1 2 3 4 5 6 7 8 凄絵 | ||
時計は十一時を回り、酒が回ると、ますます客たちは遊びに熱中し始めている。二人は部屋の隅でその愚者の踊りを眺めていた。 「ねえ。ちょっと訊いてもいい?」 「あ?」 腕を組みながら、顔を上げる。二人は可能な限り気配を殺していたので声をかけてくる男は居なかった。 「あんたがこの部屋にずっといる理由、そろそろ教えてくれるかしら?」 それは唐突な一言だった。 蘭は一瞬間を空けたが、すぐに、低い声で笑った。 嗚呼。この男は、勘が良いから好きだ。 さっきまで見回りと称して人々の間を歩いていた彼女は、一時間前から少しも移動しなくなった。 その態度が八俣にはいたく奇妙に映った。 何故、見回りをしない? 何故、この部屋以外の心配をしない? 部下を信用している。それは確かに理由になる。だが、それならこのホールで待つはずがない。このホールには多めに人を配置している。予告者は警備のいないところを狙ってくるはずだ。警備を薄いところを護衛する、そのための囮だ。 彼女はまるで殺人者をこの部屋で待っているようだ。 「……この部屋だけカミヨミの札を貼っておらん。 全ての霊が集まってくることになる。そして事実集まっている」 その一言に、八俣は全ての殺気を込めて蘭を睨みつけるが、全然反省の色はない。犯罪者を心底憎む俺の目の前で、よくもまあやってくれる女だ。 「……事件をわざわざ起こすつもりね」 怒りを込めて彼が言うと、鼻で笑って流した。 「未然に防いでやる。ふん。菊理を呼ばぬ奴の外聞など、知ったことか」 「事件が起きたらお前も同罪だ」 「起こさぬと私が言っている。黙れ」 殴ろう。 と、心に誓って視線を会場に戻した。 仮装大会というのはなかなか便利なもので、殆どの人間が顔を完全に隠すことが出来る。仮面以上に個性が消える。楽隊までも白いシーツのような大きな布を被って幽霊の装いをしている。 音楽と酒で彩られた怠惰な夜会。 男は女を求め、女は男に抱きつくように踊り出す。まるで殺人のような血生臭いものとは無縁だ。 硝子の外は夜の帳が落ち、氷雨が降る音が聞こえた。 蘭は首を回して窓の外をみた。帝都でも滅多に手に入らない、おそらく異国の大硝子で出来た窓。曇ったそこから叩きつける冷たい雫が僅かに見える。 「……終わったら風呂と酒を用意してやらないとな」 ぼそりと言ったのが聞こえた。 案外部下思いなのだ。甘やかしている、という批判もあるくらいに。 「その前に秘密主義はそこそこにしなさいよ。胃痛で死ぬわよあんたの部下」 その言葉に、眉根を顰める。 「反対されると思ってなかったのだ」 しゅんと肩を落とす。どうやら本気らしい。 すごいなその思考、とさらに嫌味を言ってやろうと口を開こうとした。 刹那。 その気配が入ってきたことに、二人は同時に気がついて入り口に凄い速さで振り向く。 部屋に入ってきたのは、魔女。尖がった帽子、黒いローブ。背は高い。……男か? と蘭は不思議に思った。彼女に知識があったならばそれは魔導士という魔女とは違う衣装だとわかっただろう。 人々も直後に異常事態に気がつくことになる。 ヴァン…… 不気味な音がして館の電灯が消えた。 「しまったっ」 電気系統は幾度も点検したはずなのに、やはり館の者の犯行となると警備は難しい。暗闇の上、相手は誰を狙ったのかわからない。八俣は焦った。このままでは確実に殺される。 「八俣。お前は入ってきた例の奴を確保しろ。私は護衛対象に向かう!」 だが、蘭は迷いなく指示を出した。 「……え? 対象わかっているのっ!?」 「ああ。 よく見える」 二人が駆け出すと同時に、悲鳴がここそこであがる。 外は雨、空には月はない。真っ暗な闇がいきなり落ちてきたので、酒の快楽で酔っていた女たちは一気に混乱に陥った。 ばりん、かしゃんっ。 まるで恐怖を煽るように破壊音が響き、そして逃げ惑う足音が聞こえる。 気配だけで人の波をすり抜けて、八俣はさっき一瞬だけ見た魔女の下へ向かった。なかなかたどり着けないが、どこにいるのかは悲鳴が案内をしてくれる。給仕たちが慌てて燭台を持ってきていたので、通りがけに引ったくった。 蝋燭の淡い光を消さないように一直線に向かう。 ……そして、たどり着いた。 「はーい。警察よ。 誰も動くんじゃない。freeze! I'm a policemen!」 朗々とした声にその周囲だけ人々の動きが止まる。 蝋燭を左手に、右手に銃を構えた吸血鬼が蝋燭に照らされている。銃口と視線とは、だだ一人の魔女に向けられていた。人々も拳銃にぎょっとして身が止まる。 そこの魔女以外は離れろ、と外国語で命令すると、人々はさっとひいた。 どんな武器を持っているのか知れない今、下手に刺激することは出来ない。一歩、また一歩と近づく。 「八俣。良くやった―――!」 威勢の良い声と、威勢の良い足音が同時に耳に入った。 正体を考える前に、赤いドレスが真後ろから飛んでくる。 きゃぁっ、と貴婦人らしき女の悲鳴が聞こえた。 赤い魔女は二本の刀を煌かせて灯りの中に入ってきた。どすん、と八俣の横に人が落ちてきた。蘭が持ってきた男―――彼が護衛対象なのだろう。 燭台をテーブルに置いて、銃の照準を合わせたままその男の体を抱き上げようと駆け寄る。 ―――手が、その男に触れた瞬間、電撃が走った。 否。電撃ではない。全身総毛立つ嫌な予感。 その衝撃が体を通り過ぎたとき、周囲は全く変わっていた。 重く、湿った、異臭漂う空気。 何故、今までこんなところにいることに気づかなかったのだろう。 何故? ここは、恐ろしい。 周囲に頭をめぐらせると、今まで見えなかったモノがよく見えた。 「……なんだこれは」 思わず、地声がもれていた。 |
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