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夜店のたち並ぶ賑やかな参道を二人して歩く。人の群れは、彼らと同じ方向に流れていた。 四日前に買い物、動物園を一昨日、サーカスを昨日みて、今夜は前からの約束どおり花火大会に来ていた。四日間つきっきりのデートのおかげで二人の距離はひどく縮まった。毒丸に対して自然に見せる笑みに、彼をこれ以上ないくらいの幸せを感じていた。 ―――でも。戻らないって事は満足してないわけで。 ……満足すると帰っちゃうんだよね。 このなんとも矛盾した状況を、どう変えればいいのだろう。帰って欲しくはない、心からそう思う。だが、もっと喜んでほしい。彼女にもこの幸せが伝わるくらいに喜んで欲しいのに。 つらつらと考え込む毒丸を不安に思い、真弓は少し距離をとって歩いていた。距離をとらなくても、この人ごみだ。真横に並んで歩くなどできそうにはない。 餅や酒を購う夜店に混じって、定番ながら、金魚すくいの店があった。 「よぉ姉ちゃん。思い出にどう?」 真弓は思わず足が止まってしまい、それを隠すように早めようとする。しかし、毒丸は足を止めた。躊躇う彼女をよそに、どんどんとその店に行った。 「へぇー。一回いくら?」 「一人5厘だな」 「二人やったらいくらか負けてよ」 ポケットに突っ込みながら顔を前に出して店主をからかってみるが、店主は断固として譲ろうとしない。毒丸は振り返って、手を振って近く寄るようにいった。 「別嬪さんだね。兄ちゃん」 お世辞か本気かわからない口調で、店番が言う。思わず彼女は赤面してうつむいてしまった。その様子、一つ一つが可愛らしい。 「まーね。……ほれ。どれがいい? この金魚なんてカッコいいんじゃない?」 「そ、その。御気遣いなく」 「好きな金魚いってくれよ。 おじちゃん。今から閉店っつうのはなしだぜ?」 大口たたく毒丸に笑いながら店主は杯と道具を手渡す。 真弓はそろそろと手を伸ばし、一番小さい、赤い和金を指差した。よーし、と腕まくりをして杯に水を入れる。目が、鋭くなった。波の一つ一つ、動作の癖の一つ一つまで見切る、完全な戦闘態勢。 手は、波と同じ速度で静かに水面に着水した。 「……ほお」 店主から驚きのため息が漏れる。 かくして十五分後、金魚屋の周りには人集りができていた。 「なに? どーしたの」 「いや。なんか今三十五匹目らしいぜ。あの男」 「すっげー」 囁かれる声と浴びる注目。唐突な見世物に、人の流れが止まるくらいの様子になってしまう。遠巻きにみるその数はざっと三十は超えている。さすがにこの騒ぎは警官もほうっておけなかった。 「ほーらほら。そこ溜まらないっ。歩きづらいわよ。 何? 金魚屋? 店主ぅ、こういう人集りは作らないように列を作れって指示があった……」 人を掻き分けて入ってきた警官姿の男は、唐突に立ち止まって、真弓を認めるとぱちくりと目を瞬かせる。 彼女は今日は藍色の着物を着て、髪を結ってあげていた。毒丸が毎日結い師をよんでくれる。薄化粧を施し、頬をピンク色に染めて眉毛を少し整えていた。襟元の黒が首筋の白を際だたして可憐さを誘っている。 「……あんた……」 「八俣さんのせいで三十七匹じゃん! 集中してたのにっ」 毒丸が猛烈に抗議すると、はっとなって、それから金魚屋へ振り返った。 引きつった笑いを浮かべる店主は、警官を一瞥すると頭を下げた。十杯になった金魚を全部つめるのはさすがに気が引けて、毒丸は初めの一匹だけをいれるように注文した。 人の流れは戻り、金魚掬いには新たな客がどっと押し寄せる。 警官は真弓の元に戻ってきて、まじまじと見下ろしていた。 ……無粋。 と、少し思ったが、おそらく彼は、この身の女性と知り合いなのだろう。 初めての日以来、彼女の知り合いにはあってなかった。昼は毒丸に連れられて外にいき、夜になると天馬という少年の家に戻って三人で夕飯を過ごした。なかなかの大きな家だ。朝飯が済むと毒丸の到着と入れ替わりに天馬は軍へいってしまう。 恋人役の青年は彼女が容貌や格好に興味があるのを察して、毎日新しい着物や化粧品を持ってきて、其れを着けて外に出て行った。そんな数日が続いていた。 「毒丸。何、これ?」 「え。俺の彼女っすよ。可愛ぃ? 綺麗?」 「……いや。笑えない」 微妙な返答にむっと不快げな顔をつくった。その返答に真弓は心を決めた。 この方は、『彼』の敵なのですね―――。 「毒丸様。行きましょう」 するりと暖かい手が、毒丸の右手を包んで引かれる。それは普段蘭がするような強烈な、強制的な力ではなく、相手の気持ちを慮りながら遠慮がちにする自己主張のようなものだ。 行こう。と、彼女からの主張。 青年にその主張を逆らえるわけもなく。 「今忙しいーすから。 じゃ」 毒丸は八俣を置いて人の波に消えていった。 ***** 二人がたどり着いたのは、木造五階建ての有名な、そして由緒正しい料亭だった。驚く彼女の手を引きながら店に入ると、なじみの客なのだろう、何人もの女中が彼に挨拶をする。一番最上の部屋に辿り着くと、隅田川は勿論夜景が眼前に迫って思わず声をあげてしまった。女将が挨拶をしにきて、それを普段の口調とは打って変わった丁寧な敬語でそつなく青年はかわした。 酒が出た頃に、花火も始まった。 どん、という音。ぱらぱら、という音。人のざわめく声。それが迫って聞こえて、真弓は言葉にならずじっと外を見続けた。真剣な彼女のまなざしを横で見つめつつ、酒を一人酌む。お酌をすることは、まだ知らないらしい。 静かに立って、灯りを消した。 暗闇になると花火はもっと近くなった、ように真弓には思えた。 「毒丸様、は、幾人の女性とお付き合いしたことがありますの?」 「ああ。惚れっぽいからね。振られるけど。 でも長くもった人もいたよ」 どん。 「……ここにもその方たちをお連れになったのでございましょうか」 ぱらぱら。 「それは、妬いているととっていーい?」 悪戯顔で、横を向く。 「妬く? 妬く、のですか?」 「そ。妬いているなら。俺、君に惚れていいかい。 恋人ごっこなんて……正直、やってらんねえよ。こっちは本気さ」 まだ、数日です。 ―――惚れた心につらい言葉を言うな。 思い過ごしです。 ―――想いをもって過ごしたぜ? それを今更錯覚といえるか。 貴方は、この身の方が、好きなだけです。 「あははは。大佐ぁ? そんなわけねえよ。 体に戻れたら会って御覧。絶対わかるっての」 ぐっと彼女は身を寄せる。毒丸の息もかかりそうなところに、真摯な表情があった。両手を床につき、そして、唇を動かす。 「では。 体に戻ったときも、会いに来てよろしいのですか?」 真弓の言葉は驚かされた。そんな、当たり前じゃないか。誰に惚れたと思っているのだ、この少女は。 「俺、探しにいくつもりだったけど」 花火が鳴り響く。 真弓は静かに身を離した。その身を、青年が追う。 ざわめき聞こえる中で、男の唇から、初めて酒の味を教えてもらった。 |
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