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「母上っ。いきなりいなくなられては困ります。連絡下さい」 「ようやく来たな。好きなだけ注文していい。 ここのカレーというのは絶品だ。新商品のオムライスもなかなか評判がいいが、やはりカレーだ」 天馬はいつものとおり彼女の横に座ると、お品書きと金字で書かれた革張りのファイルが渡される。 現朗がなんともいえない表情で睨みつけたが、いつもの堂々とした態度で一蹴された。 腹も膨れて、軽い運動もして、いつもの調子が戻ってきた。仕事なんかやっていられるかという居直り強盗に近い雰囲気が如実に漏れて部下を刺激する。 席を勧められるまでもなく毒丸、激はすわり、迷っていた二人も大佐が無言で座るよう指示するとあいている席についた。 丸いテーブルに制服姿の男女が七人が座るのだから相当インパクトがある。周囲の客がそっと視線を寄越していたが、ウエイトレスは慣れたもので、水と一緒に注文をとりにきた。 お品書きにはさほどメニュはない。昼食時だからだろう。一人二品ずつ適当に頼んだ。ぐずぐず迷うのは蘭の逆鱗に触れるので、注文は早い。 全員の注文が終わると、ウエイトレスが厨房に戻る。入れ替わりに、丸顔のコックがやってきた。彼だ、と現朗が漏らす声が彼に聞こえる。包丁と中華鍋のオプションは今はなく、コック専門の長い帽子を被っており、一見普通のコックだ。 「どうアル。美味いか?」 「ふむ。このオムライスは辛い味のものも食いたいな。卵と炒飯の相性はとてもいい。キムチとあわせてみたらどうだ。 カレーもなかなか腕を上げたじゃないか」 「……食い逃げ犯にしては堂々としてるぜ」 激がぼやくと、同時にフォークが眉間に刺さる。 ぱたん、と倒れる死体を必死に毒丸が介護するが、他は全員無視する。 「新しい常連を連れてきた」 「おおっ! 私坊や見覚えあるヨ。大きくなったネ。可愛い顔している、将来うちの嫁にこい。お義父さん可愛がってあげるアルヨ」 「きぃっ。店主っ。何いってんのっ! 天馬ちゃんは私の未来の旦那様よ!」 「あ……え……ありがとうござます。 食逃げの、その、息子の天馬です」 「……貴様もフォークがそんなに味わいたいのか?」 ぶるぶると首を振って完全否定する息子をよそに、蘭は最後の一口をじっくり味わった。なかなかいける。 「気にしなくていいアル。この店の名前付けても、結局本気で逃げてくれたのはこの髪の長い凶暴で逃げ足の速い女だけネ。お義父さんこの女追いかけるのちょっとした息抜きヨ。 お前もじきにわかるネ」 父親らしくいって、彼ははっはっはっと一人笑う。 あんたの娯楽のために仕事が…… 横で現朗が頭を抱えているのをちらりと見て、可哀相に、と鉄男は心で合掌した。 「食逃げ上等とあるのだ。逃げてやるのが店のためだろう」 口を拭きながら、蘭がいきなり口を挟む。 「違います」 「それはどうかと」 「ありえないっしょ」 「なんのためだよ」 「……むむ」 「どこから来るのその理屈」 常識の少ない八俣ですら光速で突っ込む。さすがにこれには蘭もむっと顔をしかめた。 「なんだと。看板に偽りなしという諺を知らんのか。無知にも程がある」 がたん、と椅子を立ち上がった。 刹那。天馬は気づいた。 丁度、本当に丁度、一直線に出口の扉まで道が開いている。人の流れが切れた。彼女は怒っているようにふるまっているものの、その殺気は本気のそれではない。 「は、母上まさか……」 少年の予想通り。 蘭は一目散に駆け出したのである。 長い髪を振りながら走り行くその姿、すでに人ではない。 一番反応が早かったのは店主で、すぐにその後を追う。その動きの早いこと。激も毒丸も完全に度肝を抜かれた。これなら現朗がやられたのにも納得がいく。店内という狭いスペースに、殆ど物を破壊せずに大股で駆け抜ける蘭と店主。人間業ではない。他の客も驚いて、驚きのあまり誰も声をあげない。店内の時間が止まって、二人だけ早送りされているような、そんな不思議な光景が出現した。気づけば、もうすでに二人とも、店から出ようとしていた。 「やっぱやったわねぇ」 ふう、といいながらぱくつく警視総監の真横を――― ―――一陣の、風が凪いだ。 「ぐはっ」 「どぎゃぁっ」 と、聞こえる二つの悲鳴と、その後に続く壮絶な女の悲鳴。 立ち上がった天馬と、厨房から一人の女性が、硬直した人々の中を通り抜けて外へ向かう。ウエイトレスのフリルを振りながら、一見顔は可愛らしい。が、手にあるのは出刃包丁だ。 悲鳴が聞こえてきたのは店先だった。そして店先には、二つの死体……めいた男女が地面に倒れていた。女は弛緩剤を打たれて、男は中華鍋が当たって、どちらも動けそうにもない。 「もう。お父さんっ、夕時の仕込みの時間ですよ。今日はお昼から遊びにいって。怒りますよっ」 言いながら中華鍋を持ち上げてぱんぱんと払う。 「……いいかげんにして下さい、母上。 母上が原因でこんな仕事量が溜まっているのですよ。なのに、その態度はなんですかっ!? 仕事を無断で中断し、連絡も寄越さず皆様に心配かけてっ。 現朗殿はお優しい方です。 がっっ! いつまでもその優しさに甘えさせるわけにはいきませんっ。 戻ったら足裏に焼きをいれます。仕事終わるまで、椅子から立てないものとお考え下さいっ」 ……血の繋がりってこえぇ。 と、一瞬みんなの心が一つになった。 蘭は弛緩剤でぐったりとしているが、声は届いているのだろう。それにしても、弛緩剤込みのダーツを持っている用意周到さはさすが蘭の息子といったところか。 激が振り向くと、珍しく、現朗が笑っていた。 「ふふふ……俺は優しい、か」 「あ。いえ、その、そういうつもりじゃ……」 天馬はしまったと頬を赤らめて口ごもる。 「いいよ。嬉しいんだ。焼き入れるのは……まあそうだね、ちょっと考えようかな。悪い案ではないんだけど。 それにしても、もし、君が、激と毒丸、教授に今回の件で処分を下すとしたら……どうしていたのかな?」 微笑んでいる上司に少し驚きながら、天馬は、ちょっとだけ考えた。 「……ええと。 そんな……あの、思いつきません」 「少しの気晴らしだよ。この後は天馬君にもしっかり大佐の後始末を面倒みてもらうから忙しくなると思うけど、今はちょっと羽を伸ばそう。 さ。言ってごらん」 「……あ、あの。一応、もしも、の、話ですよね」 しっかりとうなずく。 「えーっと。 毒丸殿は、そうですね。やっぱり、去勢……かな。日常生活に支障はないし、ちょっと痛いだけですし、二度と同じ問題起こせなくなるから一石三鳥ですよね。 激殿は……うーん……あっ、丸木戸教授が昨今発明なさったお手軽っ!小型電撃装置はどうでしょう? やれ、の一言でかなりの電圧が落ちますよ。挑発的発言や行為をする度に電撃をくらうと、本能に書き込めて便利です。 それに両手両足の拘束具の代用もできますから。 教授は、水牢に三十日間くらいでいいのでは。見せしめ的に吊牢でも悪くはないですが、苦痛が少ないので。少しは思い知って頂かないとまた起こされると厄介だし」 後ろにいた隊員がずっと後退する。現朗は声を上げて笑っていた。天馬はいつもどおりで、そう、全く酷いことを言ったなんて気持ちはかけらもなく「こんなものですかね。あの、鉄男殿はどう思われます?」なんて気軽く振っている。 「うむ」 「酷くないっ!? 鉄男っ、俺を殺す気っ!」 「死にませんよ。大丈夫ですから」 「なにその爽やかな笑顔っ!?」 そんないいあいが繰り広げられる一方で、現朗は、生まれて初めて、気が晴れた、という気持ちを味わった。 「なるほど。それは面白い。行こうか。天馬君」 まずは食事だ。飢餓感が相当なところまできていたのに、今になって、初めて気づいた。 「おいっ。現朗っ、まじでやめてくれよぉぉっ!?」 「酷いよ現朗ちゃんっ」 半泣きで縋る同僚たちを振り払い、どぎまぎと不安げな顔を見せる新人の肩を抱いて店に戻った。 その後ろで。 「いい教育しているわ。あんた」 しびれて動けない蘭を、一人警視総監が抱き上げたのだった。 |
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