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「えーんちゃーん。解放時間だよ」 告げに来た青年の顔を見て、炎は、そうか、と小さく言った。広い部屋の片隅、窓辺に座ってぼんやりと空を眺めていると、毒丸は屋根から壁を伝って下りてきたのだ。 言っただけで、その場に肘をついて留まる。と、後ろから爆が不思議そうに声をかけた。 「解放時間はまだなのか? 炎」 部屋の時計は三時三十分。 「……いや、今かららしいな」 「だったら出かければ良いだろう。 外は、良い天気じゃないか」 「………………気分じゃないからな」 「稽古場は?」 炎は後ろを向いて、首を振る。 爆は不思議そうに顔を顰めて、ならば、と言い募った。 「とにかく仕事の邪魔だ。外へ出て行ってくれ」 ざく。 同時に、毒丸と炎の心臓に冷たい刃が突き刺さる。 心の蔵を抉るような痛みに、二人は一瞬目を剥いた。 言った爆は何か問題があろうか、とぱちくりと大きな目を瞬かせてる。 「……ええっと。じゃあ、炎ちゃん、俺解放時間終ったから……うーんっと、頑張ってね」 「…………ああ」 すとん、と窓の外の毒丸は両手を離して大地へ落下する。そのままとぼとぼと生気のない足取りで自分の仕事場へと向かった。 窓からその後ろ姿を見ながら、そういえばここ最近彼も元気がないな、と爆は不思議に思った。 「爆、その、やはり仕事をしようかと思ってみているのだが……なぁ……」 炎にしては珍しく言い淀んだが、その気持ちを汲むことなく爆はきっぱりと答える。 「いいや結構だ。 お前が休むの前もってわかっているから全て終らせている」 数秒間、沈黙が下りた。 炎は寂しそうに笑い、そして、背を返す。 真っ直ぐに伸びた背。 揺ぎ無い信念に輝く瞳。 人のモノとは思えぬ曇りなき赤髪。 ―――何もが変わらないはずなのに、爆はそれが何故だか色あせて見えるような気がする。 扉が閉まり、爆は己の仕事に集中する。といってもデスクワークなど簡単な部類で、後は資料整理くらいなものだった。 彼の中で先ほどの様々な疑問が浮んでは消えた。 ―――何故、炎の雰囲気が変わったのか。 ―――何故、毒丸に元気が無くなったのか。 それらの疑問は、最後に、日明大佐のあの憤怒の表情に繋がる。 ……もしかして、あの作戦、何か大きな欠陥があるのではないか? 単に休みを分配するだけならば、問題ないはずだ。逃亡が分かっていればそれに対応が出来る分、仕事の効率は上がった。周囲も、わざわざ探しに行くという手間がない分己の職務に集中できるようになった。平均的に見れば、仕事の時間は変わっていない。 「だから、そう、問題はないはずだ」 薄い唇で、爆は幾度もたどり着いたその結論を呟く。己に言い聞かせるために。だが納得しない自分がいる。喩えるならば零武隊の隊員としての勘。武人の勘とは一味違う、なんだかこの展開は嫌ぁな方に行くのではないかなーという、本能に備わる未来予想。 「問題はないはずだ」 再び、言う。だが、今回はそれだけに留まらなかった。 「……じゃああの違和感はなんだというのだ?」 乾いた唇が無意識のうちに自然と疑問を紡ぎ出す。 と、突然。 天井が凄い軋みを立てたかと思うといきなり崩壊した。不測の事態に慣れている男達は直ぐに影響の少ない部屋の隅へと逃げに打つ。阿鼻叫喚にもなりかねない事態にもかかわらず、人々の動きは冷静で素早い。 瓦礫の雨の中、人が降って来た。 「うるさぁぁぁぁぁ―――ぁいっっっ!」 逃げながらも戦闘態勢をとる軍人の間に、人影は綺麗に着地を決める。 大佐と、現朗と、真。 続いて、鉄男も下りてくる。 先に降りた三人は既に刀を構えていた。 「何をなさるんですっ! 遊ばれるならば解放時間になさればよいでしょうっ」 「なんのための時間だと思っている」 二人の正論に、蘭は片足を振り上げて机を踵で蹴り砕く。 「いるかっ、そんな時間っ! 皆で除け者にしおって! 意地悪っ、悪魔っ、鬼、真っ!」 真っ赤な頬に、彼女がこれ以上ないくらい興奮しているのが見て取れる。 瞳に浮ぶのは滾る殺気。 彼女の空気が微妙に歪んでいるのが目に映る。 爆は大声で部下達に外へ出るように指示を出した。炎と爆の双方が揃っているならまだしも、一人しか司令官が居ないならば戦闘力は格段に落ちる。大佐を取り押さえるには、部下は戦力よりも足手まといになる可能性が高い。 窓、戸、壁を打ち破るなど、蜘蛛の子を散らした様に我先に脱出する。 騒然とした場の中、人々の足音を聞きながら、爆は刀を抜き情報を分析することに意識を集中した。 日明大佐が意味も無く暴れているのだとしたら、教授特製の鎮静剤以外に手段がない。それは士官に支給されている。一人でもそれを打ち込むことが出来ればなんとかなる。とすると連携する必要があるのだが――― しかし。 この若きエリートの思考をあざ笑うかのように、事態は思わぬ展開を見せる。 外へと向かう人々の流れを縫って、三人の男が転がりこんできた。 武器を抜いて駆け込んで闖入してきた男達は――― 「加勢するぞ!」 と、炎が。 「手伝うよ、大佐ぁ」 と、毒丸が。 「俺も混ぜろよっ」 と、激が。 『え?』 あまりの言葉に、爆同様、真も現朗も驚いて動けない。 ……が、どうやら大佐を含めサボリ魔たちは驚くことはなく、極当然といったように大佐の前に陣を組んだ。 彼らは小さく頷きあうだけで、互いの思考を理解しあう。以心伝心。事態についていけず戸惑う三人とは異なり、向こうは心が一つになったようだ。 四人は陣形を組み、対峙する。 「我々は、即刻、零武隊隊員逃亡人員割り当て計画の中止を要求する」 真ん中に立った蘭が、堂々と高らかに宣言。 はっと、真がいち早く正気に戻った。 「……ええっと、中止、ですか?」 正気には戻ったものの、困惑は隠せず、おそるおそるという風に尋ねた。 「そうだっ! 中止だ。 これ以上苛めるつもりなら受けて立つぞっ」 『イジメって』 あまりの情けない発言に、三人は思わず同時にツッコんだ。 爆の中で、再び例の疑問が首を擡げる。 大佐の表情。 毒丸の意気消沈した様子。 炎の生気のない態度。 「……やはり、あの作戦には欠陥があったんだ」 呻くような一人言を聞いて、現朗と真は目を丸くして同時に振り返る。彼も真も、そんなこと考えもしなかった。なぜなら確かな成果があったからだ。 「あの素晴らしい作戦に何が問題があるというのだっ。 サボリが必ず発生するならば、それを管理するだけの話ではないかっ」 現朗の疑問は、すなわち真の疑問であり、爆の疑問だ。彼もそれがわからずにずっと悩んでいたのだ。 「……思うに」 横に控えていた大男が、低い声で意見する。 「蟻は蟻であって、蟻の分析を元に人の作戦を立てるのは少々無理があったのではないか、と」 沈黙。 ***** 「ま。中止でいいんじゃないですか〜?」 瓦礫の山の中、飄々と現れたのはスーツ姿の男だった。 今後どうしようかと惑う現朗と真に、彼は一通の書類を手渡した。ここ最近の零武隊の戦力のデータだ。 『なっ……』 二人は絶句して、動きがとまる。興味を引かれた爆が視ると、紙に書かれた数字は軒並み一月前に比べて下がっていた。 「サボリ陣営を追いかけるっていうのは、ある種の実践訓練でしたからね。 だからといってサボるのはいいわけじゃないですけど、まあ、上手い訓練が出来るまでは中止の方が良いでしょ〜。 あーあ。それにしても凄い様ですねー。ヒヒが大暴れしたってこうはなりませんよ」 軽口を叩く教授を凄い目でにらみつけながら、蘭は鉄男の傍に寄った。 彼は壁や天井を見ながら丹念に被害状況を検査している。 「足を踏み鳴らしたら、加減が出来なかった。 すまぬ」 「……ふむ」 彼女は鉄男に殊勝に謝った。零武隊一の大工技術を持つ男の前では、破壊神の蘭に上官の威厳などあったものではない。 零武隊の官舎の修理計画を立てるのは、いつも彼の役目だ。男の検分がいつもよりも長くて、それを待つ蘭の表情は刻一刻と暗くなる。 「……まあ、一週間でなんとかなるかと。 床には補強材を足しておきます。 毒丸、隊員全員を連れていつもの大工道具を持ってきてくれないか?」 「あいあいさー」 「では材料の取り寄せは俺の部隊が行おう。 必要な物は?」 現朗に対して、鉄男は紙にこと細かく必要な部材を書き付ける。 その間に他の隊員たちは掃除を始め、瓦礫を外に運び出していた。 計画が決まれが皆の動きは早い。各隊員が次々に一つの目的にそって動いていく。 「……今回の失敗の原因、わかったかい?」 丸木戸はまだ不思議そうな顔をして腕を組む、若き士官の下へ寄って来て独り言のように囁いた。なんだ、とばかりに爆は大きな目を動かす。 「蟻の理論だから、ということだろう」 「……それは原因の一つかもしれない。 けど、僕が思うに、計画的にサボリを作ってしまったら、それは既にサボりじゃないんじゃないかな、と思うんだよね。 ……ほら、楽しくやればお仕事だって遊びと同じ、ってわけでしょう?」 丸木戸は真っ直ぐに指を指す。その先には、意気揚々と指示を出している大佐と炎がおり、サボリマニアの毒丸が一生懸命鉄男の指示で働いている。 教授の言うことの全てはわからなかったが、なんとなく判ったような気がして、爆は己の名が呼ばれるまで丸木戸とともにその賑々しい様子を見続けていたのだった。 |
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