凄絵
 ・・・  女装/西洋/肉食3  ・・・ 


 吸血鬼をイメージしたのだろう。
 一昔前の正装に、華美な宝飾、そし偽の犬歯までも用意されていた。
 体にぴたりとあったのは、彼が日本人離れした体格だからだ。
 白いシャツの上に青いベストを羽織り、長い足を黒いズボンで包む。耳には金のピアスが光った。手首の黒皮のバンドには鎖がつながっており、囚人の手錠を思わせる変わったバンドだ。 ワンポイントは胸元の巨大なルビーの飾り。もちろんルビーは偽物だが、金縁の台に飾られて鈍く光るそれはなかなか良いインパクトを与える。派手な衣装だが雰囲気は悪くない。
 だがそれではこの服に命をかけるオカマ警官は納得できなかった。
「なーんか足りないのよねぇ」
にぃっと口を引き攣らせると、偽犬歯が見える。鏡の前でポーズを取りながら、不服そうな顔をしてピアスや止め飾りを調整していた。
「そうですか? 僕には良い衣装だと思いますけどね」
と、言ったのは丸木戸。服の用意があるという部屋は、零武隊的何でも部屋の教授の部屋だった。
 広いわりには隊員の私物で埋まっていて、主の荷物はこのタイプライターしかない。実験室が生息地なのでそれはそれで構わなかったが、戻ってきた途端、物ではなく者、しかも天下御免のオカマ警官がいたのでほんの少しだけ不機嫌だ。 ぺそぺそと、机の隅を片付けてタイプライターを叩いていた。
「教授は今回不参加なの?」
「僕が行っても役に立ちませんからね。
 ……じゃあ、包帯なんか付け加えます? オプションで」
こちらを見もしないで、彼はポケットから包帯を取り出す。何故そんなものを持ち歩いているのかはよくわからなかったが、ありがたく受け取った。
 包帯、ねえ。
 吸血鬼にミイラ男を加えて見る……ってのも案外面白そうじゃない?
 頭の中でアイデアが固まると早速釦に手をかける。
 彼が服を脱ぎ始めると、いつの間にか教授はタイプライターを止めて彼の着替えを見入っていた。どういうわけか、この大男の肌は白い。まるで女を思わせるようなその白さは、妖艶からは程遠くむしろ不気味だった。
「普段の姿のほうがよっぽど化け物じみているのに、仮装なんて茶番もいいところですよね。いや本当よく似合いますよ。今度研究してもいいですか?」
「……褒めるのと人体実験の承諾とるの一緒にすんのやめてちょうだい。それと暇ならちょっと手伝って」
「はいはい」
丸木戸は適当な返事をしながら立ち上がる。結んで、服を着て、鏡で確認して気に食わないとやり直す。それを五回ほど繰り返した後、漸く気に入ったものができたのか、今度は服を脱がなかった。
 残った包帯を頭につける。
 ―――なるほど、自慢するだけのことはある。
 丸木戸は素直にそう思った。わざと左目を包帯で巻きつけ、だらりと残りを垂らす。それが、上半身に巻いた包帯と見事にマッチしていた。先ほどまでは首や胸、腕に出鱈目に巻いているようにしかみえなかったが、頭の包帯が入るとぴたりとはまるように設計していた。思いもよらないセンスのよさだ。
「うちの大佐もそれだけ出来たら可愛いんですけどね」
「そりゃ獅子に空を飛べっていっているようなものよ。
 さてさて。獅子はどんな格好になっているかねぇ」
 執務室に戻ると、蘭は既に服を着て不満げな顔をして立っていた。
 深紅のドレスに同じ色のカチューシャ、黒いベールをつけ、首に黒のレースで出来たチョーカを締めている。大きく開いた胸元には真珠のネックレスと十字架のペンダント。なかなか良い衣装だった。
「馬子にも衣装ね」
「おまえもな。
 しかしそれは何のつもりだ? 怪我した吸血鬼か? 間抜けだな」
問答無用で八俣の拳が蘭の顔を目掛けて飛ぶ。
 上体を逸らしてギリギリでかわし、スカートをたくし上げて得物を取り出した。それはスカートの襞に巧妙に隠されていた。
 二刀小太刀。
 八俣も当然ながら愛用の拳銃をすでに構えている。
「……使えるかしら?」
蘭の愛用しているのは長刀だ。長刀よりも十センチほど短いそれを扱うのは、むしろ八俣の方が得意だ。挑発するためにわざとからかってやる。
「得意ではないが、蝙蝠くらいなら八つ裂きにでき……」
と、言いながら刀を構えを変えようとした。
 が。
 その瞬間。

 ごつんっ。

 威勢の良い音が、彼女の頭から聞こえた。
 脳天を音がなるほど強く殴られるなど久しぶりで、かなり痛い。
 痛いが、それより驚きが勝った。
 目を白黒させたまま首だけで振り返ってみると―――。
 なんと。
 殴った男は、逃げも隠れもせず、険しい表情でそこに立っていた。
「……化粧が崩れます。それと時間がありません」
しかも、真だ。
 声に逆らいがたい怒気を感じ取って気がつけば首を縦に振っていた。蘭だけはわかっていなかったのだが、隊員らはストレスはとっくに限界を超えていた。
 暴れるのは得策ではない。
 スカートの中に刀を戻し、それから八俣の元に寄ってきた。
「大佐と八俣様は馬車にお乗りになってお待ち下さい」
先ほどと同じ有無を言わせない言葉で言う。作戦の指揮権はもはや蘭にはなかった。いたく不満そうな顔をして八俣を睨みつけている。八つ当たりだ。
「他の者は荷を積み次第先に出ろ」
「……炎様っ。火薬の準備が出来ておりません」
後ろでは隊員たちが大慌てで出立の準備をしている。今日決まった計画を今日のうちに実行するのだから大変なものだ。下調べもしていない。
「ちっ。和ませてやろうとしたのに、余裕のない奴らだ」
その元凶が、ぼそりと呟いた。
 それは部屋中の全員に聞こえて ――― 全員の動きが止まった。
 すっと蘭の顔から血の気が引く。
 逃げろ。まずい! と脳内警告がヴァンヴァン鳴っている。
 動きが止まっていた隊員たちは、暫くすると肩がわなわなと震え始め、そして、気持ちが一つになる。

『だれのせいだぁぁぁぁぁぁ―――ぁっ!?』

彼らの怒声が唱和する前に、赤い魔女はすたこらさっさと部屋から逃げ出していた。血走った目をした数人の隊員はその後を猛ダッシュで追っていった。
 殴ってやる。殴ってやらねば気がすまない。

 おーい。零武隊ー仕事しろー

 と、八俣はなんか置いてきぼりにされた感があったので、胸の中で寂しく叫んでみる。このようにして出発は更に半刻遅れたのである。