・・・  正しいストレス解消法2  ・・・ 


 邪魔な虫を蹴散らしたからといって、上官が素直に仕事をするわけではない。そんなことは百も承知だったが、型どおりの言葉と重い書類を持って蘭の執務室にはいったとき、現朗は眩暈を覚えないわけにはいかなかった。
 入って初めに目に飛込んできた光景とは、床中に積み重なる書類の山……を無視して、なんと蘭が丸木戸と珈琲を飲んでおにぎりを頬張ってる、という衝撃的なものだった。入ってきた人物が金髪だとわかった瞬間の上司の怯え方は、今まで見たことがない。目を白黒させておにぎりを口に詰めこみ、飛び跳ねるように机に戻って書類を持ち上げる。わざとらしくカップに口をつけると、かたかたと歯があたる音がかすかに聞こえた。
 何故だ。俺が出て行ったのは、ほんの五分だぞ? 五分の休みも与えられないのか俺は。
「う、う、う、現朗。早かったな」
蘭の発言に、現実に引き戻される。
「大佐に逃げられなくてよかったです。ははは」
と、胡散臭いことこのうえない笑顔と嫌味をぶつけても、珍しく何も言い返さずに書類を一心不乱に読んでいた。
 丸木戸は残りのおにぎりをもって、こそこそと退出しようとしているが、それを逃すほど甘くはない。一瞬で戸口まで移動し、背中からがしっと肩に手をおく。
 ぎぎぎ……と音でも鳴りそうな程ゆっくりと、まるで動きの悪い機械のように固い動きで振り返った。にこりと笑ってやると、眼鏡の教授は青褪めながら後退さる。が、扉に背中があたってすぐに逃げ場を失った。
「いや、その、ちょっと最近の報告をしにきたんですよ。
 忙しくて、たまたま弁当もってたんです。それで、その、たまたま大佐が一つだけ召し上がったんです。だって、一緒に居たら弁当の具を交換するのはセオリーじゃないですか。
 ―――本当ですって! 本当っ。本当っ。お願い、信じてっ」
最後のほうは殆ど叫びだ。悲痛の叫びは、視線だけですぐに殺される。
「……部屋に入るには俺を通して頂くように、と重々この前伝えましたね。今後一切そのようなことはやめて頂きます。
 餌を勝手に与えられるのは困る」
「餌って……。
 あー、でも、食事取り上げるってのは、なんかそのやり過ぎだと思うんですけど。健康管理も……」
「死ぬ前に片付けてくれることを願います。
 ……もう、絶対、ここに来ないでくださいね。教授」
秒速百キロの速さで首を縦に振ると、一目散に扉から出て行った。後ろを振り返ると、殺気に反応して蘭の肩が震える。
「おにぎり、ですか。
 ……その書類の山が終わるまでお預けのはずでしたね。食事は」
ぐしゃっと、彼女の手の中で書類が潰される。
 実は二人揃って昨日の昼飯から何も食べていない。
 先週から、食事は全て出来高制にされているのだ。上官に制約を課した以上、現朗も同じ制約に服していた。蘭がノルマを達成しない限り現朗も食べられない。空腹は余計に男をイラつかせ、気迫を増していた。
 零武隊のありえない量の仕事の原因は五つあった。

 一つ。激が海軍と喧嘩を起こして相手の将校クラス数名を病院送りにし(ここまではよくあることなのでどうでもいいが)、その喧嘩の折に武器庫を壊してしまった。したがって、激と鉄男、他数名の零武隊隊員はそろって海軍に出張している。

 二つ。毒丸が手を出した女性が良家の子女で、しかも駆け落ちまで話がすすんでいた(ここまではまたよくあることなのでどうでもいい)。良家でも軍とは全く関係のないところならば毒丸を首にして熨斗をつけて渡しているところだが、相手は日明家と並ぶ名門の軍人の家で、中将クラスに親戚が数名いる家柄。本人よりもその将校たちが厄介で、ことの収拾に天馬を派遣した。

 三つ。丸木戸が怪しげな猫型ロボットをつくり、それが街中で暴れ逃げ出してしまった(これはどうでもよくない)。それを、マスコミが『真夜中の怪っ! 猫娘出現!? 』などと書き上げたため元帥府の耳に入り、零武隊の出動要請が出た。現在、そのロボットの探索に現在多くの隊員がとられている。

 四つ。三浦中将(軍内綱紀粛正担当)が零武隊の乱れっぷりに嫌味をいいにきた。ついでに宿題とばかりに厚さ五十センチの苦情ファイルを置いていった。

 五つ。蘭が、今まで厄介と思って隠していた書類の束をおいていた第十資料室の存在が見つかった。零武隊でも知らなかったそこが、なんと元帥府直属の秘書課にばれた。……言うまでもなく一番の大問題はこの五つめだ。

 現朗と天馬が出張から戻ってきて、その五つが同時に零武隊内部にふって湧いたのだから、たまったものではない。この瞬間の現朗の形相はのちのち語り草になったという。
 本来指令をだすべき大佐が秘書課に拘束されて動けず、代わりに一番信頼の厚い現朗が全ての指揮権を握った。彼はまず激、毒丸、天馬の三人には個別の指令を出し、丸木戸の尻拭いに特別部隊を編成、そして、大佐を逃げ出さないよう監禁場所を用意した。秘書課を説得して彼女の拘束を解き、直ちに部屋に放り込んで仕事を始めさせた。秘書課としては文句がいい足りないようではあったが事態は一刻を争う。彼は上官の仕事を手伝いながら指揮をこまめに出し、一週間まともに眠れない日々を送っていた。