凄絵
 ・・・  女装/西洋/肉食6  ・・・ 


 たん。
 と、軽やかな足音で床に着地して、八俣のところに、蘭が戻ってきた。
 小太刀でそれを斬りつけた後に。
 蘭の視線の先には不気味な化け物がいた。
 全長十メートルほど、芋虫を巨大化させたようなアメーバ状の緑色の体に、何百もの目玉がついている。空中に浮かんでとぐろを巻く。醜悪な臭いが鼻をついた。
 狙いは、この男だ。後ろの、蘭が連れてきた男だ。
 八俣はなんとなくだがはっきりと理解できた。ぎょろぎょろ動く瞳は全てこの男を見ている。彼を追ってそれはここまできたのだ。
「見えたか?」
彼がずっと上を見ているのに、蘭も気づいた。
 そして、お前なら見えるだろうと思っていた、といけしゃあしゃあと言う。
「見たくないものがね。これ倒せるの?」
「任せろ。私の仕事だ。お前は集まっている基の犯罪者を叩け」
「まだ何もしてないのよ」
「殺人なら未遂も犯罪だろ。
 殺すなよ。基を殺すとその霊が怨霊に食われて、また別の体を乗っ取る。ここは乗っ取りやすい奴らが多い」
「はぁ本当に面倒」
蘭は最後まで聞かずに走り出した。その後を八俣が追う。
 先ほど彼女が「見える」と言った意味が漸く理解できた。中空に浮かぶその化け物は闇の中であろうと光に関係なくよく見えて、それが襲おうとしている相手も、それの基盤となっている人間も大まかな位置がつかめる。
 銃を腰に戻した。
 光がないならば威嚇にならないし、暴発の危険があるので振り回すことはできない。それにこんな暗闇では他の人間に当たりかねない。
 相手の武器がわからないのに肉弾戦に持ち込むのは嫌だったがつべこべ言っている暇は無い。後で百倍の文句で返してやることを心に誓いながら拳を右脇に引いた。
 加速と体のひねりとを加えながら右手で腹を殴る。良い手ごたえがあった。あばらがいったな、と悦に入りながら、一旦離れようと身を離す。
 その瞬間、目の側を何かが一閃した。
 髪の一部が切れる。
 ―――案外やるじゃねえか。
 鳩尾に決めたつもりだが、すぐに攻撃が出来るなど、相手の動きはなかなかだ。脳内でデータを書き換える。侮っていたら殺されかねない。身を後退させながら右足を軸に左足で回し蹴りを放つ。が、これは難なく避けられた。
 得物はおそらく刃物。それも長い。
 暗闇で相手も周囲もわからないし、足場も悪い。刃物が空を切る音と男の息遣いで行動を見極める。
 ありがたいことに、多くの客は部屋から逃げ出していた。
 テーブルに飛び乗り、そのまま身を翻す。客がいないならば少し走っても構わないだろう。
 相手はなぜだか八俣の場所がわかるらしく、正確に彼の通った後から破壊音が響いた。
 走りながらテーブルにあったナイフを集める。
 十本以上集まると、足を止めた。
 いきなり方向転換し、一本を残して全部を投げつける。
「ぐぁっ」
暗闇から聞こえる悲鳴。追っ手には八俣の動きは予想外中の予想外だった。剣におびえて逃げ惑っていたのだと思っていたのに。
 その間に、身を屈めて地を蹴る。
 一直線に男との間合いをつめた。遠い間合いならば剣は有利だが、組み合うくらいの近さならば短刀の方がいい。そう、たとえばナイフぐらいのほうが。
 取っ組み合いになればすぐに結果は出た。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
どぎつい悲鳴が闇を切り裂く。
 手にナイフを突き刺さして得物を落とさせると、それを遠くまで蹴る。ナイフはすぐに抜いて今度は太ももにつきたて、身悶えている間に両肩をはずした。荒っぽいが暗闇で手加減がつかめない以上仕方がない。それに、鳩尾を決めてもすぐに動けるつわものだ。用心に越したことはない。
 死にはせず、反抗は出来ないという程度のぎりぎりまで持ってきて、八俣はようやく男に馬乗りになるのをやめた。悲鳴は間断的に聞こえている。
 これだけやって気絶しないとはな。
 彼も無傷とはいかなかった。取っ組み合いになる前に刀で右腕の一部が切られていた。心臓は早鐘のようにうち、息遣いは荒い。汗をぬぐって上を見上げた。蘭は言うだけのことはあって、化け物の目の多くは潰されていた。傷から変な汁が空中に飛び散る。だがその銀色の液体は床には落ちず中空で霧散し、そのたびに悪臭が強まった。
 どす。
 後ろのテーブルに人が降りてきた。
 テーブルマナーをはなから貶す女は、肩で息をついた。善戦しているようだったが、決定打が決められない。
「小太刀一本貸しなさい」
八俣は振り返らずにいうと、ぬっと左から刀の柄が渡される。
 それをつかみ、軽く振った。
 長剣や太刀よりも軽いはずの小太刀にもかかわらず、相当な重さだ。
「弱点は?」
「……目ではない。たしかに弱らせてはいるが決定打にはならん」
「細切れにしてみたらどう?」
闇の中で見えなかったが、彼女は一瞬悔しそうな顔を浮かべていた。
 蘭には小太刀でそれをこなす力と体重がない。それを補うために普段は大振りの長剣を使っているのだ。
「大きすぎて切れんのだ」
似つかわしくない、小さな声だ。
 八俣は蘭の感情を慮って、あえてそれ以上触れずに命令した。
「…………もう一本も貸せ」
 化け物は天井を旋回していたが、ゆっくりとだがぼこぼこにして悶絶する男のもとへ下りて来た。動きは先ほどよりも鈍くなっている。
 二本の小太刀を構えて八俣は駆け出す。
 向かってくる男を敵と認識したそれは、先端に牙をもつ触手を体から伸ばして彼に向かわせる。だがそれは一刀両断されて何の抵抗にもならなかった。
 八俣は化け物の直前まで来て、大きく小太刀を振りかぶる。
 それからは、もはや一方的な惨殺だった。
 切れのよい二刀の動きで、まるで氷を削るかのように化け物の体は裁断されていく。豆腐を包丁で切っているように容易くばらけた。細切れになった部分は空中で霧散する。ある一定以上の塊でなくなると、それは消滅するようだ。十メートルの巨体はいとも簡単に屠られていく。
 自分が消滅していくのが、怖い。
 だが恐怖の対象を止めることは出来ない。
 言葉には表現の出来ないような声を上げて彼のモノは震えた。
 


 「あっけねーな」
八俣がつぶやくと、後ろから蘭が蝋燭をもってやってきた。
 少しだけ不貞腐れた顔をしている。
 気づけば悪臭はさっぱり失せていた。
「なんだ? あれは」
「……悪意の塊だ。この館に集まっていたものを全部集めたらこうなった」
「あれがこの世にあってはならないものか。思っていたものよりずいぶん気色が悪い。……それがなんで俺に見えた?」
「その小太刀のせいだろう。お前は始終私の側にいたからな」
「お前はずっとあれが見えていた、ってわけか」
いいながら小太刀を眺める。
 業物だが重過ぎる。いったい何で出来ているのか見当がつかない。
 鉛?
 それにしては硬い。
 よく見ると刀身に、文字が浮かんでいた。

「普通の二束三文の刀に、帝月の呪を籠めたから重いのだ。
 あれが術を使うと、いつもあんなモノばかり出てくる。…………可哀想に」

火に照らされた魔女の表情を盗み見る。
 遠い目をしていた。
 何を思っているのか八俣には測り知ることはできなかった。それに、
 知りたいとも思わなかった。