・・・  半身 4  ・・・ 


 「……惚気話?」
「つーか過保護だよなぁ。真って」
「大人相手にしてるとは思えないよねー。
 仕事中はあーんな鉄面皮なのになんか炎ちゃんだけには、優しいお兄ちゃんみたいな感じでさ。キャベツだよねキャベツ」
「そーそー。
 炎も炎だぜ。あんなふうに子供扱いされて嫌にならねえのかよ、まったく」
「えー。その言葉、激ちゃんが言うのぉ? くくく」
返ってくる言葉も、どこかひどく冷たい響きがある。
 炎は、鉄骨で頭を殴られたような、そんな衝撃の錯覚すら覚えた。

 こ、こ、ここまで俺が覚悟を決めたというのに、なんだこいつらの言葉は!

 そんな返答を期待したわけではない。否、そんな返答が戻ってくるはずがないのだ。この事態に対して。真が自分に冷たい―――それは、もはや零武隊の根幹を揺るがすぐらいの大問題として取り扱われるべきなのだ。
 彼の中に、この役に立たない相談役に対する憤りが蓄積される。
 炎の手が、机の下でわなわなと震えた。
「真剣に聞けっ。事態は安易なものではないっ!」
鋭い声をあげた。
 しかし。
「安易な問題だよ。
 ったく見せ付けてくれちゃってさ。
 ああ、はいはいはい。二人のオアツイ様子はもはや零武隊の日常風景ですからね。その真ちゃんが冷たいなんて大変な問題ですね。まったく」
毒丸は勿論まともに相手にしないし。
「時にはそういうこともあるんじゃねえの? 気のせいだろよ」
あの、優しさ自然体の激ですら、このようなことをいう始末だ。
 ―――ぶち。
 速いペースで入ったアルコールと憤怒のおかげで彼のテンションは三次曲線のカーブを描いて上昇し、先ほどまであった羞恥や迷いは吹っ飛んだ。

「よく聞け、貴様ら!
 いいか、真はここ一ヶ月、毎日、二時かそれ以降に戻ってくるっ。
 帰ってこない日もあるっ。
 しかも理由を問い詰めると、嫌がって話さない。言葉を濁す。時折服に香水の香りがついてることもあるっ!
 それでもまだ安易な問題と言うのかっ!?」

 腹に息を吸い込み、普段の朗々とした声を普段以上に部屋中に響かせた。
 吃驚する二人が、その内容に理解して再び吃驚する。

「……ってそれって、朝帰りじゃねえかっ!」
「えーっ。
 真ちゃんが浮気してんのー! ありえなーい!」

と、取りあえずは驚いたが。
 二人は、再び素に戻った。
「真が浮気って、そりゃありえないか」
「ありえないねー」
真に関して思いつく限りの事を並べてみたが、彼が炎を裏切るような真似をするとは到底思えない。
 二人は、それはそれは鬱陶しいくらいに互いを想い合っているのだ。
 まるで一つの城の中に閉じ込められて暮らしてきた親子か兄弟のようだ。ある意味、それは、恋人同士の情よりもなお深いものなのかもしれない。彼らの間には、秘密も嘘も存在しないのだから。
 状況証拠は揃いすぎるくらいに揃っているが、それでもやはり朝帰りや浮気といった可能性には否という結論が強かった。
「なんでだっ!?」
二人の結論に納得しない炎は、悔しそうに言い返す。
「真だからだよ…………って待て。
 おい、お前、心配になる理由、他にも、あるんじゃねえのか?」
炎はもはや注いでもらうのは面倒で、自分用の酒瓶を開けてそのまま口から飲んでいる。
 激は一人飲みに走っている同僚の肩をさすって尋ねた。
 炎は、がぶがぶと飲むのをいったん止めて、ぐすっと鼻を啜って友人を見上げた。



 「……二ヶ月ほど前から、受け答えが少し、素っ気無い、と感じていた。
 ことあるごとに、文句しか言わなくなった」
「真が? お前に? ……そうは見えなかったが」
炎はゆっくりと首を横に振る。
 気を使って他人の前ではしなかったが、寮の部屋に戻るといつも真は怒っていたことを思い出した。
 あれは、気のせいではない。
「……そしてその頃から一緒に食事をしてくれなくなった」
「そーしてとうとう帰ってこなくなった、と」
毒丸の言葉に返事はなかったが、無言が肯定であることを雄弁に物語っていた。
 炎は言いたいことを言い終わると、再び酒瓶ごと飲みはじめる。
 寮の風紀を司る身分である以上、ここでは酒を飲むまい心に決めていたが、今日はその誓いすらぐらついていた。
 いや、彼の心そのものがぐらついていた。
 今までもやもやしたものを、思考を整理し、言葉に纏め、他人に話してみると、急にすべてのことが鮮明になってくる。

 ―――真が、自分を、嫌っている……かもしれない。

 それは炎の人格そのものを揺さぶるくらい大きな衝撃なのだ。
「まー……。
 で、でも多分誤解じゃないかなぁ。あの真ちゃんがまさか炎ちゃんを裏切るような真似は絶対しないと思うんだよねー」
毒丸は同意を得られるものと思い、横の長髪に話を振る。
 ―――が。

「いや。わからねえぜ。
 ……奴も男だからな」

二人の視線が一気に集まった。

 一人は、まさか、という顔で。
 もう一人は、やはりか、という顔をして。

「男ってのはさ、始めは何とでも言うんだよ。好きでも愛しているでもお前なしでは生きてけないでも、そりゃもう美辞麗句を八百屋の安売りのように並べてほいほいとりだすんだこれがっ!
 でもっ!
 新しい女が出来たら、前の奴は邪魔になるんだっ!
 そうしたら手のひらを返したようにポイだぜ」
「げ、げ、げ、げ、げ、げ、激ちゃーん? 酔ってる?」
あまりの言葉に毒丸は青ざめた。
 これでは火に油を注ぐようなものではないか!
「酔ってないっ」
酔っ払いがよく言う台詞を吐いて、ばんっと湯飲みを机に叩きつける。
 顔は真っ赤、目は据わっている。毒丸が炎にとらわれている隙に、半升すっかり飲みきっていたのだ。
「そういう奴なんだよっ。
 付き合う前までは甘い言葉ばかり言ってるけどよ、付き合い始めたら酷いもんだぜ。釣った魚には餌をやらねぇ。別の奴に興味が移れば、突然冷たくあしらうようになる。
 食事もしない、言葉も冷たい、そして朝帰りっつうたら決定じゃねえか!」
「おいおいっ。
 そ、そんなまだ明確に決まったわけじゃないんだから……。
 炎ちゃん、その、本気で取らないでね…………」
フォローをとりあえず入れてみたが、すぐに無意味だと毒丸は悟った。
 炎は完全に一人の世界に篭ってしまっている。
 瞳が小刻みに震えている。よほどショックが大きいのだろう。
 ……あちゃー。
 こっちの酔っ払いが聞かないならば、別の酔っ払いに矛先を変えるしかない。
「激ちゃんっ。なんつーこというんだよっ!
 現朗ちゃんとラブラブ馬鹿っプルのくせに、他の人間には別れさせようなんて酷いってのっ。友達なんだからそういうアドバイスやめなよっ」

 現朗。

 と、その一言が、完全に激の地雷を踏み抜く。
 くくくくく……と不気味な笑いを激が零した。
「まあ、俺も、本日付けで別れたけどな」

なにぃぃぃぃぃぃぃ―――っっっ!

 と、毒丸は喉の奥で驚愕する。
 そんな、まさか、馬鹿なっ!
 激が別れたいと強請ったとしても、どう考えてもあの金髪の男が許すはずはない。恋愛面に関しては、独占欲は宇宙一の横暴男だ。
 事態の恐ろしさにまったく気づいていない炎は、単に友人の不幸を哀れんで何があったと肩を叩いている。先ほどまでの言い合いを思い出して、激が涙ぐみ始めた。
「う、うつ、現朗が……馬鹿馬鹿っていうから……別れてやったんだよ!
 どーせ俺は馬鹿だよっ。
 わからないことはわからないし、わかってる振りが出来るほど器用じゃねえっ。なのに……なのに……」
「そんな酷い事ばかり言うのか」
「あいつ……絶対、他の女が出来たんだ。
 だから俺が邪魔なんだ。だから、酷いこと、ばかり、言うんだ……ぐずっ」

 邪魔。

 ―――ずきん、と炎の心中を穿つ。
「いや、そりゃないでしょ……」
と冷静なツッコミをまったく無視して二人は互いの傷を慰めあった。
 もはや彼らの目には自分たち二人きりしか映っていない。毒丸の姿はない。
「うっうっうっ……酷いよなぁ。真も……酷いよ」
「そうだろっ。そうだろっ!?」
「俺たち、被害者だよなぁ」
完全に忘れられた毒丸は、静かに飲むことに決めた。
 二人の頭は悪くはないが、過保護の恋人のせいで少しばかり抜けているところがある。

 だから馬鹿なんだよねぇー。まあ、一応注意したけどさ……
 ったく。それにしても、真ちゃんと現朗ちゃんが浮気だって……どこをどう考えたらそんな可能性が出るんだっての。

 炎と激は自覚をしていないが、真と現朗はそれを理解しているのだ。
 彼らはどれだけ幸運か、ということが。
 この世界で。
 この命がある間に。
 半身に、巡り会うことができるなんて。

 半身。―――と、その言葉を教えてくれたのは誰だっただろうか、と酔った頭で自問する。酒で緩んだ記憶回路は不思議な手順を手繰って様々な言葉を発掘していった。
 人は、昔、二頭・四手・四足だった。何よりも強く、何よりも美しかった。人に嫉妬した神は、彼らを引き裂いて半分にした。それ以来、彼らは、引き裂かれた半身を捜すために生まれてきて、そして命果てるまで捜し続けるのだという。
 所詮それはただの異国の作り話だが、それは何故か寓話として切り捨てられない響きがあった。
 だから幼心に刻み込まれた。それを語った人の顔はすっかりと失せていたにも関わらず、言葉だけが毒丸の胸の中で生き生きと残っていた。
 ちらりと視線を移せば、酒がたっぷり入った上官たちが鬱々とした愚痴を語っている。もはやどうしようもない。
 被害者の会を結成しているようだったが、止める気も煽る気も起こらない。
「まー。
 無料酒にはこのくらいの手間はつき物だよなー」
と、そう結論付けて。
 群馬の酒を心行くまで味わったのである。



 飲み会は三時くらいに終わったが、結局真は戻ってこなかった。毒丸は談話室で眠ってしまった上官らを炎の部屋まで運んで、自分は上の寝台一つ占領し、下に二人を放り込んで眠る。同室の鉄男には真に会いに行くといって出て行ったから、きっと起こしに来てくれるだろう。
 七時に予想通り鉄男が来て、三人に冷たい水を持ってきてくれた。
 酔い覚めの水ほど旨いものはない。
「炎〜服貸しぇ〜」
ふにゃふにゃの激が炎に半泣きで抱きついている。
 部屋に戻りたくないのだろう。
「箪笥にあるから好きに使え。タイツもいいぞ。
 ……鉄男、すまんな」
「いや、毒丸がご迷惑を……」
「俺に迷惑をかけたのっ! 二人が!」
上の寝台で着替えている毒丸は、むっとしながら訂正を加える。しかし毒丸担当の鉄男に、そんな程度の言葉が効くはずがない。
「お酒をおごってもらったのだろう。きちんとお礼は言ったのか?」
「むむむむむ……」
ぴしゃりと痛いところを突かれて、青年は悔しそうに押し黙った。
 鉄男が二三語炎と会話をしていると、いきなり、どすんと背中に毒丸が乗ってきた。しかしそんなことをまったく気にした様子はなく、鉄男は背中に同僚を乗せたまま再び敬礼をすると部屋から出て行ってしまう。
「おのれ毒丸めぇ……仲の良さを見せ付けおってっ!」
「ふん。どうせあんな優しくしてくれててもさ、捨てられるときはポイだぜ。ポイ。男は薄情なんだっ」
「そうだな。
 俺たちは被害者だな」
「ああっ、そーさっ」
そんなこんなで結成された被害者の会は―――
 昼過ぎには、解消されることになる。