|
||
訓練場から医務室に移動し、二人は無言で相手の手当てを始めた。明るい所に移動して、初めて互いの傷の酷さと面白い顔の様子を知った。見合って軽く笑ったが、痛みと強張った筋肉で引きつる顔は不気味ですらあった。 骨折など大きな怪我が出なかったのは、実力が拮抗していなかったせいだ。 「……ずりぃ」 「は?」 激の一言に、現朗は首を傾げる。 現朗は激の最後の包帯を巻いていたところだ。 「お前、肉弾戦があんなに強いなんて、ずりぃ。 俺より細いのに」 思いも寄らぬ言葉に、金髪は苦笑を浮かべる。それが余計に、激の腹の中で煮え切れない思いを感じさせた。 ぎゅっと包帯を結んで、あまった医薬品を片付ける。 ……現朗のほうが頭一つ分抜きんでた実力だった。 以前も刀を使っていなければ、激は敗北していただろう。 となると、よく考えてみれば大佐の刀を奪うという処分というのははじめから意味をなさないことになる。守るためではなく殺さないために、現朗は刀を持っていたのだ。 「……大佐直伝だからな」 「じゃあ俺が刀の代わりになる必要なんてなかったじゃねえか」 「いや、十分あったさ。お前が必要だった。 さて。 負けを認めたからには話してもらうぞ。 何故あの勝負に拘る? お前の入れ込み方は不自然だ。 そうそう、男として情けないから、という理由は却下だ。それならば一回でも勝てば良いという気持ちの説明にはなっていない」 先に釘を刺されて、むぐっと言葉に詰まる。 激は視線をキョロキョロと動かして様々に考えていたが、漸く、覚悟を決めて同僚を見た。 「……その、自信がねえんだ」 その言葉に、現朗の眉間に皺が寄る。 「女にもてる自信が、か? 冗談だろう。お前の容姿なら言い寄られてきたこともあるだろう? 見合いだって、軍人ならば引く手数多じゃないか。自信があるかどうかわからないが、結果は十分あるはずだ」 激は必死で笑みを保とうとしていた。だが、胸が悲鳴を上げる。 笑いながら泣きそうな表情を一瞬見せて―――無理と悟った男は、顔を伏せた。 両の眼にじわりと涙が浮かぶ。 下唇をかみ締めて、必死に理性を保とうとした。 大粒の涙が手の甲に落ちた。 うっ……、くっ……と喉の奥で悲鳴を上がる。それを思い出すだけで感情がひどく不安定になったが、なんとか、激は自分の言葉を構築することができた。 「……こわぃ……っ……から……」 目の前で壊れていく激の表情に、現朗は言葉が出ない。 「子供ん時に、変な霊がついた。その霊が、女から俺を遠ざけるために色々したらしい。母と妹が、それで、俺のことを大嫌いになったんだ。 ……俺が声を掛ければ話してくれる。やさしく笑って、楽しげにしてくれる。 でも、障子を一枚隔てた裏では、ずっと嗤っていた。 話し方が気持ちが悪い、またおかしな事を言った、変な匂いがする、不快な子だ、って……色々いっていた。 嫌いだったんだ。 嫌いだけれど……笑い者にして、面と向かってはいわなかった」 ごしごしと腕で涙をぬぐう。次々に溢れる涙。現朗は静かに聞いていた。 激の嗚咽が静かな官舎に響く。 ―――おもむろに現朗は口を開いた。 「……霊なんかに、俺は負けない」 激は言葉の意味が分からなくて、わずかに顔を上げる。 秀麗な男の顔があった。彼の頬も自分と同じく真っ赤に色づいていた。 「俺なら、お前の側にいても、笑ったりしない。絶対に。笑いたいことがあったら面と向かって言ってやるっ! 傷つけることなんか絶対しねえぇっ!」 いきなり激の両肩を痛いほど強く掴んだかと思うと、そのまま押し倒す。 現朗が激の上に覆いかぶさるようにして上から見下ろす。冷たい目から零れた涙が、激の頬を濡らした。 いきなり沸点になった同僚に、泣いていた激ですらついていけない。 「いや、でも、それは……あの、霊は、大佐が祓ってくれたからさ……今は普通通りだったりすんだけど…………」 「いいかっ。 俺はお前より高給だ。年も若くて、背も高いし、性格だって外向的だっ。親族関係で揉め事を起こすことはないはずだ。 だから、だから、側に居て困ることはないっ……と思う、おそらく」 怒濤のように繰り出される言葉は、最後につれて小さくなっていく。そして小さくなっていくにつれて、現朗の頬が赤くなっていくのを激は見た。 ごくり、と青年の白い喉がうごく。 暫く固まっていたが、いきなり、弾かれたように身を起こした。わたわたと何かを護摩化すように両手を振る。 「す、すまん。 ええと……その、わかった」 激は上半身を起こしてから、指で頬をかいた。 「あ……んん……。 まあ、それで、女に嫌われてるのかな、って……ちょっと思っちまったわけ。 トラウマにスイッチが点いちゃったみたいでさ。だからなんかその……ムキになってたわ。 だぁぁあっ、すまんっ! よく考えてみたら、確かにムキになってたっ。 お前に迷惑かけてた気もしてきたっ! ほんとスマンっ」 がばっと平伏して頭を下げる。誤らずにはいられない気分になった。泣いていたカラスが、と現朗は思ってなぜだか愛しく感じる。 その頭に、手を延ばす。 が、それが触れる前に、激は土下座したままぼそりとつぶやいた。 「……まあよく考えてみれば勝てるわけねえよなぁ、おめーに。 背が少ぉぉぉし高いからな。まあ少ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉしだけど。 女ってどーしてその背が高いと好きになっちまうのかね」 この場に第三者が居れば百パーセントつっこみをいれるだろう文句を、激は平然と言った。半分は本気だったが、半分は意地だ。カッコイイとは言いたくない。俯き加減でぼそぼそと低い声で呟いている。 それが、どれ程の殺し文句かもわからないで。 現朗の手が止まった。激に触れることはできなかった。 綺麗な容姿、金色の髪。この同僚は、一度も褒めなかった。どころか、同じだとか、大した差はないとか言い切った。その清々しい程はっきり言ってくれる言葉が肺腑を突くほどに心に残った。 伸ばした手を戻して、目元にきつく当てた。思わず溢れそうになった涙を抑えるため。泣き顔をもう見られたくない。 激が頭を上げたときはもういつもの顔に戻っていた。 「……まあ、勝負は、止めにするわ。 大佐に金を借りるのは……やっぱ命が惜しいし」 「そうしたほうがいいだろう。 ……制服、外に忘れたな」 二人そろって、シャツ一枚。 「―――あ。まじだ。 だぁぁぁ今日は疲れたからいいや。明日の朝にとってくるわ。 俺はここで寝るわ」 勿論それは現朗も同じつもりだった。疲労感があったからこそ、寝台がある医務室を選んだのだ。 薄い毛布あるものの、今日の外の気温はかなり低い。 さっきまでは運動後で暑いくらいだったが、今は風に冷やされて寒さを覚えるほどだ。シャツだけでは足りない。 激は自分の寝台を決めていそいそと乗り込んでいる。彼のほうが怪我も、疲労感も酷い。現朗は明りを消すと、それから寝台に近寄った。 ―――激の眠るほうへ。 「……うわっ! 何すんだよっ」 「寒い。低温体質だから」 言って腰を抱き締める。仕方ないなぁ、と激も手を回す。二人は互いの体温を分かち合った。 現朗の笑みを、暗闇は見事に隠していた。 |
||
|