・・・  花火大会1  ・・・ 


 帝月は、一本の糸を垂らして目を眇めた。
 陸軍特秘機関零武隊の研究室には、帝月、瑠璃男、そして日明蘭の三人がいた。つい数分前までは他にも二人ほどいたのだが、丸木戸があまりに口うるさかったので蘭が窓から蹴りだしてしまい、天馬がその救助に出て行ってしまったのである。
 濃紺の着物の裾からぬっと出る生ッ白い少年の腕。一見女性と見まごう美少年だが、性格にかなり問題があり、ここまでつれてくるのも一苦労だった。それでももはやこの世にはカミヨミが出来るのは彼だけである以上、頭を下げてでも助力を請わなければならならない。ヨミとは、黄泉の言葉を読みとき、誤って蘇った冥府のものを黄泉帰らせるための人智を超えた術。本来巫女が多いが、帝月は男のヨミ師だ。
 ヨミに入っている間は、ヨミ師は外界とは遮断された状態になる。
 冥府のものとの駆け引きに彼が負けたらすぐに救出できるよう、二人は緊張して見守っていた。
 だが、何事もなく。
「……たいした御霊じゃないな」
ヨミは終わった。
 帝月は糸を体に戻しながらぼそりと呟いた。蘭は終わるや否や質問する。
「どういう奴だ?」
「それより。この遺品は何だ? それから説明しろ」
軍人の眉間にしわが二本刻まれる。
 こういう手合いが一番蘭は嫌いだ。思い通りにならず、高慢で、秘密主義。質問に質問で返し常に自分を優先する。そして、そのどれもが実のところ彼女にもそのまま当てはまるのだが、むべなるかな、本人のみ気づいていない。
 不機嫌さを隠さないで忌々しそうに舌打ちした。
「橋の下に落ちていた髪飾りだ。
 ……目黒川の目黒橋、聞いたことはないか?」
「へえ。最近幽霊騒ぎがもちあがってる、あそこですかい。
 なんでもえろう別嬪な幽霊が、橋のところでじっとこちらを見ているとか。声をかけるとふいっと消えてしまう」
瑠璃男も帝月もその話は聞いていた。
 三流新聞で話題になって以来、そこには酷い人集りが出来て交通渋滞になっているらしい。幽霊ネタをその新聞が載せることは珍しくはなかったが、ここまで話題になった原因は五人の目撃者のせいだ。普通幽霊の目撃者など名乗り出たりはしないし、顔を新聞にだしたりはしない。そんな迷信は信じないというほうがこの明治の世では常識的な大衆の意見だ。
 ところが。
 その五人は堂々と新聞に名乗りをあげた。
 自分はみた、間違いない。とても美しい娘だった。
 といって自分らの顔まで掲載させたのである。その勇気ある行動のおかげで、幽霊の信憑性がぐっとあがった。
「あんなものを天下の零武隊が調べはるん? 阿呆らしいわ」
瑠璃男が正直な気持ちを述べると、さらに彼女の眉間にしわが一本増える。
「阿呆らしいとは思うが、この遺品とも関係していたぞ。
 ここにいるのは、恋を夢見る少女の御霊だ。古来より恋愛の力は強い。少女だが、その恋慕の情のためにかなりの強さを持ってしまったらしい。本人も、何故御霊の状態でいられるのかよくわかっていない。
 しかし彼女なら、夜ならば条件さえよければ普通の者でも見えてしまうだろう。彼女が恋心を覚えるようないい面構えの男にはな」
ちらり、といいながら帝月は簪の上を見つめた。
 彼にしか見えないのだが、そこには美しい少女が不安そうな表情でちょこんと立っている。
 括ってしまえば実体化し、蘭や瑠璃男にも見えるのだが、今回はそれをやめた。彼女は力はあるものの悪意も害意もない。それに自分の糸で括ると冥府のものはおぞましい姿になってしまう。
 この少女の年齢は、自分に近かった。つまり、喪った妹にも近かった。
「普通の寺でもよいから簪の供養をすれば、自然に浄土にいける。
 まあ、これだけの強さだ。少しのあいだは幽霊騒ぎが続くな」
「括って冥府に返さないのか?」
「……その必要はない。
 家人が供養してやればすむ」
少年は頑固に言い切った。
 蘭も、正直なところ下らない事件だと思っていた。
 帝都で幽霊騒ぎが連日話題になっているのは外聞が悪いと元帥府から直々に零武隊へ要請があったため、断るわけにはいかなかった。しかも、軍が出動したことを記者にばれてはならぬとの厳命付で。とかく行動が派手な彼女にとって、こういう任務は一番苦手だ。
 こういうのこそ食えないオカマの警官にやらせればよいと思ったのだが、彼は犯罪者にしか興味が沸かない以上こんなものの調査には一切協力しないだろう。
 仕方なく、隊員を普段着に着替えさせて、こそこそと昼と夜に調査を行った。大人数行くとばれる可能性があるので、持ち割りで五人ずつ。捜索が二週間目に入った昨日になってようやく、天馬がこの簪を見つけたのである。
「わかった。
 御霊から、名前か家のことは聞けないだろうか? 家人に連絡をつけるが」
蘭に言われると、少年は少し困った顔をした。
「覚えていないそうだ。少し混乱しているようだが、相当強い力を持っている。じき思い出せるだろうとは思うが、今は手がないな。
 ……よければ、僕が聞き出してもよいか? 少し話していればきっと落ち着くし、思い出せると思う」
やれやれ、といった表情で白い軍人は簪を持ち上げた。なんで覚えてないのだ、名前くらい、と毒づきながら。
 何度もひっくり返しながら観察をする。よい細工で、彫り師の銘も彫ってある。もしかしたらこれを伝って探し出すことも可能かもしれない。だがそれには手間も時間もかかる。ここ最近の事件の連続で隊員に有給が増加している。無理やりでも消費させないと、彼らの体が持たない。
 まあ、ともかくあの橋から幽霊がいなくなれば、これ以上目撃談がなくなればすぐに噂なんて消えるのだし。別に、最後まで零武隊で処理してやる必要はないか。
 心の中で算段がついた。
「よかろう。この簪はお前に任せる。
 最近特に仕事があるわけでもない。第六事務室とその隣の寝室を空けよう。一日でも一週間でも、好きなだけいて話をきいてやれ。近円寺には私から言っておく。
 ただ、新たに事件があったときに備えて、力を使い切ったりはするな」
蘭は簪を少年に渡すと、大事そうにそれを両手で受け取った。
 ようやくヨミがおわって使用人は嬉しそうな顔をしている。
「坊ちゃん行きましょなー」
外の廊下で、ちょうど戻ってきた天馬と丸木戸の二人と鉢合わせして、帝月は天馬を持っていってしまう。丸木戸一人、研究室に戻ってきた。
 丸木戸に怪我はない。が、なかなか表現しにくい顔をしている。
 ここまで戻ってくるのに随分かかったものだ。
「た〜い〜さぁ〜。
 いきなり突きおとすこたぁないでしょっ。そりゃあの窓からはよく落とされますからね。慣れてないとはいいませんよ、慣れてないとはっ!
 でも構成物質がたんぱく質と傲慢なあなたとは違って僕は全然鍛えられてないんですっ。怖いんですっ。死ぬかと思ったじゃないですかっ。それに下みました? 今植木の替え中ですよ。植木のっ。屋根の端につかんでなんとか落ちなかったけど。ここ二階なんですからっ……」
「ヨミは終わった。あとは簪の所有者を探せば、目黒川の一件は片付くだろう。
 二時間後に出かける用意をしておけ。四時、正門前だ。四之宮殿が貴様と私を直々に呼び出した。現朗、激と毒丸が護衛につく」
愚痴を一切きかずにねじ伏せるように命令されるのは慣れていて、とりたてて不快には思わなかった。眼鏡をかけなおしながら聞き返す。
「へ? またあの狐のところに?」
四之宮とは二日前にも会ったばかりだ。
「何か不満があるそうだ。
 ……私は寝る。誰も入れるな」
「うわぁ。堂々とした職務放棄もあるもんですねぇー」
白刃を抜くと、軽口な男は珍しく無言で部屋から出て行く。
 漸く静かになって大きく伸びをすると、蘭は帯から刀を外した。椅子に深く座って、刀を胸に抱えるようにして横たわる。
 足を伸ばして机の端にかけた。体の緊張を抜き、目を閉じる。
 職務放棄だろうとなんだろうと、ここ数日川の探索のせいで昼夜が完全に逆転している。今の時間、一番睡魔が襲ってくるのだ。昨日から今日の睡眠時間は二時間以下だ。
 目を閉じれば、傍らにたたずんていた闇が直ぐに襲ってきた。