鬼子母神編 教授編 狸編 隊員編・1 隊員編・2

      同性愛編 隊員編弐 解決・1 解決・2
 ・・・  懊悩と解決  ・・・ 


 上官の眉間の皴が深くなって十日、生贄(=丸木戸)が病院から直行して有給をとって二日目、零武隊駐屯所の空気は悪いどころの騒ぎではなかった。どういう因果で隊長になれたのか激しく疑問を覚える鬼畜上官のもたらす重く陰鬱な空気は、正直他のどんな攻撃よりもこたえる。これならば普段の通り殴って蹴られて俺様体罰を加えられているほうが何倍もましだ。
 運悪く最近零武隊好みの事件がなく、隊員たちはずっと駐屯所にいる他なかった。 普段ならば遊んだりサボったりしまくる彼らだったが、この重苦しい雰囲気が耐え難くて静かに黙々と仕事をこなしていた。 休憩時間と退出時間になると我先に逃げるように退出し、しかも上官に注意されるのが(心底)怖くなって一本抜けた行動をとる輩もいない。おかげで問題児の多いこの部隊にしては珍しく揉め事も起こさず、仕事も順調に片付き、総じて見れば事態がよくなっているのだが……
「……はぁ」
本日三十八回目を数えたため息に、一同の背筋が張る。
 激が半泣きで現朗に合図を送り、現朗は書類を書いたまま顔をあげずに横に振った。激の両隣り二人の隊員が静かに椅子を引き、そして黒板に向かう。
 ボードにある自分の名前の横に、白墨で『第六倉庫・掃除』と書き加える。ボードにある名前の一覧には、激、現朗、大佐の三人を除いて全てその一文が加わっていた。
 結局零武隊の隊員たちは、ある結論を得た。
 触らぬ神に祟り無し。
 朝五時から出仕して早朝から仕事を全て片付け、早々に退散し、武器庫の掃除と整理という名目で職場を退出する。零武隊が事件解決以外の通常業務を自らすすんでやるのは前代未聞の事態で、他の師団たちには不気味がられていたが、そんなことはどうでもいい。
 こうなると、逆に生贄として残されていく人物もしぼられてくる。寝起きの悪い激には五時に出仕することはまず出来ないし、デスクワークの多い現朗もどんなに早くから職場にきても全てを片付け切ることが出来ない。結局、いつも二人が取り残される運命だ。
「……はぁ」
三十九回目のそれに、また視線を送るが、現朗は強い調子で首を振る。

 どうすんだよこの状況。放っておいてもしょうがねえのに。皆逃げちまうし。誰かなんとかしろよって他人事みたいでさ。炎とか普段神とか自称してんのに情けねぇ。 ホントてめーら天下の零武隊のくせに意気地ねえっての。 ここのままじゃ俺がやるしかなくねぇ? だってしょうがないジャン。生贄の教授いないし。 いや、そうだ。俺しかないんだ。 世界を救えるのは俺の使命だぁ!

 勇者みたいななんか変な運命を激は悟ると、いきなり椅子を引いた。つかつかと部屋を出る。
 しばらくして黒髪の男はグラスを三つ、そして麦茶のタンクを持って戻ってきたのである。
「昼食の時間っすよ。大佐」
はっと、蘭が顔をあげる。午前中の仕事はとっくに終わって、今は事件待ち。元帥府からの呼び出しもないし、世間を騒がすような不穏なネタも最近はない。
「あ……ああ」
「一緒に食いません? いや、予定があるならいいんですけど、何か……その、悩みがあるみたいで。丸木戸さんいなくなったし、大丈夫かな……って」
彼は一応相手の予定を訊くようなそぶりは見せているが、綺麗に片付いた他の隊員の机に麦茶をおき、側の椅子を借りて三人の席をつくる。
 友人が「俺もかっ!」と非難げな目を向けるが、そこは有無を言わせない。生贄に一人でなるほどの勇気はない。
 蘭はおずおずと万年筆を置き、近所で買ってきている弁当を取り出す。用意された椅子に座ると、麦茶がさしだされる。激が右となりに、向かいに現朗が座った。二人は独身寮で用意されるので、昼食はほとんど弁当だ。
「で?」
「ああ?」
激が質問すると、一瞬遅れて蘭が応じる。珍しく緊張にかける。
「ああって、大佐……」
「……大佐が何をそこまで悩まれているのか、と、尋ねているのです。あまりに上の空ですね、近頃」
現朗が友人の言葉をとってつなぐと、蘭は麦茶を一口飲んでから答えた。
「仕事はよく片付いていると思うが」
「仕事処理の速度だけは大変よいですね。ですが、少しぼんやりしているようにお見受けします。
 四日前のこともありますし」
苦言に、一瞬険しい表情になる。
 四日前、というと普段通り彼女の馬車が襲撃され、普段通りそれを撃退し全て零にした、よくある闇討ち事件だ。だが、珍しく、彼女が傷を負った。てっきり爆弾だけで攻撃するのかと思いきや、鉄砲まで装備していたのに気づかなかったのだ。頬と髪一房で済んだが護衛は相当驚いていた。
 ……まあ、言われるのはわからないでもない。
「いらぬ心配だ。
 ……公私混同は気をつけているのだが、私用で少しあってな」
「丸木戸教授に依頼した調査の件に、何か関係がおありなのでしょうか?」
箸を持ち上げた手が止まった。蘭が弁当と秘密をかっこもうとしているところに、ずばりといわれたのだ。
 何故知っている、と聞きたかったが、言葉をすんでのところで飲み込んだ。実は零武隊の殆どが知っていたのだが(あれだけの騒ぎがあって知らないほうがどうかしている)そこまで彼女は頭が回らなかった。 そのくらいに最近の彼女は疲れ気味なのだ。
「大佐ぁ」
激が心配そうな表情で見ている。
 ……どうしよう。頼むか? 今、あれを頼むべきか?
 ちゃんと見返りも用意しているし、口止めの方法も作ってある。言うなら、言ってもいい。用意は全て終わっている。
 ……だが……
 珍しく迷いがちの蘭だったが、実のところ、個人的に部下と食事をするのかなり稀な自分が同席を承諾した時点で心は半分決まっていたのだ。本人ばかり気づいていないだけで。
「話してくださいよぉ」
と、その激の一言で心が決まった。
 きらり、と目が光る。
「他言無用に、してもらえるか?」
ぐ……。
 と、その威圧感に圧されながらも、なんとか首を縦に振る二人。多分ここで横に振ったら嫌な話を聞かなくてすむだろうが、あの精神的拷問があと何日も続くことは間違いない。
「……その、口にするのも嫌なのだが……愚息どものことだ」
だろうな。てゆーか、だろうよ。あんたが悩むのってそれ以外何があるの? 夕飯のおかずとかいったら俺、辞職しちゃうよ。
 と、心で壮絶につっこみながらへぇと曖昧な返答を滑らかにしている自分に感激で涙が出そうだ。昔はこんなに丸い人間ではなかったが自分より横暴な人に囲まれていると、角がぶつかり合って自然に丸くなるらしい。もっとも、磨かれることでさらに角がとがって鋭利になるという事態もよく起こる―――というのは激は気づかなかったが。
「……なにかしでかしたので?」
おずおずと合いの手をいれると、首を振って、そしてなんともいえない表情で中空を見ている。
 はっと、激はその表情からいきなり頓悟した。
 にや、といつもの軽薄に笑うと、
「あー。そっか。思春期か。天馬君のっ!
 そりゃ大佐も悩みますわ。少年のデリケートな恋なんてあんたがわかるわけないし、成長過程知らないし。
 下着とか洗ってるのに出くわしたんでしょ? そういうのはそっとしておきゃいいんですって。大丈夫っすよ。あいつらの周りには鬼子も瑠璃男君もいる。男の子が三人集まれば……なあ? 現朗」
「う、うむ」
弾丸トークにおされながら、ちらりと金髪は上司の様子を伺う。
 友人の推理は、成る程どうやら間違っていないらしい。手を口に当てて考え込むそぶりをしている。
「……概ね、そうだ」
「じゃあ放っておくのに限ります。
 菊理姫には変な手出しはしませんよ。天馬君なら、婚礼まできちっとしときますって。浮気なんて様子もないし。
 まあ、天馬君なら逆にもてすぎて困ったなんてこともありえそうだな。あの子あれで熟女から幼女まで人気めっちゃ高いの知ってます?
 大佐が仕事場に連れまわすものだから、しょっちゅう後になって、あの少年と見合いしたいとか、会いたいとかいう話が零武隊にくるんすから。大佐の子で、しかも婚約者が決まっているといえば、それ以上いう奴いないですけどね」
「激、その話は大佐のお耳にいれぬよう先方からいわれているだろ」
「……熟女……か」
「あー、やめなやめな。仕事がらみの女は例外なくよくない話がおおいっす。それに悪女の深情。
 ……って、この話はおめーのが得意か? ええ?」
にやにやと現朗に振ると、彼は露骨に眉を顰める。その話題は大佐の前では触れてほしくはない。
「貴様こそ、娼妓に熱をあげて悪いことばかり起こしているだろうが」
「素人好みのおめーにぐだぐだ言われる筋合いはねえな」
「……玄人か。それがやはり無難……」
「お前の嫌味も自慢話も後にしろ。
 今は、大佐の話を伺いたい」
際限なく続きそうな激の口を閉じる伝家の宝刀を取り出すと、むっと顔を顰めたがそれが作り物であることはよくわかる。瞳が笑っている……ように現朗には読める。
 後にしろ、という部分が彼の脳内では、後で聞きたい、という一文にすっかり変わっているのだ。さらに、是非後で、さらに寝台の上で可愛く聞きたい、なんて甘い恋人トークになっているのだろうと思うと胸焼けで殺したくなる。
 心情を抑えるのが得意な現朗は微塵も表面に殺意を出さず、上官に向き直った。

「……お前ら、安全な娼館を知っているか?」

ようやく出たその言葉は。
 大霊砲並みのインパクトがあった。
「いや、その、知っているかどうかを知りたいのではなくて、正確に言えば……天馬をそこに連れて行ってほしい。それなりの礼はする」
天馬殿は、今年十四歳になったか、と現朗は思った。
 娼館で筆おろしをするのは江戸が終わった明治の時代としても決して珍しい話ではないし、むしろ一般的とさえいってもいい。婚約者相手に操をたてる男のほうが少ない。実はそれは女性側もそうなのだが(一部学説。異論あり。詳細不明)、体面的にはないことになっている。
 過保護な……。
 と、つい思ってしまう。そういうことは本人が勝手にすればいいのだ。それが出来るくらいの、良識と分別は彼にある。一般的に母親は息子に溺愛するというが、夫がいない分少し異常なのかもしれない。
「大佐のお考えになる基準は?」
「病気にならない、子供をつくらない、間違った性癖と知識を教えないくらい娼妓に良識と常識がある、の三つの条件を飲めれば金に糸目はつけん。深い恋愛沙汰になると厄介だから、そこらが金銭で済ませられるところも願いたい」
現朗と激は顔を見合わせて沈黙してしまう。
 ここまで彼女が言った以上は断ることは出来そうにない。
 一人でこの話をきいたのならば、天佑だったろう。超が上に三つつくくらいの高級娼館で人の金で遊べるなんて、それほどいいことはない。だが、二人同時に聞くとなると微妙だ。
 恋人同士にとって、娼館というのは魔所以上のなにものでもない。
 ……むしろ、仕組まれた、と考えたほうがすっきりする。
「何か私たちにいいたいことがあるんですか?」
現朗が険のある目つきでいった。
「独身寮は壁が薄いそうだ。
 と、鉄男から聞いた。壁の普請の要請はしておいたぞ。
 ……そういえばお前らは断れないだろう? 二人揃って」
「人に頼みごとする態度じゃねぇや……」
本心を激がぼやいて、がくりと肩を落とす。心配して損した、とも。
「礼は払う。そこはきちんとする」
「まあ、俺はいいですけどね。
 天馬君の気持ちはいいのですか? 彼は姫に一途なようにお見受けしましたが」
「……あー……あー、なんか」
どういえばいいのか迷って、仕方なく肩をすくめて改めて箸を取った。
 思い出すのはやめよう。今、最善の手段の段取りはついたのだし、実際あの状況はどんな言葉にしても伝えることは出来ない。
 百聞一見に如かず。
 使い古された警句をかみ締めながら、割り箸を割る。
「……お前らが尋ねてくれ。本人に」