|
||
激と炎が食堂で冷や水で昼を済ましているところに、後ろから申し訳なさそうな現朗がやってきた。 「……激」 声をかけられても、激はつーんとすました表情をして振り返らなかった。 「激……」 二度目。 だが、無視で通す。 「激っ」 三度目の声は、少し調子が強い。 喉の奥から叫ぶような音に、激は一瞬現朗の方を見てしまう。が、すぐにまずいと思ってあわてて顔を戻す。 たった数度声をかけられただけで許してしまうから駄目なんだ! そうだ、だから現朗が頭に乗るんだっ! 決意を新たにして、ふんと鼻息を吹く。 「……激っ」 四度目。 それには応じない。 ―――つもりだった。 「…………無視を……しないでくれ」 あの高慢な彼が、こんなにも情けない声が出るとは思わなくて。 ぎょっとした表情で炎ですら振り返っていた。 激も、当然。 肩を落とし、視線を床に這わしている。いつも通りのぴんと伸びた姿勢が、今は非常に痛々しいものに見えた。 「……うつろ……」 思わず激の声が漏れる。 はっと青年は顔を上げた。揺れる金髪から見える青い目が今にも泣き出しそうに、不安定に小刻みに震えていた。 「俺が……俺が、言い過ぎた。 興奮していた。 自分を失って、お前に、酷い言葉を言った。 お前が悪いわけではなかったんだ。 ―――悪かった。悪かった。悪かった。 頼む、頼むからもう一度機会をくれ。もう絶対あんなことは言わない。頼む。頼む。激、悪かった。俺が全部悪かった」 矢継ぎ早に懺悔の言葉を口にする。 目は、中空を見据えたまま動いていない。 しかし、感情のない白い頬に一筋の涙が流れ落ちた。 がたん。 椅子を倒しながら、激は恋人の下へ駆け寄った。彼の両目は真っ赤に腫れて、ぼろぼろと涙があふれている。その大きな両腕でしっかりと現朗を抱きしめた。 「あーあ。 もう仲直りだこりゃ」 「十時間は越えたわけだから、案外長いほうだったな」 「午前中は大変だったぞ。大変だったんだからな」 ぼそぼそと隊員たちが囁いているのを、本人らだけが知らない。 「………………裏切り者」 ぼそりと炎が忌々しそうにぼやいた。それを聞きとめた毒丸は、にやにやと笑って上官を見る。 「どーする? 激ちゃん一抜けだよ」 「弱き忠義などいらん」 見れば激と現朗は一つの長椅子に仲睦まじく座って、囁くように話し合っている。いろいろあった誤解を解いているのだろう。現朗が持っていたハンカチで、激の涙をぬぐう。いつもより三倍増しに甘い光景に、多くの隊員が後ろで砂を吐いた。 食堂でやるな! みんなの心が一つになった瞬間だが、これを妨害すると後々金髪の復讐が怖いので黙っておく。力弱き者に発言権なし。実力主義の零武隊ならではの掟だ。 炎は渋い顔をして激ともう一人を見ていたが、激はすっかり頬を染めて自分のこと以外見えていない。毒丸はけたけたと笑っている。 がらりと、荒々しく扉が開いた。 「炎はいるかっ!?」 三白眼は入ってくるなり、そう周囲の者に尋ねる。返事を待つまでもなく、その特徴的な赤髪はすぐに見つかった。 入ってきたのが真だとわかると、一瞬炎は目に見えて驚いたが、直ぐに表情を戻す。真の後ろに、大佐がいたからだ。 二人は大股で食堂の中央を横切って、炎の元までやってきた。 「炎。昨日の書類はどうなった?」 「……まだ終わってない」 「何故終わらせてないっ! 昨日終わらせると言っていただろうがっ」 荒々しい声に、食堂中の注目が再び後方に集まる。 真の気迫に、後ろの蘭までも驚いた。 「真、今は昼休みだ。それに、急いでいる書類ではない」 声をかけられると、炎に向けていた表情を一旦通常のものに戻して、上官のほうへ首を回す。 蘭は苦笑を浮かべていた。 「……しかし、書類の期限は……」 「なに。どうせ一月以上の余裕をもって決めたものだ。 現朗が先ほど言ったから、お前に尋ねただけこのこと。そんなに強く言うな」 今日、現朗の機嫌は最絶頂に悪かった。 蘭がそわそわしているだけで怒鳴りだすし、嫌味も普段の五割り増しにきつい。そのとき来年度の昇給についての話題が出た。 ―――大佐、勿論給与査定はできているんでしょうね? 怖くて「勿論」などと返答してみたが、よくよく考えてみればまだ炎の提出がない。そこで、昼休みになって現朗と交代して真が秘書についたとき、気軽く尋ねた(←蘭はある一件以来昼休みがなくなっている)。 炎の部下の評価は、どうなっている? と。 もちろん締め切りは一週間前に切れていたが、エリートたちの忙しさを知っているのでそれに拘ってはいなかった。しかし予想外にも、真はその質問を聞いたとたん目を怒らせて急に部屋を飛び出してしまったのである。蘭はわけもわからず後を追ってここに辿り着いた。 「ですが、炎は一応上に立つ地位におります。 そのくらいの期限を守らぬようでは、示しがつきませんっ」 仕事の期限を破ることに命をかけている蘭に、真は堂堂と言い放つ。 大佐も、周囲の隊員たちも、その一言には吃驚した。 あの、真が、炎を悪く言っているなんて―――っ!? 炎は炎で、ずきんと胸の奥が痛くなる。 ……飽きた。他の女ができた。捨てられる。昨夜の言葉が脳内を巡って、全神経を高ぶらせた。 邪魔になったんだ。 ぶるぶると震える唇、そして、血の気が一気に失せた白い顔。 真は、俺が、邪魔になのだ。だから嫌いになったんだ。 「炎。 昨夜は寮内で飲んだそうだな。 仕事を残しておきながら、そのような目に余る態度はなんだ。お前は風紀を司る身だぞ。それを弁えて行動すべきだろうっ?」 炎は答えず、ただ俯いている。 腰に手をおき、真は声を荒立てた。 その見慣れぬ―――ありえない―――誰もの想像を超えた光景に周囲の者までも押し黙る。 しばらくその状態続いたが。 「…………黙れ」 一人相撲をしていた真に、ようやく、炎が反乱の狼煙を上げた。 長い真の眉が、ぴくり、と動いた。 「俺がいらないならば、回りくどいことをせずはっきり言え」 まっすぐ真の顔を見つめる親友。その目は不の色が渦巻いていた。 言葉の意味がわからず、真は取りあえず聞き返す。 「何を言っている?」 訝しげな一言に、ぱちん、と不安定だった炎の心がはじけた。 嘘をつけ。 ―――嘘をつけ、お前は、わかっているんだろうっ!? 蹴るように椅子を引いて荒々しく対峙した。 「わざわざこのような場で人を貶して面白いかっ!? 其れほどまでに俺が憎いかっ。 ならば、回りくどいことをせずに突き放せば良いだろうっ。 俺を捨ててとっとと好きなところへ行けばいいっ」 朗々と響く低い彼の独特な声。食堂中に聞こえる。もはや外聞は、まったく気にしていなかった。 「何を言っている、炎っ?」 「白々しく尋ねるなっ」 興奮する恋人に気圧されて、一歩、一歩と真は後退を余儀なくされる。其れほどまでに炎の激昂は突然で、勢いがあった。 目は燃え上がり、彼の髪と同じ真っ赤に彩られている。 特徴的な眉は大きくつりあがってぴくぴくと震えていた。 部屋中に男の狂気が充満していく。 「お前にとって、俺は、初めから要らない者なのだろうっ? だから置いていけるっ。捨てられるっ」 「炎っ。落ち着けっ」 真が叫ぶが、その声は届かない。 ふう、と炎は腹のそこから息をついた。それは落ち着くためではなかった。気を入れるためだった。 目は殺気と狂気を半分ずつ混ぜ合わせた、危険な色を放っている。 視線の先は、ただ一点。真だ。 今までの声とは違い、今度は、独白にも近い小さな声が聞こえた。 「だが……俺は…… ………………俺は …お前が………………」 刀を抜く――― 真は、この事態に狼狽しながらも、頭のどこかは冷静に判断した。 親友の、恋人の、思い人の殺気は、彼が本気で相手を殺すときに放つものだと理解していた。 「お前が……俺のものにならぬのなら、殺すっ」 炎の両手が、刀の柄にかかる。 鞘走りで勢いづけられた鋭い一撃を、真はぎりぎりでかわす。 顔の一部が切れて血を噴出す。剣戟の空圧だけで切ったのだ。 「死ねぇっ。真―――っ」 間を置かず、二刀を大きく振りかぶる。 だが、真は、自分の刀に手をかけない。 まずいっ、殺されるっ! 幾人かは胸中叫び、幾人かは己の刀に手をかける――― 刹那。 ごきっ ……鈍い音が、聞こえた。誰もが想定していない音だった。 その一瞬の間に、二人の立ち位置が変わっていた。 真は、なんと炎の後ろを陣取っている。 そして炎の両肩をつかんで、右肩を外していた。 「……炎。 何か勘違いしているのはわかったが、まずは落ち着け」 彼は好戦的ではないので知られていないが、真の実力はエリート内でも他を抜いている。 炎が大振りな一撃を打ち込む隙をついて、地を蹴って一気に彼の後ろまで跳躍したのだ。炎や多くの者の目からは、彼が消えているように見えただろう。 大佐は初めから真の狙いがわかっていたので、悠然と腕を組んで事態の成り行きを見守っていたが。 痛みと興奮でだらだらと汗を流す赤髪の手から、刀が落ちた。 「俺は一度だってお前をどこかに置いていこうなどとは考えたことはないし、これからだって考えない。お前と一緒にいない未来は想像できない。 ………………」 真は炎の肩を戻す。再び、変な音がする。 「………………。 近頃目に付いたことは逐一言っていた。悪かった。 ……だが、お前を捨てるためでも、憎いからでもない。 炎が甘やかされている。 あまりに甘やかされていると大佐のようになるかもしれない。―――と脅されたからだ」 落ちている刀を拾い上げて仕舞うと、後ろを振り返った。 半泣きの表情に、ずきんと真の胸が痛む。 ―――本当は、注意などしたくはなかったのだ。こんな風に言いたくはなかったのだ。 だが、大佐のようになるかもしれない、と言われたら、放って置けなくなった。 「……本当、だな?」 力ない声に、返事の代わりに炎の髪を撫でてやる。 「ああ。 すまん、あんな言葉に踊らされてな――― 毒丸が調子づいて言うから、つい、な」 がたっと、座っていた現朗が顔を上げた。その一言は聞き捨てならない。 「俺も、激が大佐みたくなると言われたぞ。真っ」 ぎくぅ。 ……零武隊全員の視線が一点に集まった。 「え、え、えーっと。 俺は思ったことを、思ったままに言っただけだからー。 こーんなことになるとはいやはや全く……あははは……」 「毒丸」 沈黙を破ったのは、零武隊隊長だった。 やたら明るい声で、青年の名前を呼んだ。びくっと毒丸は背筋を伸ばす。 「良く分からんが、この馬鹿騒ぎの原因はお前なんだな?」 「え?」 疑問符を浮かべる彼に、にたりと蘭は引きつった笑みを浮かべる。 「……お前なんだろう?」 背筋に冷たいものが走って、とりあえず背を返して部屋から逃げようと試みる。しかしそれを許すはずがない。 蘭は脚元にあった椅子を軽く蹴り上げ、そして、狙いを定めて強烈な一撃をそれに打ち込む。 金属と金属が激しくぶつかる音が響く。 椅子はただの砲弾となって一直線に飛んでいった。 弾道の先は青年の後頭部。 「ぐはっっ!」 「取り押さえろっ」 『はっ』 直撃は避けたものの、毒丸は背中に強烈な一撃を食らってごろごろと床を転がった。そこに他の隊員たちがわらわらと取り囲む。 「午後の予定を変更する。 真から毒丸の素行調査報告を先ほど受け取った。二三気になる点がある。 真、炎、現朗、激。お前ら四人は午後は毒丸にそれについて問い質し、場合によっては制裁を加えろ。給料はこれ以上は下げられないから、全治二週間以内に留めておけよ。 他の隊員は私と訓練だ」 蘭の提案に、彼らが反対するはずはなかった。 最愛の人に疑われた苦しみ。 最愛の人を疑った苦しみ。 その怒りはちょっとやそっとで収まるものではない。 「賛成です」 「わかった」 「素晴らしい計画変更だな」 「毒丸ぅ〜。覚悟しろよ」 白い四人組はふらりと立ち上がって、かつかつと取り押さえられている青年の元へ向かう。 毒丸の顔が真っ青を通り越して白くなったが、誰も助けようとはしない。 並べられる言い訳はもうなかった。 ―――こうして五人が部屋から去っていくと、急に食堂は静かになった。 ふむ、と蘭は顎に手を置きながら独白する。 「あいつ、仕事をサボるのには役に立つな」 この鬼のような一言は廻り巡って何故だか病院送りの青年の下に届いた。 もっとも、『大佐が、お前を役に立つと言っていたぞ』、と伝言ゲームの最後騎手―――鉄男―――は天然にもそのように言葉を変化させたので、布団で丸くなっていた青年はやたら元気になって、直ぐに仕事へ復帰したのである。 |
||
|