、天馬だ。
「……子供だな。やはり」
思わずそんな言葉が蘭の口をついて出た。
 言ってしまった本人ですら忘れてしまいそうな言葉を、地獄耳の帝月が耳敏く聞きつける。
「なんだと。鬼婆。
 このめでたい日でも嫌味の一つ言わんと気がすまんのか?」
馬乗りのまま、首だけをこちらにむけてきた。大きな片目が、きらりと光る。
「そういう態度が子供だというのだ。
 菊理の兄?
 その看板、早々におろしたほうがいい。姫のほうがよほど大人だ。
 顔が似ているのに救われたな」
ごくり、と杯をあおる。職務中ではあるが、まあ多少の酒は今日くらいいいだろう。
「そないはっきり言うたら坊ちゃん傷つきますわぁ」
からかう使用人をごつんと叩いて、それから少年はとことこと白服の軍人のもとまできた。
 むすっとしたその不満げで、覚悟を決めた顔。面白いことをするな、となんとなく予想がつく。天馬ははらはらして帝月を声だけでたしなめるが、こちらに来る勇気はないようだ。

「今日こそ言わせてもらうぞ。
 お前はお年玉も少なくするし、菊理ばかり可愛がるし、暴言ばかり吐くし―――僕に対する態度がなっとらんっ!
 僕は神だぞ。もっと崇め奉れ」

「当たり前だ。子供をつけあがらせてどうする」
「十四っ。大人だっ」
上目遣いで睨んで、馬鹿にするように鼻で笑った。少年がさらに口を開こうとした、その瞬間、さっと両腕を伸ばす。俊敏な動きについていくことが出来ず、彼はあっさりその両手に捕まる。
 目を白黒させる帝月をそのまま持ち上げて、膝の上に乗せてしまう。小さく、軽い体だ。
「……まだまだ子供だ」
くくっ、と、笑って挑発してやる。
 全て想像通りにことはすすんだ。
 が。周囲の反応だけは全くの予想外だった。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ―――」
耳をつんざく悲鳴と絶叫に、正直、驚いた。
「きゃぁぁ。大佐っ!」
「母上っ。何をしてますかぁっ」
「天馬ぁっ、天馬ぁぁぁ」
いきなりパニック、唐突の阿鼻叫喚。
 両手を放してやると、ばたばたと少年は出て行ってしまう。そして愚息の下に落ちつくと、蹲ってかたかたと震えている。菊理と瑠璃男がこちら側に来る。
 蘭が顔を上げると、なんとも表現しがたい表情をした姫の美しい面があった。
「……大佐。……なんの……お戯れで……」
半開きで震える唇の前に、可愛らしい握りこぶしが置かれ僅かに震えている。美しい化粧をした顔は真っ青で、唇も血の気がない。その言葉を言うのがやっとだったのだろう。それ以上いえずに黙り込んでしまった。
 言葉を、一番血の気の多い瑠璃男が引き継いだ。
「なんで、坊ちゃんを傷物にっっ! そんなにカミヨミの血が欲しいか己はっ!」
地団駄踏みながら言葉を荒げる少年。
 疑問符を浮かべる彼女をよそに、周囲のボルテージは頂点にあって下降する気配がない。
 いつのまにか部屋の隅では、なんかメロドラマチックな、なんか変な光景が広がっていた。
 主演、愚息と鬼子。
 天馬の膝に座って、はらはらと涙を落としながら見上げている。その表情は、いつものような胡散臭い色がない。
「……て、天馬。
 僕は……僕は……お前の父親にはならんぞ……
 ならぬからなっ……うっうっうっ……」
「大丈夫。帝月の子は大事な弟として育てる。
 安心しろ。今のは母上が悪い。だが、生まれてくる子供には罪はない。
 な。泣くな……泣くな」

「は……
 話がつかめんのだが……」

一応一番まともそうな菊理に、おずおずと尋ねてみる。何度も生唾を嚥下し、漸くか細い声が聞こえてきた。
「だって、その、大佐。お兄様をお膝に乗せて……席を同じくしましたでしょ?」
確かに彼女のいった状況は言い得ていて、うなずく。
 そして無意識にうなずいたと同時に、疑問も浮かび上がった。
 ……席を同じく?
 なんだ、それは。
 と、それを口にする前に。
「男女七歳にして席を同じうせず、や。
 知らんとはいわせんで」
射殺さんばかりに睨まれながら、回答が与えられた。

 ……いや。ちょっと待て。
 それの格言は知っているが、なにか勘違いしていないか? というか、国語力にすごい問題あるだろうそれ。辞書を引け、辞書を。礼記を読め、礼記を。

 メロドラマの二人組は先ほどから、弟やら、帝月の子やら、不穏な発言ばかりしている。
 それと、この四人の形相をまとめると―――彼らの誤解がどのようなものかだいたい想像がつくが。つくのだが。
「て、天馬。
 護衛は任せたぞ」
逃げ去るように場を後にして。
 この瞬間から。
 蘭の一連の苦悩が始まるのである。