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野次馬の多くは良い話のタネを得たとばかりに満足顔で去っていった。花はそのうちの一人に譲った。興奮の冷めやらぬ幾人かは、遠巻きに『正義の味方』たちを眺めて声高に噂話をしている。激は邪魔になるからと、自分たちの伸した男たちを参道の脇に並べて、呻きを上げる彼等の体を確認し始めた。 「……何をしている」 現朗は側で立ちながら激の動きを不思議そうに眺めている。 「いや。医者が必要だったら呼ばなきゃならねえじゃん? お前の一撃結構遠慮なさげだし」 さっさと帰りたい彼は嫌そうな表情を一瞬浮かべたが、気にせず診察を続けている。特に酷い怪我はなかったが、一人だけ倒れた衝撃に肩を外してい身悶えていた。 治療の心得のある激は、彼の身を起こすとひょいっとはめ直す。聞いているこちらが痛痛しくなる悲鳴が上がる。苦悶な表情を浮かべて、砂利の上で体をくねらせた。これではまるで、藪医者に診られている患者のようだ。 心外な。と思ったが取り敢えずこれで終りだ。 ぽん、と軽く首筋をたたいてやると、男は再び眠りへ落ちた。 膝に手をつき立ち上がる。 一仕事終えたときの癖で、ぱんぱんと軽く手をはたいた。きっと不機嫌にしているだろうなと思って顔を上げると、あの目立つ姿が見当たらない。 「あれ。中尉ー?」 頭を巡らして金髪を探す。 ―――否、本当は探す必要はなかった。現朗は前と全く同じ位置にいたのだから。 ……しかし、前とは著しく状況は変化していた。 不機嫌な顔には変わりがないが――― 「兄ぃさん、すごいねぇ」 「軍人さん?」 「……時間ないの?」 なんと、午前中の町には全く似つかわしくない艶やかな複数の女たちに、もみくちゃになるくらいに囲まれていたのである。 右手を掴むのは浮世絵でも有名な茶屋娘のオタエ、左手には胸の大きな色年増の女性。垂れ目で甘い声で囁く娘は、現朗の顔を見つめて頬を赤らめている。 ひきききっ、と知らずうちに激の顔が強張った。 待て。落ち着け。 ―――今、俺がこいつらの面倒を診てたからあの子達は遠慮して寄ってこなかったんだ。そうだ。そうに違い無いっ! というかそれ以外ありえないだろうが。鳴呼、なんて遠慮深い可愛い子たちなのだろう。俺だってすぐにモテモテになるさ。ははは。安心しろ、すぐに俺もあの状況になるんだからなっ! 深呼吸で内心わき起こった非常に強力な感情(=嫉妬)を押えて近寄る。 「あっはっはっは。おい、現朗、仕事行こうな?」 「ああん。お兄さんうつろぉって言いはるん?」 「素敵な名前ねー」 手を放せよっ! ひっつかれてんじゃねえよっ! ああああぁぁ、今ウインクしたのはオタエちゃんじゃねえかっ。これみよがしに無視しやがって、無視しやがってぇっ。 現朗は少し困ったような表情をしながら激のほうに歩み寄ろうとしたが、女性たちが少しも離れようとする気配がなくて、なかなか動くに動けない。彼女たちは、浅草で五本の指に入る有名茶屋の娘だった。春画マニアでない激ですら噂で名前だけは知っていた。 茶屋の主人が、軍人二人の正義感溢れる行動に感心して、彼等を迎えるように差し向けたのである。 女達も屋内から二人の姿を見ていた。 ―――否、主に一人の姿を。 白い軍服がこれ以上なく似合う長身。見たこともない金髪と、一瞬女と思わせるような白い肌。芸者でもそういない掛値なし美丈夫に、女性たちは色めき立った。 わいのわいのと現朗ばかり取り囲んで、現朗ばかりに質問している。黒髪の軍人には全く無関心だった。激は精一杯顔を取り繕っていたが、その腕は押え切れない怒りでぷるぷる震えている。 「あのさ、あのさぁ。俺も戦ったんだけど……」 とうとう耐え切れなくなって、ついついと着物の裾をつかんで一人の女性を振り向かせた。顔に指をさしながら、冷や汗を垂らしつつ人懐っこい笑みを浮かべてみる。 が、それを見た女性の反応は酷く素っ気ないものだ。 「え? ああ見てたわよ」 …………それだけ? がくっと力が抜けそうになるが、それでも頑張って踏みとどまった。負けるな。ここで負けるつもりはないっ! と何に負けたかよくわからないのに、心で応援歌を大合唱して気を立て直す。 彼にとっては、巨大な敵と対峙しているような状況に等しかった。そのくらい人生的な大ピンチではあった。 「俺には質問ないの? お願いとかないの? ね?」 何人かに質問してみるが、初めの女性同様に冷たいものしか返ってこない。最後に、高嶺の花、オタエという浮世絵でしか見たことのない少女の着物をつかんで同じことを尋ねてみる。 と。 「あら、本当?」 かつてない返事に、激の胸が期待で膨らむ。 オタエは握り拳を口に手を当てて、上目遣いをしながらぱちぱちと瞬いた。 それだけ男心は見事にノックアウトだ。激の脳内には一瞬にして清いお付き合いから結納までのすべて予定が組まれたくらいだ。 「ウツローさんを連れていくの手伝って下さいな。主人がどうしても会いたがっているのよ。 なのにこの人、ちっとも首を立てに振ってくれないのよ。 い・け・ずぅ」 甘ったるいオタエの声につられて頬を緩めた男は、ぽりぽりと頬をかきながら上官に顔を向けた。 「え。そっかー。困るねー。 あ。あのー、中尉、どうします?」 「……さっさと帰るに決まっているだろうが。仕事中だぞ」 今まで何も話さなかった男は、部下の質問に対してだけは淡々と返事を返す。激のあまりの馬鹿な質問に、彼の苛つきは頂点に達したどころかそれを通り越えていた。 なんでもっと上手く誘わないのよっ、と女達はぎらりと一斉に激を白眼で睨みつける。まさか怒りがこっちに向くとは思わなかった青年は、たじたじとしながら数歩後退。女性の目はかなりの攻撃力があるのだ。 ―――さらに言えば、口はもっと凄い。 「役立たず」 「使えないわね」 冷たい言葉が追い討ちをかける。 しょぼん。 と、音まで聞こえてきそうだ。もともと垂れ目な分、彼が落ち込んだ表情をすると本当に情けない。 娘達は一向に激には注意を払わず、きゃあきゃあと煩くまとわりついていた。 「綺麗な髪ねぇ」 「異人さんの家系? 素敵だわ。羨ましい」 「もっとお話しましょうよぅ」 行き交う通行人たちは二人を見比べて、にやにやしながら通り過ぎた。女に囲まれた美形の横で、全く相手にされてない軍人。それがショックを受けながら俯いている姿は、話の前後を知らなくても面白いものだとすぐわかる。 同情と軽蔑の視線を浴びながら、激は静かに現状を分析した。 何故このような酷い状況が生まれたのか。この絶世の美女たちは、多分、悪くはない。いや悪いはずはないし、悪くても顔がいいから許す。自分も勿論悪くはない。となると、諸悪の根源は誰だ? くわっと目が見開かれた。 全ての点が、一本の線が激の頭で繋がる。 その瞬間、どうしようもない怒りが全身を支配していた。 「じゃあとっとと仕事に戻らぁいいんだろっ!」 思いのたけを叫ぶやいなや、現朗の手を痛いほど掴んで駆け出す。彼の力は相当強い。女性から男一人奪い返すのには十分だ。 参道の人込みを避けて人気のない森の方向へ。 現朗を奪われた女性たちは、手を伸ばすがそれは空を切る。 「鳴呼っ、酷いわ!」 「なにすんのよっ」 激はくるりと振り返って、あっかんベーをして逃げ去る。その挑発にさらに文句を投げ付けてきているが、知ったことではない。 畜生、畜生、畜生ぅぅっ! 胸が痛い。こんなに痛いのは、今まで味わったことがない……ような気がする。 男の固い手を握り締めながら、反対の手で己の心臓の辺りをつかむ。泣くもんか、泣くもんかと必死に思いながら服に爪を立てた。 木々の間を抜けていけば、人気がなくなる。突然、いきなり後ろから強い引っ張られて、今だ進もうとしている青年の体は無理やり止められた。 「お……おいっ、げ、激っ。止まれっ」 息切れしながら、激の手から自分の手を戻す。 「ああっ!? なんだよ女のところそんなに行きてぇってかっ!? んなことさせるかこの野郎ぉぉっ」 「いやそんなことは―――」 現朗はとりあえず否定しようとした。が、言葉が出なかった。 ふり返ったその顔が涙で潤んでいて、何故だか彼の心臓がずきりと痛んだからだ。 ………何故俺が罪悪感を感じなければならんのだ。 と、自分でつっこみをいれてしまいそうになる程、その顔はあまりに同情を誘うものだった。 「へんっ。どうせ惜しくなったんだろ、あんないい状況そうないからなっ。女にチヤホヤされてさぞ満足だろうなぁ。 そりゃさ、戦いの中心はお前よ? わざとそうしてやったんだからな? 俺だってきちんとフォローしたけど、中心がたまたまお前だったから、ああなっただけだからなっ! 俺が戦っていれば、俺が戦っていればもっと凄かったんだっ」 口早でわけのわからない言い訳を叩き付けられて、わずかに頭が痛くなる。 「……落ち着け。職務中だ。 確かに急ぐ必要はあるが、走られると調査出来ん」 「そのすかした面が気にくわねえんだよっ! 嬉しいなら嬉しそうな顔くらいしやがれ、こん畜生っ」 さっきの男達と同じことを言われて、軽い眩暈に襲われた。 とりあえず、現朗は、腕を組んで、激の言い分―――そんなものがあるかもしれないと仮定して―――を整理してみた。目の前の同僚の顔を見ながらだと、否がおうにも良心が痛むので目は閉じた。 考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい話だ。 溜め息を捨てて、涙顔の青年に向き直る。 「……なんでこの至近距離で話がかみ合わないんだ。 だいたいあんな程度の女ども、いつものことだぞ。そんな些細なことで嫉妬されてもこちらが困る」 「些細だとぉぉぉおおおおっ!?」 現朗なりに言葉を選んでいったつもりだったが、それは激を著しく刺激したらしい。目を見開き、般若のような憤怒の表情。棒を握り締める手がぎりぎりと悲鳴を上げているのは錯覚ではない。 事実を言ってここまで文句を言われたのは初めてだ。 「髪の色も普通ではないし、何より、顔が目立つのだから仕方がないだろう」 ばきっ。 ―――と、とんでもない音がして激の手で棒が真っ二つに折れる。無表情で無関心で無感動がポリシーの現朗でさえ、その表情には命の危険というか恐れみたいなそんなモノをを覚えた。激の棒は確か鋼で出来ていたはずだと、明晰な頭脳が教えてくれる。 「オメーのどこが目立つんだ、どこがっ!? そんなんでモテるはずがねえだろがっ。 俺の方が、ずっと男前な顔してんじゃねえかっ!」 血走った眼を精一杯見開きながら、啖呵をきった。 過呼吸気味な荒い息づかい。疲れているのは俺の方だろ、というまともなツッコミすら口にするのが憚られる表情だ。 激の目が、現朗に返答を要求していた。 ―――これに対して、どう返事をすれば良いと? 取り敢えず学校でも日明大佐にも習ったことはない。現朗は困惑していた。とにかく返事をしなければ、仕事に戻れそうな雰囲気ではない。 「……うむ、そう、かもしれんな。 個人の好みは奥が深い上に十人十色だ」 彼は思い付くままに述べてみた。 それが火に油を、というよりも、火事に火薬を注いだ。 ぶち。と、激の脳内のどこかが切れる。 ばす―――と訳の分からない音がして折れた棒がさらに粉々に崩壊した。 「俺はマニア受けだとか言いてぇのかっ!? だったら白黒つけてやろうじゃねえかっ!」 |
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