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激と現朗は一般観客席からカミヨミの二人を見守っていた。二人で弁当を三箱空け、心とお腹はいっぱいだ。思いのほか旨い弁当だったので、初めは一箱ずつ食べていたのだが、追加を激が買ってきて二人で分けた。 「なあ。現朗。 どうして天馬殿があそこにいんだと思う?」 「さあな。まあ出た以上は勝ってもらいたいが」 「でも優勝したらきっと大佐にばれるよなー。こんな偽名、使わないほうがいいのに」 「今のままでもずいぶん騒がれているだろう」 二人の周りの観客たちも、どうやら天馬はかなり気の引く少年らしい。 何より強いし、それに勝ち方が上手い。 そしてあの顔と体だ。今までの相撲取りとは全然違う筋肉質な肉体、そして誰もを魅する大きな双眸。 「おおっと。 準決勝戦始まるぜー」 場内が騒然と騒がしくなる。 準決勝。天馬と、そして宮元 武蔵丸が土俵に上がった。準決勝からは塩を振る。 行事の鋭い声がここまで聞こえてきた。 組み手が数回続く。回しをとり、一瞬観客たちのボルテージが最高潮に達するが、すぐに払われた。 天馬の顔色に、苦戦の表情がはじめて浮かんだ。 宮元の張り手を避けながら、再び組み合う。相撲暦の長いほうが、やはり回しを取るのは上手い。天馬はその太い腕の上からにょっと囲んで、回しをつかむ。 ぎしぎしとその太い腕が、細い天馬の腕で押しつぶされる。 「―――まずいっっ」 現朗が囁くと同時に、激は銃を抜いていた。 天井に向けて数発。 こういうときのことを予想して消音装置をつけていた。誰もが試合に必死で気づかない。 銃弾は見事に天井の防火装置に当たる。 ビィィィ―――――― 凄まじい警告音と同時に、熱い観客たちの上に冷たい水が落ちてきた。 ***** 『ただいま、防火装置の故障のため、三十分の休憩をとります。 繰り返します。防火装置の故障のため、三十分の休憩をとります。 皆様、ご迷惑をおかけしますが、客席にてお待ち下さい』 繰り返されるアナウンスは、控え室にもかすかに届いた。 控え室には、天馬と、現朗と激がいた。三人しかいなかった。 険しい表情で二人が見下ろす中、天馬は台に腰掛けて肩を落とし萎縮している。二人とは幾度も面識がある。軍服を着ていなくても誰なのかわかった。 「……申し訳ございません。 あの、本当に……助かりました」 激と現朗が騒ぎを起こさなければ。 天馬は、本気を出していた。 本気であの少年の腕を打ち砕いていた。 ……相撲の世界を変えるのを夢を見ている少年の両腕を、夢とともに砕いていただろう。 「何があったんだ? こういう大会に出るってことは、なんかあるんだろ?」 激はあえて明るく尋ねてみるが、天馬は物悲しげに目を伏せるだけだ。 「……理由がないなら、出ちゃいけねえよ。 ここはおめえの領域じゃねぇんだからさ」 少年の細い肩がゆれる。 吐き捨てるように言われたその一言は、深い重みを持っていた。彼の今、最も言われたくない言葉だ。 自分でもそれはわかっている。……それは、わかっていた。そのくらい全部わかっていたのだ。 ……けれど。 ぐず、と鼻をすすって顔をあげると、黒髪の男の目を見つめた。 「―――じゅ、準優勝でいいんです」 か細い声が聞こえる。みるみるうちに、彼の瞳から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれていく。 真っ赤に紅潮し、嗚咽で肩を揺らす。 「じゅ……十円あれば……なんとか……なるんです」 よくわからなかったが、とりあえず激は横に座る。何かを言おうと唇を震わせている少年の細い肩を抱いてやった。 堪えきれなくなって天馬は彼に身をゆだねた。わっと泣きついてくる彼の背中をさすってやる。 曰く、蘭が五十五円もの剣を買った。 曰く、十円残して北海道にいった。 曰く、飲み屋の取り立ててで七円とられた。 曰く、月末に十円支払わなければならない。 曰く、食料も炭ももうない。 曰く、ここ数日食事をとってない。 (たーいーさー) 二人の顔に浮かぶ、上官の顔。そのまま十分以上、泣きに泣き続けた。随分無理をしていたのだろう。日明家の家名を背負いながら、少年の身でよくやっている。 そう思うと、激のさする手に力がこもった。 泣き声が嗚咽に変わり、少年はようやく顔を上げる。激のほうをすこし見て小さな声で謝った。天馬の興奮が収まったのを見計らって現朗が静かに口を開く。 「天馬殿。軍に来なさい。必要な分のお金は君に渡そう」 思いもかけぬ言葉に驚いたのは天馬だ。 「でもっ……っ」 「……勘違いしないでくれ。僕らが貸すのではない。 軍には前借の制度がある。来月分を借りれるよう手続きをしておく」 「そういやそーゆー制度あったな。 あんなマイナーなもんよく覚えていたなおめぇ」 「大佐からは私から伝えておく。 ……だから、あの三人を連れて、一刻も早く立ち去りなさい」 真っ赤にはれた両目をこすりながら、素直にうなずいた。 「激。三人をここまで連れて来い。記者どもに関係者とばれるなよ」 「わーってますって」 軽い返事をしながら激は出て行く。 激の席を現朗は陣取って、少年にハンカチを渡した。 ぽんぽん、と頭をなでてやると、ようやく落ち着いてきたらしい。 「……君が、人を傷つけることにならなくて、よかった」 六歳のときの事件をいっているのだろう。天馬の身が強張った。それをなだめるように、現朗はまた頭を撫でる。 あのまま続けていれば、勝つために最低でも二人の子供を傷つけた。殺しはしないだろうが、相撲をとれない体にしていた可能性は高い。 こんなところに来てはならなかったのだ。 自分は、武人だ。 日明家の一族だ。 「今夜は駐屯所においで。きっと大佐との連絡もとれるだろうから。 腹もへっているのだろう」 ぐぅ、と正直に胃がなる。 ハンカチでごしごしと顔を拭いた。 ちょうどそのとき、菊理と帝月が、青ざめた表情で入ってきた。泣いていたのがばれるのは恥ずかしくて、天馬は立ち上がって部屋の隅に逃げる。それを帝月と瑠璃男は面白そうに追い掛け回し、囃し立てた。 「泣いてたなっ」 「ち、違う!」 「鼻声ですぜ。坊ちゃん」 「お兄様も瑠璃男もやめなさいっ!」 激と現朗はとにかく四人を取り押さえると、静かに国技館を後にした。 |
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