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数日後、炎が戻ってきた午後の官舎はどことなく微妙な静けさがあった。 爆も僅かにその異常を感じ取ったのだろう、軽く柄を握って周囲を注意深く周囲を見回している。二人の隊は今到着したばかりで、部下達には持ち出した武器を少し離れたところにある第四武器庫にしまうよう指示をだしておいた。士官の二人は先に特秘機関研究所に着いて、出来るだけ早く帰還の報告をしなければならない。 そこへ、一人の隊員が走ってきた。 「真っ!」 声をあげたのは、爆だ。 真は一直線に二人の元へ向かって、立ち止まる。 「何かあったのか? 官舎が変に静かだぞ」 「逆だ。 ―――何もないんだ。 お、炎。これがお前の分担表だ。 現在、零武隊では総力を挙げてこの計画を実施している」 「零武隊隊員逃亡人員割り当て表……? ……お、おいっ! 大佐がふらふらと官舎の庭で蝶を追いかけて遊んでいるぞ。ま〜たあの馬鹿上官―――……って、真、いいのかっ」 一瞬駆け出そうする爆とは対照的に、真はゆったりと答えた。 「ああ、気にするな。 今は大佐の時間だからな」 「タイサノジカン?」 まあ読め、と真が朗らかな表情で一通の書類を突き出した。 そこで、ようやく爆は気がついた。 隣の炎は既に自分用の書類を読み始めている。 滅多に見ることのない真の和やかな表情に特大級の疑問を覚えつつ、爆は受け取って表紙を捲る。炎に少しでも遅れをとるのは嫌なのだ。 数秒後、爆の小さな瞳が大きくなるのが見えて、真はにやりと微笑んだ。 そこにある内容は、ある種信じられないようなものだった。 計画とはつまり、ここ一年間に勤務時間中に無断で職場放棄した者につき、『職場放棄を行う時間(以下、解放時間と呼ぶ)』を割り当てるというものだ。解放時間が終了したら次の者に解放時間が始まることを告げる。仕事をしていない分は給料から天引きする等、他の点は以前から大して変わりはなかった。 例の働きの蟻の話から始まり、細かく計画の趣旨が述べられていた。鉄男は真に、人為的に『サボり蟻』を創り出してはどうだろうかと相談したのである。 こんなものが効果があるのか、と爆が怪訝そうな目を向けると、真は待ってましたとばかりに口を開いた。 「……一応、成果は上がっている。 ここ三日間、毒丸が問題を一つも起こしていない。しかも大佐など、仕事の処理速度が三倍以上になったと現朗が喜んでいるぞ」 『あの大佐が?』 想像もつかない内容に炎と爆の声が唱和する。 「能率があがるらしい」 蝶と戯れていた上官は、白服たちが集まっているのを見つけてこちらへ向かってきた。 その顔、少し不満そうだ。 仁王立ちする上官に炎と爆はいつもの通り敬礼したが、真は微動足りしなかった。 「戻ってきたようだな。で、報告―――」 「大佐はまだ遊んでくださっていいですよ」 淡々とした口調で横からツッコミが入る。 蘭はきつく睨むが、真はまるで相手にしないで、一歩踏み出して上官と同僚の間に割って入った。 「解放時間中の隊員は相手にするな。 さ、辛い任務で疲れただろう。 片づけを終えたら部下達に休みを出すと良い。それと、報告書だが、最近会計の方で不備が多いのでその点を注意して書いてくれ」 「ぅぅぅぅぅぅううううううううううううう〜」 部下に徹底的に無視されて、蘭が頬を真っ赤にしながら呻く。爆はその表情になんとなく嫌な予感を覚えないわけではなかったが、炎と真は見えないと決めると本当に見えないようだ。親友同士、和やかに談笑している。 「作戦の件は了解した。 報告書はだいたい書いてきたから大丈夫だろう。会計の面はもう一度確認しよう。 多少、爆が憲兵と揉めることがあったが、俺が収めておいたぞ」 「またか……。 お前がついているのだから少しは面倒を見てやれ」 はははは、と炎は呵呵大笑。 二人は連れ立って歩み出す。 爆はちらりと蘭の方に目をやって――― 刹那、顔を下に向けた。 ………………見てはならぬものを見た。 冷や汗がぼたぼたと地面に落ちる。 気迫というのもは知覚し得ないはずなのに、確かに、そう、確かに、見えた。目に映った。上官の背後に、燃え滾る火山のようなものがあった。絶対に錯覚ではない。爆は確信する。 丸木戸教授によると蘭の体温が上がりすぎると空気が歪むのだという思い切り非科学的な冗談を聞いた覚えがあるが、そのときは一笑すらしなかったが、今思うとあれは偽りではないのかもしれない。 後で、教授に薬を処方しておいてもらおう。 そう心に誓って、先へ行く二人の先輩の背後を追うため―――そして一刻も早くこの場から逃げ出すため―――に駆け出した。 |
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