・・・  這えば立て、立てば歩めの親心  1  ・・・ 


 全隊を五つに分けて送り出した後、現朗は激を連れて浅草寺へ向かった。
 月一度の定例の地脈調査。
 あの夜以来、現朗は激を襲うことはなくなった。刀がないからです、と悪戯っぽい笑みを浮かべて日明大佐には言ったが、蘭が見るに、その表情から推測するに彼はもはや襲うこと自体に意味がなくなったようだ。
 刀のない状態は嫌でも激と一緒に居なくてならない。白服が隊内部で襲われることは日常茶飯事なので、現朗はいつでも激の隣にいた。激が逃げられるのも困るので、仕方なく青筋を立てながら仕事を手伝ってやっていた。
 現朗の罰は良い見せしめ効果があったようで、部下も以前ほど彼を邪険にしなくなったと激から報告があった。
 とまあ、結果から見ればいいこと尽くめの処分であった。しかし、世の全ては陰陽の均衡の上に立っているためなのだろうが、それは『良い事だけ』では終わらなかった。
 誰が聞いても大変情けない事件の発端も、まさにこの日明大佐の下した処分から起こったものであった。
 浅草寺周辺は現朗の担当になってから数年の月日が流れており、彼は道を完全に諳んじていた。足取りに迷いがない。秋花が花開き青空に向かって静かに揺れている。たった一ヶ月の間に、すっかり秋の風景に様変わりしていた。
「調査というのは、地脈の上を歩いて行うものだ。ついでに、変な物がないか軽く目を配っておく。地脈が乱れるのは大体厄介な事件が起こる前兆だからな。
 お前は妖気や幽霊は見える性質か?」
現朗が尋ねながら首を回すと、やや蒼ざめた激の顔が近くにあった。肩が触れ合う位置にいた同僚が、何故かいつの間にやら慌てふためている。
 何か問題のあることをいっただろうか、と現朗が考える隣で激は必死に精神を沈めていた。
 零武隊に入ったときから、ある程度、ある程度は覚悟していたが―――

 幽霊なんてっ……いきなり真っ昼間から……怖いじゃねえかっ!

「み、み、み、見えないもん。
 絶対、見えないからなっ。
 つーかそんな怖いの見えてたまるかぁぁぁっ」
徒ならぬ様子に現朗は片眉を跳ねあげさせたが、敢えてツッコまず目だけを己の手に動かした。つられて、激の視点も移動する。現朗の手の中には、小さな青銅製の鐘が握られていた。
 量産品の土産物のような収まりの良い形をしている。だが、名だたる名品のように激は感じた。鐘の表面に浮かぶ黒い文字が、不思議な重厚感がそ添えている。きっと良い音がするだろう、とそんな期待感を覚えずにはいられない。
 それは今、僅かに震えていた。
「……見えないならそれでいいんだが。
 調査員の両方ともが見えなければ、このカミヨミが呪を施した鐘を使って地脈の様子を測ってくれれば良い。大体地脈が澄んでいるところは静かに震えているのだが、濁り始めると強く振動する。
 まあ……持っていればわかる。体力を消耗するから気をつけろ」
二人は路地裏の細かな道を並んで歩いていた。
 二階建に挟まれた道は、時折大の男二人が並んで歩くには狭すぎるようになる。無言で歩いているうちに、肩が当たってしまう。互いに驚いて振り返って、そしてどちらからともなく道を譲った。
 風鈴の音や桔梗が顔を見せる穏やかな空間には、心地好い清涼感が漂う。
「浅草寺かぁー。昔良く行ったな」
おもむろに、激がそう切り出した。
「江戸生まれだったか」
「いいや、俺は帝都でも西のほうだから。
 ここら辺は親戚ん家が近くてよー、どぜう鍋を食べに皆で来るんだ。やっぱタレが全然違くてさ、すっげー旨いの」
「駒込屋だな。俺は味噌汁が好きだ」
浅草の泥鰌鍋といえば店は限られている。
 現朗は味を口の中に思い出しながら相槌を打った。
 その自然な返答は、彼が心を開いている証拠だ。
「ああ、あれ旨いよなー。何がはいってんだか。
 味わいがあってコクがあって、一度飲んだら忘れられねえ。
 お前こそ、生まれは? 言葉の訛がないからやっぱ帝都か?」
一瞬、先に行く足が止まった。
 激は不思議そうな顔をむけるが、何も言わない。
 陶磁器のように白いその顔が、硬く強張っていた強張った。
「………………さあ、どうだったかな」
それだけ言い捨てると、中尉はいきなり足を速める。
 何も聞くな、と無言で背中が語っていたので、激もそれ以上は追及できなかった。

 ―――単刀直入、じゃ上手くいかねえか……やっぱり。

 と、後ろに着きながらこっそり嘆息する。
 軍隊では同郷同士を探す傾向があるから、会話の端々に出身を聞くことはある種あたりまえのことだ。ここ毎日顔をつき合わせていたが、現朗はこの手の話題が出ると途端に姿を消した。激が探しに来るまで、一人資料室の奥で過去の文献を読んで待っているのを常としていた。
 激とて零武隊のエリート。隠された過去を探る手段はいくつか持っている。
 だが現朗の過去は、日明家という闇の中に匿われてさすがの彼でも手が出せないでいた。


 ******

 昼休み、激は突然零武隊隊長の執務室に呼ばれた。その部屋の中央の机で握り飯をかぶりついていた蘭は、逆毛頭が入ってくるなり一言言った。
「現朗は、幼いころ私が引き取って育てた。まあ単純にいってみれば、私の弟みたいなものだ」
「そのくらいはわかってんですけど……」
「そうか。
 ならば、これ以上はあいつ自身から聞くしかないな」
彼女はは最後の握り飯をひと口で嚥下すると、不敵な笑みを寄越した。
 調べても無駄だ、と、真っ直ぐな目が物語る。
 それは見事に激自身が感じていたことだったので、分の悪さを感じて彼は呻き声をあげた。
 日明家がどこから引き取ったのか、どうして引き取ったのか、その全てが謎に包まれていたのだ。少しは……ヒントくらいくれてもいいではないか。
 上目遣いで同情を誘おうとしても無駄だった。
 蘭は暫く青年の惨めな表情を堪能してから、口を開く。

「私が思うに、お前らは似た者同士だ。
 お前自身が奴に『面白くない昔話』が出来たら、きっと話すだろうさ」

……あまりの言葉に目を見張った。

 それが、俺に、出来るかよ。

 と、喉まで言葉が出そうになる。まだ激が立ち直れて居ないことすら知っていて要求する。彼が思っていた以上に、彼女は容赦がなかった。
 蘭が零武隊に激を呼んだ理由は、二つあった。
 一つは現朗のため。
 そしてもう一つは、激自身のため。
 彼の精神が弱まる前に、手元において置きたかったのだ。激には一流の戦士となる素質がある。零武隊には必要な人材なのだ。
 激は口論を避けるために、わざと、作り物の笑みを浮かべた。
「……あはは。
 じゃ、永遠に聞けないってことじゃないすかー。
 そろそろ集合時間なので戻りますね」
苦笑いで護摩化すと、彼女の目が一瞬だけ本気に変わる。
 心臓の裏まで射抜くようなその目。
 彼女がただの殺人鬼ではなく『鬼子母神』と恐れられる由縁。
 激は知らずうちに棒を握り締めていた。攻撃するためではなく、己を守るために。
 ―――蘭は何か言いたげだったが、軽く息を吐いて。
「前のように、現朗を頼んだ」
と、今回だけは青年を見逃してやった。