・・・  花火大会5  ・・・ 


 花火も終わると、本格的な食事が出てきた。
 真弓はその間静かにしていたが、いつの間にか毒丸に凭れ掛かってうつらうつらしている。
「じゃあ明日は、浅草にしよう。あそこは面白い。
 ……疲れた、か。
 ……朝までいるから。寝ていいよ」
青年の声に安心して、こくんと頷くや否や眠ってしまった。酒はほとんど飲んでいない、というより、二杯だけだ。顔を真っ赤にして小さな寝息を立てている。

 ……あーあ。さてと。
 約束もついたわけだし。恋人なんだし。
 こんな状況って、やっぱり誘っているわけだし。
 いい、よな。うん。

抱き上げて、隣の部屋に連れて行く。布団が敷いてある。女将の手際のよさには少し感動と感謝を覚えた。
「ん……」
布団に横たわらせると、くるり、と丸くなろうとする。それを上から押しかかって、押さえつけた。唇で、口、頬、首筋とさわっていくと、反応が少しずつ返ってくるようだ。
 前から手を回して、帯の後ろに触って緩める。
 帯を少し引くと、衣擦れの音がいやらしく響いた。
 腹の締め付けが緩まると自然に着物は肌蹴て、胸郭が見えそうで見えない状態になる。普段はさらしで止められているそこは、予想以上の膨らみがある。右手を襟元から進入させて全身をまさぐる。さらに左手を、腹部を露にしようと伸ばした。

 どがしっ

「き・さ・まぁぁぁっ。いいっ加減に死にたいようだなっ!」
毒丸は体が宙に浮かぶ浮遊感を覚えた。酒で熟れた体は気持ちよいとすら感じた。―――が、すぐにそれは痛みに変わる。
 音を立てて襖に着地。壁だったらもっと痛かっただろうが、十円以上する高価な緩衝材のおかげでなんとかすぐにでも動けそうだ。
 その間に蘭は立ち上がって、着物を帯で適当にとめなおす。
「現朗っ。激っ。
 貴様ら何故止めぬっ!
 酒で酔わせていきなりやるっつうのは、どーみても犯罪だろうがっ!」
「こんないーところで大佐……」
がくん、と心と体が一気に萎える毒丸。
 呼ばれた二人はあわてて屋根と窓から入ってきた。一応警護のつもりだったのだろう。
「大佐っ」
「ご無事でっ!」
「……お前先ほどの状況を無視して、その口で無事とかいうか?」
相当きているのか、いちいち言葉にくってかかるし、目もいっている。
 激の腰の業物を奪うと、それを抜きつつ、倒れている毒丸に向き直った。
「さて。
 この落とし前は何でつけようか? 耳か? 鼻か? ……くくく、もっといらぬものがあるなぁ。股座に」
耳元に柄を持ってくる八双の構えで、ゆっくりと追い詰める。青年は股間を押さえて真っ青だ。逃げ場ない上に、これは本気の表情だ。
「ひぃぃっ。
 ちょ、ちょっと激ちゃん、現朗ちゃん助けてよっ。俺大佐のためを思って必死に恋人役買ってでたんだよっ!
 ひどくねー? ひーどーくーねーっ」
「あ、あの。実は、大佐に御霊がつきまして。恋慕の情を発散させるべく……」
「自分の欲望を発散させようとしていた奴に言い訳があるかぁぁぁぁっ!
 …………。
 ……私にも一応、危機感というのがあるのだぞ。
 なんで一番厄介な毒丸に任せた」
へ? と二人は顔を見合わせる。
 あー、と、なんともいえない表情で毒丸はぽりぽりと頬をかいた。
「……弱いから話にならんだろうと、無視していたが。人の寝首を掻っ切るとはいい根性をしている」
「大佐。知ってたんですか。…………冗談にしたのにナァ」
「目がちっとも笑ってないのに、都合のよい冗談だ」
吐き捨てるようにぼやく彼女と、青年の間に、何かがあったのは明白だったが何があったのかは想像もつかない。
 とにかくこの場をこれ以上荒立てるわけにもいかなくて、現朗と激は必死で大佐を止めた後、料亭に謝り倒して襖代と料金を支払って出て行った。毒丸は自分のツケにしようとしたが、瞬間、彼女のすさまじい殺気にあってやめにした。
 ……死にたくないなぁ。
 と泣きたい気持ちを堪えて。
 …………あそこ切られるのもやだなぁ。
 と、想像するだけで痛みが走るそこの未来を心配して。
 とぼとぼ歩く罪人を引き連れた一行は軍人の独身寮に戻ってきたのである。


 *****

 勿論毒丸は大佐の成敗の対象にあって、壮絶な量の任務を命じられて朝六時から飛び回った。一番嫌いなデスクワークだ。彼の仕事が終わるのが早くても一週間、その間に何をしてやろうか色色考えることにした。
 今の気分のままでいったら、本気で去勢してやりたいのだ。
 無節操で手の早い、たらしで女泣かせのこのガキを。
 あの御霊は十四だ。それを恋人ごっこにかこつけて手を出そうというのは女的には言語道断の所業である。
 確かに恋人ではあったし、それを本気などといったのだが、彼女はその言葉と接吻だけで十分なのであって、それ以上は求めていない。だから帰ってしまったのだ。

 男はああいう言葉全部が前戯だというに……。あの娘は……。

 毒丸といたときの記憶は、断片で体に残っている。自分がいったと思うと気が遠くなりそうになるが、それ以上に少女の身を案じた。 菊理とどこかにている少女。男は狼だ、という使い古した警句を何故知らないのだろうか。毒丸は真剣な表情でいっていたが、蘭の目から見ればどうせ半分も覚えてないだろう。体を繋げる行為のためならどんな手も使う。それが、女性には存在しない、ある種の本能だ。
 毒丸が、こうやって初心な女性を食い物にしているらしい、という話は実は一つ二つではない。いくつか蘭の耳に届くほどいざこざが起きていた。丸木戸は複数又かけているだけで相手が商売女や熟練の女性だからいいものの、彼の場合犯罪になりかねない歳の子供にも手を出す。

 ……やはり成敗しておくか。

 八俣と相談の上零にしてしまおう、と物騒なことを考えながら久々に歩く軍の廊下を早足でつっきった。
 その、堂々と歩く足音を聞いた瞬間。

 がらっ。

 零武隊の休憩室の扉が勢いよく開かれて、隊員が次々に蘭の周りを取り囲む。八時五十二分、丁度、部下たちが出仕する時間だった。彼らはまじまじと蘭の様子を伺って何も言わない。
「なんだ。何かあるならはっきり言え」
と、いつもの通り命令口調。
 その言葉に、みるみるうちに隊員たちの顔の造形が崩れ―――。
 わぁっと声を上げる。
 抱きあい、泣き合い、歓声をあげて雀躍し、喜びを分かち合う。この場には言葉なんか必要ない。そんなもの、必要ない。この日をずっと待っていたのだ。待ちわびていたのだ。
「せーの」
と、誰かが掛け声をかけると。
『万歳、万歳、ばんざーい』
いきなり万歳三唱。
 丸木戸にいたってはこの数日間で体重が半分に落ちていた。それがはらはら涙をこぼして縋り付いてくると、正直気持ちが悪い。蘭は、足を半歩、心は百歩分くらい引きながら、なんとか冷静なふりを保っていた。
「大佐ぁぁよかったよぉぉぉ」
「自殺考えたぜ。このまま一生ああだったら」
「親父が女になっちゃった、て気分だった」
「わかるわかる」
「なんかもー世界が丸ごと信じられなくなったよぉぉ。
 人間不信どころか引き篭もりになりそうだったぜ」
普段無表情の鉄男までもが僅かに笑っている。
 日明 蘭は女ではない。男、というわけでもない。そんなものを超越した存在だ。だから、触れてはいけない。手を出してはいけない。それには触れてはならぬ。ただ崇めていろ。恐れ崇め奉れ。
 ―――という、刷り込み教育。
 なかなか上手くいくものだな、とあきれつつも彼女は感心した。やりはじめたときは半分冗談だったが、隊員の間で自分が猥談のネタになっていないなどを勘案すると案外すごい効果があるのかもしれない。

 だが、毒丸だけがどうしても初めから上手くいかなかった。

 時折彼の目の中に見える、雄の光。隊員の誰もが想像もしない彼女の軍服の下を思い浮かべているのは、薄々わかった。
 ……厄介な。まあ、力がないから恐ろしくはないにせよ。
 彼の財布に入っていた自分の写真を見つけたとき、あわてながら彼がそれを取り返したとき、思ったのはそれだけだ。
 昔に思いをめぐらせて佇んでいると、いつになく晴れやかな表情の現朗が書類の束を手に真横に立っていた。
「大佐がもっと長い間戻れないかと思っておりましたので、零武隊が死力を尽くして仕事は全部終わらせました。
 目黒橋の一件も元帥府に書類報告いたしましたし、四之宮様のところの愚痴も全部聞いておきました。一応事後報告という形をとらせてもらいますが、判だけでよいかと。
 あとここ数日間、不祥事は一切起きておりません」
二口目には仕事をしろ、サボるな遊ぶな押し付けるな―――という言葉が出る現朗が、珍しく自分から全ての仕事をかぶって片付けてしまった。 正直、やることがない。
「そうか。では手稽古を始めよう。
 さっさと着替えて、皆、道場に来い」
『はーい』
ここまで喜ばれるとは思っていなくて。
 その日はいつになく優しい大佐の恫喝が響いた。