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合言葉。 それは、異形の者を相手にする零武隊だからこそ必要な技術である。 妖が隊員に『変身』して隊の中に紛れこんだとき、本人確認のために危険期間令が発令される。その期間中は、決められた相手と出会ったときには必ず与えられていた合言葉をかわす、という単純なものだ。相手も合言葉も、その二人と日明大佐しか知らない。 単純とはいえ、合言葉と悟られない様に会話形式になっているためかなりの量がある。そこで、それをきちんと覚えて流暢に交わすのは多少練習が必要なのだ。そのため、合言葉が変わる度に、数週間危険期間令を出して日常的に合言葉を使うように習慣づける。その間は変身の得意な護法童子の数十体を紛れ込んでいるので、暗号が出来ないときは問答無用で攻撃されかねない。 「……合言葉がどうかしたのか?」 日明大佐はわからないとばかりに眉根を顰める。 確かに、出張に出る前に合言葉の変更を命じておいて、その用意はしておいた。 だが、こんな荒れる原因になるような悪戯をしかけた覚えはない。 『どうかしただとっっ!?』 屈辱的な言葉を吐かされた男達は、殺気だった目で上官を睨んで声を上げた。何故か敵意のど真ん中にいて、天馬と爆は狼狽しそうになる。流石の蘭も不快そうな顔をした。 下手に出れば少しは考えてやっても良いが、こうも言われると面白くはない。 それにそもそも、人が嫌がると知れば嬉々として実行するという、決して褒められない人格を持ち合わせている彼女である。腕を組み、ふんと鼻をならした。 「……何があったのか知らぬが、必要がないのならば合言葉を一々変えるわけにはいかん。 手間がかかる」 至極当然、と言い放った。 炎の周囲に居た軍人達は一斉に片足を下げ、柄に手を置く。抜刀の構えで日明大佐に圧力をかける。 だが一方、合言葉が面白い―――というよりも、嬉しい―――部下達は、大佐の援護にと彼女の後ろ側について同じく抜刀の構えをとって牽制した。 茶羅と毒丸も攻撃を止めて、対立しあう山に分かれて入って牙を剥く。 一発触発。 場の緊張はいやがおうにも高まった。 「……そういえば、爆、天馬。 お前達の分もあったな」 彼女はおもむろに思い出して、胸元から二枚の紙を取り出した。零武隊の不思議なテンションに相変わらず上手くついていけない新人の士官たちは、自分の名を呼ばれたことに驚きつつ振り返る。先輩方があれほど嫌がるとは……と恐れを抱きながら、紙を開く日明大佐をまじまじと見た。 蘭の目が、点になった。 素早く紙を折り畳んでもとのポケットにしまい、炎の方へ向き直る。 悪鬼と見紛うどぎつい顔をして睨みつける。 「………………なんだこれは」 「俺が知るはずないでしょうっっ!」 背には本気のオーラが揺らめく。 紙に書かれた卑猥な文。あれを天馬や爆に言わせるなんて、言語道断の所業だ。 こんな突拍子のないことを思いつく人間は、ある種、限られている。 「あぁん、もう終りぃ? せっかく天馬ちゃんの分楽しみにしてたのに」 小さかったが、良く通る声。 百人を超える男達は一斉に振り返った。 門の外に、筋肉質で隻眼の男がすっくと立っている。 それが、しかも、二人。 一人は楽しそうに煙草をふかしているが、一人は興味なさそうにぼりぼりと頭をかいている。 「貴様ぁぁぁ〜っっ! 私の隊に何をしたっ」 ずかずかと旧友の方へ大股へ歩み寄る。 だが、睨まれてもなんのその、男達は少しも反省した様子はない。 「ちょっと飛天と賭けてたのよ。 あんたのトコ、可愛い子多いわね。お陰で大勝しちゃった。 ……誰も気づかないんですもの、あの命令」 「ちったぁ不思議に思う奴が居てもいいと思ったんだがなぁ」 賭けに負けて不機嫌な飛天は、裾に両手を入れて組みながら唇を尖らせる。負けた分をどうやって踏み倒すか考えながら。 なるほど。 と、隊員たちは全てを理解する。 理解すると同時に武器を持つ。 武器を持つと同時に攻撃に走る。 『どりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ―――っっ』 数十人が一斉に襲い掛かってきて、流石の二人の顔にも焦りが浮んだ。 そこいらのチンピラと違って、一糸乱れぬ正確な動きで命を狙う上に、全体に体制が整えられている。ついでに言えば、隊長と良く似て常識とか歯止めとかそういうものがない。即座に逃げに打った二人は、背を返して駆け出す。 だが、狙った獲物をむざむざと返す優しさを持つ者が、果たしてこの零武隊にいるだろうか。 一撃目に加わらなかった隊員たちは、既に火縄銃を用意しており、八俣と飛天が逃げ帰れない様に『道に向かって』乱射し始める。 一般人に当たったらどうするんだっ、と八雲は別なところで焦る。 もっとも、ここら辺の住人で陸軍特秘機関研究所の周囲に不用意に来る人間などいないのだが。 「そいつらに一撃でも当てられた者には今月の報奨金をくれてやるぞっ」 肝心の日明大佐は止めるどころか嬉しそうに笑いながら煽るばかりだ。 さてどうやって攻撃に加わろう、とうきうきしながら考えて。出来れば、この二人が来ては最も困る素敵なタイミングで殴りにかかって、恐怖と激痛を味あわせてやりたい。まあそれは無理だとしても、痛めつけて負け犬の遠吠えをはかせることが出来たら万々歳だ。 戦闘開始と共に取り残された爆と天馬は、どうしようかと顔を見合わせた。 戦場と化したこの地に留まる理由もないが、かといって戦闘に加わる理由もない。実はこの二人、零武隊ではかなり稀な平和主義だ。もう一人元祖平和主義の鉄の腕を持つ大男もいるのだが、彼も今回ばかりはしっかり戦闘に加わっていた。 「……昼飯の用意、をせんか?」 と、提案したのは爆。 「良い案ですね」 天馬はその意を悟り、にこりと太陽のような笑みを零す。そうと決まると、二人は準備を整えに官舎に向かって走り出した。 何気に料理が得意な二人が、大鍋一杯ににカレーを作り終えた頃。 匂いにつられて、良い汗をかいてすっきりした先輩達が次々に官舎に戻ってきた。 始めは戦の興奮とか血生臭い物が漂っていたが、カレーを食べていくうちに次第にそれが消えていく。さらに、ここ最近の疲れや恨みやらそういうものすらも浄化していった。おかわり、おかわりと食堂のホールでひっきりなしに声が上がる。 今はただ、この美味しいカレーを腹いっぱい食べたい。 唯その気持ちしかない。 秘技 カレー大作戦。 二人の若い隊員の策謀にすっかり嵌められて、食べ終わる頃には誰もがさっぱりとした表情が浮んでいたのだった。 |
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