・・・   策謀 2  ・・・ 


 後ろから声を聞いて激は笑いながら振り返った、が、その笑顔は凍りつく。
 そこに立っていたのは真。
 彼は愛用の短刀を抜き、躊躇なく、真っ直ぐ心臓の上につきたてていた。
 少しでも動けば刃は激の肉体に刺さる。
 呼吸をするだけでも強張っていく体。
「真」
激は気をそらそうと声をかけようとするが、三白眼で一蹴されてしまう。
「笑っていれば、俺から逃げられると思っていたのか?」
激の見開いた瞳には本気の真の眼差しが映る。
 ……逃げられない。
 そう理解した激は膝を折り、身を低くして真の足を払おうとする。が、それはすでに読まれている。後退しながら刀を逆手に持ち替えて、激の首を狙って振り下ろす。
 紙一重でかわした長髪を、今度は真が攻撃に転じる。
 十数手、激しい攻防が続く。だが、結果は既に決まっていた。
 何も用意をしていなかった激には、単独戦力で最強の名を持つ真から逃れるなどまず不可能だ。得意の棒を持っていない時点で既に勝負は決していたのだ。
 廊下に仰向けに倒れた男の胸を、軍靴が押さえつける。
 膝を曲げて、真は顔を近づけた。
「……笑っていれば、俺から逃げられると思っていたのか?」
「逃げて……ごふっ……ねえっ、だろ」
「誓え」
淡々と、まるで決められているかのように、感情のない声。それが真の最後の優しさであることがわからないでもなかったが―――それは、わかっているのだけれども―――わかっているからこそに余計に―――納得がいかない。納得がいかないからこそ胸が潰れそうになるほどに苦しい。
 真には敵わない。
 それは純然たる事実。
「誓え」
激の垂れ目が閉じられる。深い息を繰り返して自分を落ち着けようとしていた。
 真は、表情は変えないものの、やっとか、と心で安堵した。彼を相手に怪我をさせないように手加減して戦うのは正直辛い。良く言えば決断力のある、悪く言えば自己中心の彼にしては珍しく、今だけは、激の気持ちの整理がつくまで待つつもりだった。相手の気持ちにゆだねた。
 真はそう長くは待たされることはなかった。
 瞼がゆっくりと開かれる。
 現れたのは、濁り曇った眼。
 激は全身の力を抜き、、まるで壊れた人形のようだ。ぐったりと横たえる手。ごろり、と首が横に向く。
「…………決して……逆らわない、お前には」
「ならば、誓え」
唇が小さく開かれる。

「      」

全ての感情を押し殺して、その言葉を吐いた。
 だが、どうしようもない思いは体中を駆け巡る。燃え滾る溶岩のようなそれは、彼の臓腑を焼き払い胸を焦がし尽す。ぶるぶると腕が震え、それを押さえるために爪を立てて腕を掴むが、どうにもならない。
 結局、零落してしまう一筋の涙。
 真は足を退けて、しゃがんみ込んだ。
 男の悔しさの全てが籠められたその雫を、指の背で優しく拭う。覗き込む目は彼のことを真摯に心配していた。だが、激には堪えられなくて、その手を強い調子で打ち払った。
 両手で目を覆い隠し、必死で歯を食いしばった。
 傷つけられ、踏みにじられた己の尊厳を守るために、これ以上恥を曝したくはない。
 必死で抑えても漏れてしまう嗚咽。酸素が足りないと必死で息を飲み込み、顔は真っ赤だ。その音が真の罪悪感を刺激する。
 受容れてくれ、と言いたくて、その言葉を飲み込む。そんなことを言えば余計に激は怒るだろう。

 どうしようもないのだから。
 受容れるしかないのだから。

 俺はお前を許せはしないのだから。