・・・  アルバイト4  ・・・ 


 「行って参ります」
「楽しんでらっしゃいね、菊理ちゃん」
幾人かの召使の見送りをうけて、天馬と菊理、瑠璃男と帝月の一団は朝早くから馬車に乗った。馬車は業者から近円寺が手配したものだ。口やかましい老人だが、自分の体面を慮ってこういうときに金を惜しんだりはしない。そこを蘭や帝月にいいように利用されているのだが、本人が知らないので問題は無いだろう。
 馬車の中、菊理は楽しそうに天馬に試合の様子を尋ねていた。
「それで。天馬様今日も絶対お勝ちになりますわよね?」
「……ふんっ。どーだかな。
 昨日もこうはいっているが、ぎりぎりだったぞ。
 なっ、瑠璃男」
「へ、へえ」
「……帝月、お前負けてほしいのか。俺は勝たないと困るんだぞ」
ぱちくり、と大きな菊理の瞳が天馬を見る。なぜ、と無言でと嘘の視線は耐え難くて、少年は顔をそらした。
 いえるわけが無い。
 家計が火の車、なんて、口が裂けても。
 会場は昨日の三倍以上に混んでいた。屋台がでて、弁当屋が出て、しかもトトカルチョ的なお店まで出ている。新聞屋が台に乗って、盛大に瓦版もどきを売りつけていた。
 どうやら、今日出る子供の中に、三人特別な子がいるらしい。どれも大部屋の子息や愛弟子だそうで、子供の割にはずいぶんいかめしい顔した絵が張られている。その三つ巴戦が今日のメインイベントだそうだ。
「買ってみようかしら?」
「……やめろ。どうせすぐ負けて、さっさと帰るんだ」
「もうっ。お兄様ったらそればっかり」
菊理と帝月をなだめながら、観客席に案内する。今日の試合にでる関係者には特別に桟敷が割り当てられているのだ。
 天馬は彼らと別れると、気を引き締めなおした。

 ―――家計がかかっている。
 ―――七円。どうしても足りない。
 ―――どうしても、勝たなくてはならない。

 腹に息をため、息をゆっくり吐く。控え室の様子は昨日とはまったく違った。誰もがそれなりに重いものを背負ってここにいる。無言で回しをし、ある者は張り手を練習し、ある者は瞑想に入っていた。


 *****

 同刻同場所で、現朗と激は呆然とプログラムを見入っていた。
 隠密行動なので軍服は着てないが、武器はもちろん携帯している。菊理の護衛についてきたのだ。帝月らは護衛はいらないといったが、そういうわけにはいかない。
 二人のカミヨミが外出する以上護衛は必須なのだ。
 来た先が国技館だったのは前から聞いていたので驚かなかったが、子供らが『関係者応援席』に向かったときには流石に二人も顔を合わせた。
 そして、天馬がいなくなり、さらにプログラムを手にして二人は完全に硬直したのである。
『一般 …… 月明 天馬』
 偽名を使う気があるのかないのか微妙なところだ。
「天馬殿、出るつもりなのか?」
「出るよな。……つうか、出ないってことはないよねぇ、こうなってりゃ」
相当驚いているので激の言葉は意味を成さないが、その気持ちだけはひしひしと伝わる。
「な、なあ。大佐にいってると、思う?」
震える指でプログラムを指しながら、激は蒼色の顔で尋ねる。彼らの上司にあたる日明大佐は、自分の気に食わないことが起こると問答無用で部下に当り散らす。彼女の頭には部下が人間だという基本的情報が欠けているのではないかと影で囁かれているくらいだ。とにかく、彼女の息子がこんな俗な大会に参加し優勝でもしたら、その怒りははかり知れない。
 相手はすこしだけ目を細めて考えたあと、断言した。
「言っていないだろう。
 言っていたら、偽名は使わない。
 なにがあったのかは知らないが……まずいな」
最悪の事態を覚悟して、金髪は生唾を飲み込んだ。


 *****

 天馬は、やはり強かった。彼は完全に待ちの相撲だったが、その俊敏な動きは目を見張るものがあり、観客たちを魅了した。頭一個分大きい相手がころりころりと負けていく。
 技。
 彼は完璧に見切って技をかける。面白いように相手は倒れた。
「ほら。お強いでしょう?」
「……っ。
 相撲の本質がつかめてない小童どもの試合で、僕の犬が負けるわけ無いだろう。あの、なんだっけ、三人がまだいる」
「きっとお勝ちになりますわ。ね、瑠璃男」
「へえ」
「なんだと。瑠璃男」
「うへえ」
熱気あふれる観客席なのに、この枡席だけはおそろしく冷たい空気が降りていて、瑠璃男は一人がくがくと震えていた。どちらかが癇癪を起こしたら、今は自分だけで止めなければならない。
 しかもそれは、天馬が勝っても負けても起こりうるのだ。
 戦々恐々としながら彼は試合どころではなかった。
 他方、例の三人というのも、新聞屋が目をつけるだけのことはあって確かに強かった。豪快な相撲をとり、本当に15歳なのかと疑ってしまう。期待の新星とかかれているが、確かに大物になりそうな予感をさせる相撲をとる。
 天馬は険しい表情で三人の戦いを見ていた。
 ―――まずい。彼らは、強い。
 目を閉じて何度もシュミレーションをするが、彼らの誰に当たっても嫌な結論が弾き出される。

 ……自分が、本気を出してしまう。

 それだけはどうしても許されない。天馬は静かに息を吐いて、なんとかならいかと最善手を必死に探っていた。
 トーナメントは上手く組まれていて、天馬とその三人が当たるのはこのままいけば午後の、準決勝ということになる。彼らは明らかに天馬を意識していた。名も知れぬ少年がここまでやることに相当動揺している。親方や兄弟子たちも天馬の一挙一動に注意を払い、そして、声高に賞賛していた。自然、天馬は多くの視線が集まっていた。
 昼食時になっても、天馬は観客席に戻ってこなかった。
 一人控え室の中で考え込んでいた。もう、時間が無い。勝つための手段はいくらでもあるのだが、『何も起こらないで勝つため』の手段がどうしても見つからない。このまま逃げだそうか、と心の奥でそんな考えが沸き起こるが、すぐに七円という借金を思い出して打ち消される。その繰り返しが三度目になった時だった。
「ツキアキ、と読むのかい?
 君は」
と、いきなり声をかけられて思考がとまった。
 目を開けるとそこには、例の三人の一人がぬっくと立っていた。
「え……ええ。月明です。読みにくい苗字でしょう」
自然な口調で笑みを添える。内心、壮絶に焦り瑠璃男をうらみながら。
「いや。とてもいい名前だと思う。
 俺は宮元 武蔵。かの剣豪と一文字違いだ。日元部屋に稽古に通っている」
よろしく、と言いながら少年は手を伸ばした。相撲の稽古をしているため体つきは大人だが、その顔の笑みはまだ少年めいていて、どこかアンバランスな雰囲気が漂っている。天馬は握手をしっかり握り返した。
「どこかに、属しているのかい? 相撲部屋」
「いえ。……まだ」
そりゃすごい、と彼は地で驚嘆した。その言葉には嫌味の色はない。
 確かにエネルギッシュなオーラがある人物だが、人は悪くはない。試合前に相手に声をかけられるのは並みの精神力ではない。天馬はただこのすこしの会話で彼が気に入ってしまった。
「じゃあ是非うちに来いよ。……師匠たちが君の相撲に相当ほれ込んでいた。後であってくれないか?」
「え……ええ」
それはできないだろうなぁ……
 と考え曖昧な返事を返すが、相手は肯定と受け取ったらしい。
 しばらく言葉を探していると、急に、ぐっと唇を真一文字にした。決意の表情に、自然天馬も姿勢を正す。何か踏ん切りがついたのか、彼の空気が一変した。戦いの前の雄の気、そのものだ。
「このままいければ、準決勝で君とあたる。
 ……僕はね、絶対この大会で優勝して、そして、これから一番の相撲取りになって相撲界をもっと面白くする。
 いい相撲をとる。絶対」
少年の目には信念が宿って、美しく輝いていた。
「だから、君に勝つつもりでいる。
 ……だが……」
彼もある程度はわかっているのだろう、天馬は今までの試合で実力の全てを出し切ってはいない。おそらく負ける、と本能がどこかで囁いているのを。
 それすら打ち勝とうと、必死なのだ。
 彼は天馬にプレッシャーをかけに来たわけでも、同情を買いにきたわけでもない。同じ相撲を愛する少年と信じて、自分の気持ちを伝えにきたのだ。
 目を閉じ、そしてゆっくり開いた。
「……だが、君の相撲は僕も好きだ。是非うちの部屋にきておくれ」
天馬はこわばった顔で笑顔を作ったが、返事をすることはできなかった。