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談話室には先客がいた。 照明の真下、椅子が斜め倒しになって不安定に揺れている。その動きに合わせて、特徴的な長髪がゆっくり上下していた。 激。 早寝早起きがモットーの彼がこんな時間に外に居るのが信じられなくて、二人はまず顔を見合わせる。しばらくそのまま見ていたが一向に起きる気配がないので、とうとう毒丸が近寄った。 「激ちゃーん?」 その小さな呼びかけで直ぐに瞼が動く。どうやら完璧に寝るつもりではなかったらしい。 夢現のとろんとした瞳には疲労が色濃く浮かんでいた。寝不足か、それとも別の原因か、瞳は充血している。目の周りが少し赤く腫れているようにも見えなくもない。椅子が倒れないのはさすが零武隊のエリートだよなぁ、と毒丸は一人思った。 「あ、あれ? も、もう朝かぁ?」 漆黒の眼球に、毒丸と炎が映る。 炎は眉間に皺を寄せて心配そうな顔をしていた。 「まだ十二時だ。 こんな時間まで何をしている。明日もあるのに。早く寝たらどうだ」 言葉は冷たいものの優しい響きがある。激はそれに答えず、両腕を天に突き出し伸びをした。 「んんっん―――っ! ……くはぁっ。 大丈夫だぁ、ありがとさん。 ……まあ、ちょっと、事情があってさ。もうちょっと居なきゃなんねえんだ」 「具合悪そうだから寝ときなって、激ちゃん。 人待ってんなら伝えておくよ。俺たち後一時間くらいはここにいるからさ」 「んや、いいってよ。 ……………………。 …………って、一時間っ?? おめえらこそ、こんな時間からなんだよ? もう十二時なんだろ?」 血圧が異常に高いのだろう、もはや寝ぼけた空気は霧散しいつもの輝いた垂れ目で二人を見上げる。突つかれたくない質問に、炎は思わず息を呑む。 赤髪は分かり易いほど分かり易い反応を示したが、激はいつもの行動パターンからむしろ後ろの毒丸に原因があると考えた。 「アーなるほど。まーた毒丸が何かやらかしたか?」 いきなり矛先が向いてきて、毒丸は大げさに驚く振りをした。 「酷い。さっきからそんな酷い言葉ばっかりっ! 俺、グレちゃうよ。 零武隊のアイドルがグレちゃってもいいのかよっ」 アイドルだぁ? と鸚鵡返しに言って、激は鼻で笑う。 「おおグレろグレろ。グレたってどーせ鉄男に泣きつくせによー。つーかお前のような男のどこがアイドルだ。アイドル馬鹿にすんなコラ。 炎ー。へへへへっ。たっぷり絞ってやれよ、こいつ、最近悪戯するのが癖になってるからなー」 「……いや、その」 「だから悪戯がばれたんじゃないってのっ! 今日は炎ちゃんの人生相談だよ」 「毒丸相手に、か? ―――ぎゃははははははっはは。そりゃねえっ!」 激は腹の底から笑い出すと、腹を抱えて椅子を倒して足をじたばたさせた。相当つぼに入ったようでなかなか笑いが止まらない。毒丸が反論をあげているが、それですら笑いの種だ。 まず、傲岸不遜の炎が他人に相談するということが面白い。 さらに、相談相手が零武隊厄介事作成担当の毒丸だから面白い。 と非常に不躾な内容を言って、また一人馬鹿受けしている。 赤髪はとりあず激の傍らの席に座って、うおほん、とわざとめいた咳払いをした。 「……まあ、相談ではなく、俺が毒丸に質問するだけのことだ。 少し、真の様子が気になってな。 お、お前も、何か知らないか?」 へ? 間の抜けた顔をして彼の笑いがようやっと止まる。 同僚の表情は真剣そのものだと見て取ると、自然、姿勢を正していた。 真の様子が、おかしいだって? ―――尋ねられても、それは自分よりも炎のほうが詳しいはずなのだ。 その時、激は、毒丸の手に三本の酒瓶があることにやっと気がついた。 「酒も肴もあるってわけ。どうする? 激ちゃんも加わる?」 「……へえ」 「肴じゃない。質問だ」 炎が訂正を加えているのを聞き流して、激は三人分の湯飲みを取りに席を立った。毒丸は蓋を開け、まずは香りを楽しむ。炎の部屋から発掘したものだけあって大変良い品のようだ。つるりとした水色のガラスの一升瓶に、ラベルは貼ってはいない。 炎は普段どおりの良い姿勢のまま二人の動きをずっと監視していた。 ―――と、見えていたが、その実己の考えにどっぷり浸っていた。彼は、今、決心をしなければならない。自分の最も信頼する者を疑うという、重大な決心を。 激と毒丸はわいわいと明るい声を上げながら酒を注ぐ。香りがふんわり部屋中に漂った。常温でこの香りを出すとは、なかなかの味が期待できそうだ。 酒は、寮で飲むのに限る。 支払いのことは考えなくていいし、何より布団が近い。 ……今日は運がいいなぁー 「じゃ。とりあえず乾杯といきましょうか」 ニコニコと毒丸が杯を差し出すと、はっと炎はこちらに戻って慌てて杯を持ち上げた。 『乾杯』 かち、と湯呑みを触れ合う音がした。 酒好きの三人は、まず一口目を軽く味わった。 「ぷはぁ。旨い酒だなぁ」 「ほーんと。なにこれ? どこの?」 「群馬だと聞いている。 実家から送らせたものだから、銘柄は知らん。ただまあ、瓶の様子からするとある程度予想がつくがな。このすっきりとした味わい、吟醸くらいだろう」 「いーなー。 で、酒の話はここまでにして。 肴の話をして頂戴よ。真ちゃんがどうしたって?」 そのものずばりと毒丸が尋ねる。一瞬、別の話で誤魔化してしまおうとしていた先輩の心情を読んで先手を打ったのだ。 炎にはまだ、少しばかりの躊躇いがあった。 言うべきか。言わざるべきか。 二人は嫌味なほど静かにする。彼の言葉を引き出すために。 空になった杯に、毒丸が酒を注ぐ音だけが聞こえた。 飲むか、言うか。―――二択で彼に迫る。 瞬間。 炎が、手を伸ばし、荒々しく杯を掴んだ。 湯飲みの水面が揺れ、酒が数滴机に零れる。 満杯になった湯呑みに口をつけたかと思うと、天井を仰ぎながら一気に嚥下した。 机に湯飲みを戻し、瞬間、独白に近い小さな声がぼつりと聞こえた。 「……真が、最近、冷たい……」 赤い髪のかかる頬が、酒の所為か他の所為か、赤味がさす。 それを見た二人の第一反応は――― ―――大きな大きな溜息だった。 |
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