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聞いてみれば、この鬼子が言うにしては非常に珍しいことにさほど悪い案ではなかった。 「子供相撲大会?」 「そーや。 子供っちゅうても、相撲部屋に入っていないなら15までええんやけどな」 瑠璃男が手渡した新聞は、一ヶ月前のものだった。 全国子供相撲大会が両国国技館にて開かれるので、その参加を呼びかけたものだ。地区代表枠と一般枠とがあり、一般枠は28日に予選が開かれて、その上位二十名が地区代表とともに29日本戦のトーナメント戦を行う。 天馬は一点で目が留まった。 優勝賞金は20円、銀賞でも10円という、甘美な一行に。 「要件は満たしてる」 帝月は天馬が必死になって読む新聞を奪い取って、懐にしまう。 「だ、だが。申し込みはとっくに締め切られているぞ」 「なんとかするさ。なあ」 「へい坊ちゃん」 主従二人は見合って、にやりと微笑んだ。瑠璃男がなんとかするというからには、確かになんとかするのだろう。 天馬は迷った。このような大会に出るには、やはり母上の判断を仰がなければならない。それに、帝月や瑠璃男がここまで積極的なのも気にかかる。 ……だが。 四の五の言っていられる状況でないのは、確かだ。 「瑠璃男、本当に……何とかできるのか?」 天馬は特に反対することは言わず、瑠璃男に質問した。 「まーな。 今夜のうちにちょいっと忍び込んで、資料を書き換えればええでっしゃろ。大丈夫、慣れてるわ」 「……そうか」 清廉潔白を地で行く少年にしては珍しく積極的で、自然帝月にも少女のような笑みが浮かぶ。 うまくいった、と。 この新聞記事を目に留めたのは、実は菊理だった。菊理は「天馬様ならばきっとこのような大会でもきっと優勝になりますわね」、と冗談のようにいった。それを帝月が「あの犬にそんなことできるか。相撲という競技は、奥が深いのだ。あいつのように度胸の無い奴は無理だ」と反論した。 その無駄な―――無意味な―――戦いに瑠璃男も巻き込まれ、一週間ほど双子の大喧嘩が続いていたのである。 瑠璃男としても、天馬が帝月の前で恥をかくのは面白い。 「よし、決定だ。出場するな。 まわしは当日配られる。用意するものはいらん。 僕と菊理をきちんとエスコートしろよ」 「菊理も来るのか?」 天馬は一瞬心配そうに呟いた。 「自信ないんや? 姫さんの前で大負けっちゅうのは婚約者としては困るからなー」 「零武隊の方にばれるのが困るだけだ」 むすっと頬を膨らませながら言い返す。 「では、29日のほうだけ菊理を呼ぶのはどうだ? 菊理とおまえが一緒に相撲を見に行く、といえば零武隊のほうは納得する。 ……まあ。本戦まで残れれば、の話だが」 「それなら……悪くは無い。 瑠璃男、一応名前は偽名で登録しておいてくれ。やはり母上には……」 にやり、と少年はうなずいて、傍らにあった刀を拾い上げた。 「まかしとき。 ほな坊ちゃん、わい出かけてきますわ。坊ちゃんは早よ寝て下さい」 「天馬。一緒に……」 「寝・る・かっ。 寝所までついていくから、そういう冗談はもうやめろ。 瑠璃男、近円寺公にご挨拶をしたら俺も出る。途中まで一緒に行こう」 ***** 28日は、酷く寒い日だった。 天馬は朝早くに二人の家へ伺い、朝食を一緒に済ませた。昨日彼が何も食べてないのは明らかで、同情した瑠璃男が漬物を二枚多めにあげたくらいだ。 明治と時代は変わっても相撲人気はまったく翳りを見せない。むしろ鰻登りだ。冬や夏にはこういう一般参加者向けのアマチュア大会も多く開かれるが、この全国子供相撲大会とはアマチュア大会の中で最高の大会である。 全国県の代表者である子供たちが一堂に集まって、一位を決める。相撲部屋に入っている子供は10歳以下、相撲部屋に入っていない子供は15歳以下という年齢区分があるが、実際この大会のために相撲部屋に名を連ねない子供多くいるといわれている。プロの相撲部屋にとっては将来性のある子供を発掘する場でもある。 相撲人気の影響もあって、二日目の人出は非常に多い。観客は普通の相撲場所以上に集まり、新聞記者も来る。しかも今年は皇族がお一人お見えになるという好条件も加わって、一般参加者も恐ろしい数になった。 「……2096番、か」 「全部で5000人以上はおったで。ほんまに今日中に予選終わるのかいな」 「なんでもコートは150もあるそうだ。 天馬、お前はどこの組だ?」 「3のろ組……ああ、あそこだろう」 地区代表になれなかった子供も津々浦々から集まってくるし、我が子こそは、と考えている親も少なくない。ごった返しの会場は、冬の寒さとは反対に熱気に包まれていた。 「天馬。食事は大丈夫か?」 「大丈夫です。ちゃーんと、たくあん2枚多めにやっときましたから」 「そうか。それなら絶対大丈夫だな。 じゃあ遠くで応援してやるから、それなりにがんばれよ」 ……なにがそれなら大丈夫、なのだろうか。たくあん二枚で。 と、思わず天馬つっこみをいれたくなったが、食事をたかっている身分なので一応黙っておく。腹は猛獣のように空いていた。 二人は天馬の場からさほど離れていない観客席の一部を陣取った。用意周到な瑠璃男が持ってきた敷物の上に、帝月はちょこんと腰掛ける。横では嬉しそうに飲み物を用意しいてる瑠璃男がいる。 遠いが、そのために双眼鏡という便利グッズを近円寺から無断拝借しておいた。二人は応援するとはいいつつも、実は負けることを期待していた。それもできればあっさりと、不様に。そのほうが笑いのねたになる。 「どのくらいで負けると思うか?」 「そーっすね。相手次第とは思いますが、まあ天馬のやつなら三試合くらいはもつんじゃないでしょか」 「僕は二試合も持たないと思うな。 見ろ、相手。あの犬の倍はあるぞ。あれが15歳以下とは、世も末だ」 「坊ちゃまー。 ほうじ茶入りましたで。熱いうちにどうぞ」 ………………が。 予想をはるかに裏切って。 天馬は、恐ろしく、強かったのである。 双眼鏡を見ていた二人が唖然とするほど、一試合目からぶっちぎりの強さを見せた。 簡単に試合を述べれば、相手が襲ってきた瞬間に全身でかわし、回しをとらず、片腕で払いのけた、ということになる。体は倍以上ある相手が簡単に地についた。 だが、皆を驚かせたのは天馬が小さいからではない。 天馬が攻撃をかわした距離は、普通ではありえないほど近距離なのだ。回しを取ろうと思えば取れる近さで、そこからの攻撃を避けるなどありえないのだ。 一試合目に見せた鬼神のような強さはその後も劣らず、午後まで一気に邁進した。 九時から十三時までが午前、十四時から十八時までが午後の部と分かれている。午後の部が始まるまでには天馬の強さは話題になっていた。勿論のこと午後でも勝利街道を邁進し、見事二十人枠に入ることができたのである。 「いやぁ。久々でも相撲は面白いなぁ」 汗を拭き、いつもの軍服姿に戻ってから二人のところに戻った天馬は、気持ちよさそうに口を開いた。あれだけ相撲をとっていたはずなのに、顔に疲れが無い。 「……お前、相撲をやったことが……」 「ああ。七歳の頃に相撲部屋に母上が連れてってくださった。 その日のうちに全員打ち倒してしまったので、結局一度きりだが」 そんな話、聞いてない。 くっ……と帝月は唇をかみ締めながら立ち上がった。 このままでは、菊理に大見得きって天馬を罵倒した自分の立場がなくなる。 「さて、明日は菊理を喜ばせてあげられそうだな……」 天馬は頬を緩ませながらぼやいた。 普段は零武隊や母上の影に隠れて許婚に雄姿を見せることがないから、彼は少し楽しみにしていたのだ。一般人相手の相撲で、負けるはずが無い。優勝すればきっと彼女は驚いてくれるだろう。 目の前の締りの無い顔に、ぷちん、と帝月のどこかが切れた。 「よ……予選と本戦はまったく敵のレベルが違う。 この程度で勝った気になるなよっ」 捨て台詞を投げつけて、くるりと背を返し一人で出口の人だかりの方へ行ってしまう。 一瞬呆然と立ち尽くした天馬は、何かを求めるように横の瑠璃男を見た。あちゃーと髪をかきながら困った表情をしている少年は、友人の真っ直ぐな目が自分に向けられていると気づくと、すぐに愛想笑いを浮かべて誤魔化す。 「ええと……あの帝月はなんか怒っていないか?」 「さーて。さっさと帰ろうなー」 まとめた荷物を小脇に抱えて、瑠璃男は後を追う。天馬もわけがわからなかったが、仕方なく駆け出した。 |
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