・・・  吹雪4  ・・・ 


 大佐が一人で帰ってくるのをみて、山小屋付近で待っていた隊員はすぐにかけよった。何も言わずに橇を取る。蘭はすたすたと山小屋に一人歩いていった。
 丸木戸は、中で準備をしていた。四時間が過ぎたときから、彼はこの小屋の中で手術ができるように全てを整えていたのだ。扉を開けると、消毒液の匂いが鼻をつく。目の前に手術台が六台並んでいた。即席ながらも上手いものをつくっている。
「四人負傷者がでた。
 凍傷が酷い。無線でなんとか今日中に汽車を用意できるよう連絡しろ」
いい終わると同時に、隊員も山小屋に着く。
 一番酷い炎から運び込まれた。右半身が凍り、腕も折れている。
「まずは全員ここに運んで並べて。急いで下さい、時間の勝負なんですから」
炎を診ながら、丸木戸は二人に命令をとばす。
 蘭もとりあえず激と毒丸を寝台まで運ぶ。そして、一人外に出て行った。武器を積んである橇から、必要な武器を探す。火炎放射器、そして大砲。それから巨大太刀。菊理が霊的に施してくれた術のお陰でずいぶん効きはいいが、一振りすると相当疲れる。これは、最後にしか使えない。
 武器を持って山小屋に戻ると、そこは戦場だった。丸木戸は炎を診断しつつ指示をだしている。隊員のほうは、現朗にかかりきりだ。ちらり、と横を見ると蘭と目が合った。
 その目が、驚愕で留まる。
「冗談じゃないっ。……あなた……」
はき捨てるように、丸木戸が言う。
「……私はまだ仕事が残っている。
 ここを頼んだぞ」
「六人がかりで駄目だったのに、なんで一人で行こうなんてするんですかっ。
 血が頭にのぼってんなら、いつもの薬で沈めてくださいっ。
 自殺行為っすよっ!」
ため息をつきながら、蘭が腰にあった鞘を壁にかける。刀はなかった。
 軍帽を脱ぎ、山小屋の一端にかける。長い髪が、乱れることなく落ちた。彼女の本気の表れだ。
「丸木戸くん。
 先ほど、鈴木一等兵が二階級特進した」
「それがっ」
「奴は腹をすかせている。奴の食いたいのは、凍っていない食材だけだ。血のにおいには敏感なくせに、凍った仮死状態の相手には気づくことができなかった。
 だから、鈴木一等兵……と、その名は正しくはないか。まあ、とにかく、彼の血を流した遺骸を喰っている。したがって先ほどの場所からはさして移動していないし、今もなお食べている可能性が高い。
 この四人が対処法を教えてくれた。急所は間違いなく腹だ。頭も、足も効かなかったのはわかっている。
 今しかない。
 ―――これでも、頭に血が上っているというつもりか?」
くすり。
 と、この状況で、不釣合いの笑みをこぼす。
 上っているでしょう。めちゃめちゃ。
 丸木戸は口を噤んだ。どうせ、いっても聞きはしない。なぜなら、頭に血が上っているからだ。
 彼女は右肩に火炎放射器と大砲を担ぎ、左肩に大太刀をぶら下げる。そして、ためらいなく扉をあけると、吹雪は恐ろしいうなり声をあげる中へ一人歩いていってしまった。


 *****

 案の定、奴はまだ『食事中』だった。これだけの巨体でありながら食事が遅いのは、口の部分が腐って牙がほとんどなく、つっこむこともまともにできないからだろう。報告書では幾人か食べられた形跡があったという一文があったが、結局食べられないのだ。
 そして空腹のまま、吹雪が去ると同時に帰っていく。
 おそらく、冥府へ。そして吹雪が来るたびに腹をすかせてこちらへ来る。
 吹雪は熾烈さを増していた。だが、はっきり彼女には相手が見えていた。流れる髪は凍る。凍っても、なお強い風にあおられて揺らめく。
「腹が空いたか。
 ……仕方ない。もう、腹いっぱいにしてやろう」
言うが早いか、彼女は重さ十キロを超える火炎放射器を投げつけた。まるで紙くずのように弧を描いて中空を飛んだそれは、重力に促されるまま予定通りの着地点に落ちていく。
 大砲に火をつけ、焦点は定めていた。
 大砲の弾丸は、まさに丁度火炎放射器の着地点にたどり着いて放射器のタンクごと打ち壊した。コンマ単位のずれを許されない見事な芸当だ。
 予想通りの大爆発。飛び散るガソリンに引火して、雪の上までも燃える。
 あたりが真昼のように明るくなる。
 爆風にさからって、彼女は駆け出していた。握る両手にあるのは、大太刀。炎が眼前にまで迫って、太刀を一閃させる。

 壮絶な声。

 溶けていく死体に、幾度も幾度も彼女は切りつける。
 「……っく」
疲労で雪に膝をつけるころ、それは死体に戻っていた。
 吹雪はすっかりやんでいる。予想通り、腹の中には奇妙な黒い球体がある。球体の周辺だけ妙に肉が新鮮だ。それ以外の部分は恐ろしいにおいをはなっているというのに。それが、核になっていたのだろう。
「むっ」
それを大太刀で二分する。じゅぅわじゅぅわ、と気持ちの悪い音がして、ぱきんと割れた。
 手に持ち上げて、それから袋にしまう。封印の袋の口を折りたたみ、そして専用の紐でぐるぐるに巻きつけた。特に変わった様子がないことをしっかり確認して、それから屍から歩み出た。
 全てが済んだ、と思った途端に、眩暈が襲ってきた。がくりと膝をついて前のめりに倒れる。雪の柔らかさと冷たさが思った以上に心地がいい。
 吹雪のない、その、静謐な光景。この闇が、何より好きだ。何も見えなくなる。
 ……まずい、な。
 冷たい雪を顔に感じながら、反省が去来した。最後の数回振ったのは無駄だったろう。血が滾っていた。確かに丸木戸の言うとおり、冷静さを欠いていた。
 眠くなってしまいそうな自分を叱咤すると、まず起き上がり、大砲をそこに捨て大太刀だけひきずって旗のところに戻った。
 その後自力で山小屋につけたのは、奇跡だろう。まったく帰り道の様子は覚えていないが、気づいたときには戸口に手をかけていた。
 手術でせわしない二人を見ながら、少し悪いと思いつつ横になった。一眠りしたら、二人と治療の手伝いをしようと思ったが、次に目を覚ました時にはすでに全員の応急処置は終わっていた。
「汽車は明日三時に出発するとのこと。
 今いきなり吹雪がとまったでしょ。もしかしたらもっと早く来られるかもしれないとの連絡がありましたよ」
眠い目をこする蘭に、丸木戸がぽんぽんと報告する。ほら、といって精力増強剤を温めたものを差し出した。
 蘭はごくごくと飲み干す。
「……まずい」
 と正直な感想を述べて。
「これからでしょ。今回のソレを狙って邪霊がたかるんだから。帝都に帰るまで、しっかり頑張って下さいよ」
すっくと立ち、軍帽を取り戻す。
 頭にきりりとはめれば、いつもの自分が戻ってくるようだ。
「地元の陸軍に連絡しろ。明日二十人ほど借り受けて、ここの片づけを行う。三時に出るとかいうその汽車に乗せてこい」
「今からご命令ですかい。今一時ですヨ。無理無理、寝てますって。いくら天下の軍とはいっても」
「……この時のために、陸軍にはすでに、ここ一週間は夜も待機し出撃できるようにしておけといっておいた」
「そりゃすごい」
丸木戸は早速無線を操って、それから蘭に手渡した。