・・・  アルバイト2  ・・・ 


 零武隊は北海道に出張だった。
 なんでも向こうに化物の噂があるとかで、蘭が隊員の三分の一を率いて出征した。相手が知れない以上隊員だけにまかせるわけにはいかないが、かといってそう多く連れて行く必要もない。考えた末の結果だった。
 三分の二はカミヨミ姫の護衛と通常業務とを行っていた。
 25日、蘭は給料を隊員に払ってから家に戻り、そして翌朝には荷物をまとめて出て行ってしまった。
 帰ってくるのは一週間か、はたまた一ヵ月以上かわからない。
 カレンダーの日付をにらみつつ、天馬は盛大にため息をついた。
 今日が26日、支払日は30日だ。
「どうして霜月というのは30日しかないんだ」
全く解決にならないことをぼやきつつ、腕を組んだ。
 残り三円。
 箸にも棒にも引っかからない。
 おろおろと居間を巡っていると、きらり、と光るものが見えた。
「あっ!」
独特な銀色。手に収まりのいいその形状。そしてその存在感。
 見間違えようのはずがない、お金だ。誰もいないのに勢いよく飛びついて、慌てて握り締めた。
 硬貨をつかんだ右手を丁寧に左手でくるんで頭上に持ち上げる。そうせずにはいられなかった。天に祈りを捧げる巫女のような姿勢で、日頃あまり感謝したことの無い神やら仏やらそういうものに涙を流して感謝した。
「やったぁ! 五厘硬貨っ!
 これでっ―――」
これで。

 これで残り3円5厘。

 ……やはりどうにもならない。
 正気に戻った天馬は糠喜びした自分に少し恥じ入りながら、五厘硬貨を座卓に置く。そして、再び腕を組んで考え始めた。
「どうにかしても、母上に連絡をつけないと。しかし」
仕事場に天馬が顔を出すのは毛嫌いする。それに相手は北海道に行っているのだ。帰ってくるだけで三日はかかってしまう。
 貯金などがあればよいのだが、あいにく日明家にはそういう金銭は一切ない。それは給料の問題ではなく、金があれば趣味の刀剣を買ってしまうとんでもない怪物がいるせいだ。
 ……ふと。気になった。
 なぜ十円しかないのだろうか。
 天馬は急ぎ足で母親の部屋に向かう。
 書斎と寝室。二つとも彼女の部屋だ。
 襖をあけると、薬臭が鼻をつく。滅多に主の戻ってこない書斎には、仕事などよりもずっと多くの剣や刀が置いてあった。装飾的な業物を嫌う彼女は、何百人の血を吸ってきたようなものを好んで買う。どの武器も禍々しい緊迫感を与える品々で、床の間に飾れるような代物ではない。
 蘭のコレクションだ。
「これ……………………は……………………」
 今まで見たことのない剣が増えている。
 西洋の武器だろう。両刃で、しかもかなり大きい。
 柄に値札があった。

 ―――五十五円也

 その値札は少年の精神の糸をぷつんと切るのに、十分の威力をもっていた。


 *****

 「……瑠璃男。手っ取り早く稼げる方法はないだろうか」
「何あったんや。おまい」
午後になってから近円寺のところに帝月に呼ばれた―――正確には帝月のわがままを抑えるため零武隊に呼ばれたのだが―――天馬は、とにかく帝月をなだめすかせてヨミの術をさせた。
 皆が見守る中術は無事に終了した。零武隊は仕事が終わるとさっさと帰ってしまう。疲れた帝月は風呂に行き、瑠璃男と天馬は一緒に食事をしていた。ヨミの後は、帝月は食事をしないのだ。
 目の前に白米と魚が並ぶと、箸を一瞬で取って天馬は貪るように食べる。瑠璃男はさすがに引いたが、そんなことを気にしている余裕はない。今日、初めての食糧だ。
 一通り全部食べ終わると、まだ三分の一も食べてない瑠璃男に向かって、少年はおずおずと尋ねてきたのである。
 「まーたおまえのおかあはん、何かしでかしたか」
少年の表情から察した瑠璃男は、半ば断定の口調で尋ねる。
「……五十五円の剣を買ってきた。
 しかもその足で、出張に行かれてしまった」
「ご、五十五円っ!? 
 そ、そない、おまえん家裕福やないやろっ。なんでやっ」
はっきり貧乏といわないのが彼なりの優しさだ。
 天馬は服がないから、零武隊のお下がりの軍服を着ているということも彼は知っている。彼女のコレクションを除いて、質草になるようなものはもう一つも無い。蘭がコレクションのために売り払ってしまったのだ。帝月にそのような話は出来ない天馬は、瑠璃男にいつも相談していた。
「今月分の給料をほとんど注ぎこまれたようなのだ」
「……ほへぇ……豪儀な」
「しかも先ほど、料理屋から取立てがあった」
「泣きっ面に蜂やな」
天馬は涙を流しそうになるのをこらえて、畳を見る。
 そうはっきり言われると、余計に大変な状況が身にしみてくる。
「で。どなん残っとん?」
「……三円……」
「三円? なんや、結構あるやん。
 オニババ帰ってくるまでここにおったらええ。菊理姫も喜ぶし」
沈痛な面持ちで、首を振って瑠璃男の言葉をさえぎった。
「駄目なんだ。
 ……月末に、お米代とか魚代を払わなければならないし。
 全部で………………十円も」
「っげ」
瑠璃男は白い軍服の友人を何度も見ながらすこし思いをめぐらせる。
 今食事の勢いを見ると、彼の家には食べ物もあまり残っていないのだろう。相当追い詰められているのか、顔は青白く、いつもの半分以下の気力しかない。
 こなん状態、坊ちゃんが見はったら―――。
 主が憤慨して我侭を言いまくるだろう未来を予想して、くらり、と一瞬気が遠のきそうになる。
「しっかし。三四日で七円もつくる方法なぁ……
 ……なもん、あったらとっくに皆やっとるし……」
瑠璃男は箸を置き、腕を組んで考える。
 女性ならばあるだろうが、まともな方法ではない。
 猥褻警官の顔が浮かんだが、それはやばいだろうと頭を振る。
 主の帝月や菊理に借りる、という手段もないわけではないが、天馬はそれを肯かないだろう。二人は近円寺に世話になっている身なので、金を借りると二人が近円寺に借りを作ることになる。近円寺公は、人としては少々問題のある老翁だ。天馬は二人の立場を悪くすることは絶対にしない。
「……ないよな」
と、天馬が言った。
 一秒ほど間が空いて、瑠璃男も肯定の合図を返した。
 「支払い待ってもらえへんの?」
「やはり、それしかないかぁ。
 ただ、そういうことを子供の私がするのがいいのやら……。もし、きいていただけないとなると、困った話になるし。はぁ……」

 「そんなことする必要は無いっ!」

 すぱーんとふすまが開かれた。
 びっくりして二人が振り返ったそこには、いるべきではない人間がいる。
「坊ちゃん、なんでっ!?」
「寝てたのではないのかっ」
様子を察するに、どうも廊下で聞き耳を立てていたらようだ。
「ふっふっふ。
 おまえがいるのをしって、すぐに布団に入れるか。夜のお誘いに来たのだ」
「何わけのわからんことをぉ〜。
 疲れているのだろう。早く寝ないと、また熱を出すぞっ」
天馬は顔を真っ赤にして怒り出す。心配してくれていると思うのが嬉しくて、こうやって揶揄するのが帝月は何より好きだ。
 とことこと天馬の側によって、ぺたんと真横を陣取った。猛烈に不快そうな顔をする瑠璃男の殺気を受けながら、天馬は体を逃がそうと必死だ。
「い、今はおまえにかまっている余裕はない」
「んっふっふ。
 お金が欲しいのだろう?」
「ほ、欲しいが……おまえからは借りんぞ」
「僕にそういう口の聞き方をすると、教えないぞ」
軍服の少年の体を押し倒そうとしながら、帝月は不気味に微笑む。
 なるほど、と後ろで瑠璃男が声をあげた。
「坊ちゃん、あれを勧めるのですか? 天馬に」
「しっ。
 瑠璃男、黙ってろ」
必死の攻防もむなしく、仰向けになった状態で腹に馬乗りにされてしまう。
 いつもなら憤慨して食って掛かる瑠璃男は、なぜだか、にたにたと笑みを浮かべていた。
 二人がこういう状態のときほど、悪い予感がすることはない。
 新手の悪戯か。それともいつもの逃亡か。零武隊への攻撃か。近円寺翁への嫌がらせか。―――どれをとっても天馬に悪い結果しか齎さない。
 少年の顔は、天女のように美しい少年が口を開く前に、既に真っ青を通り越して蒼白になっていたのである。