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酷寒と激痛の中で、死を覚悟したことがある。 痛い。痛い。眠い。もう会えない。起きれない。痛い。死ぬ。俺は死ぬ。いやだ。痛い。帰りたい。痛い。痛い。帰りたい。 だからその時の言葉は効いた。胸の奥まで響いた。 「無駄に死んだ者はいない。 …………私が、無駄になどさせはしない。 だから、待っていろ。そこで待っていろ」 何を待つのだろう、何処で待つのだろう、というようなそんな疑問は一つも思わなくて。ただひたすらに安堵を覚えた。 有難う、有難うと心で繰り返した。何故だか。 その澄み切った命令は、死の恐怖を、一瞬で恍惚なものに変えたのだ。 何故そんなにも気持ちがよくなったのか後で色々考えてみたが、どんな結論もそれは少し違うような気がした。どうしてもあの感情だけは言葉にできない。 とにかくあの言葉は胸に効いた。 それだけだ。 「うちの地方は雪男だったなぁー。現朗ちゃんは?」 「……毒丸。ボタンはしめなさい」 激と毒丸とが話している最中、突然彼は横にいた現朗に話を振ってきた。 「いいじゃん。人いないしー」 「激。おまえもだ」 「まーまー。固いこといいっこなしでしょ」 「……というか。この状態で寒くは無いのか? もう零下はきっているぞ」 『雪国出身だもん』 二人の返事がハモって、一瞬向き合い、大笑いをする。 深夜の駅、周囲はごぉごぉと唸りを上げて吹雪いていた。風にもてあそばれた雪が入り込んで、屋根があるはずなのに駅舎の中にもかなりの量が積もっている。朝三時に到着したので、誰もいない。それは都合がよかった。民間人がいないほうが作業ははかどる。 真っ暗な構内にぽつぽつと明かりがともり、明かりの周囲だけぼんやりと雪の様子が浮かび上がっていた。風は今のところかなり強い。だが、それでもこの風は朝にはやんでるだろうな、と毒丸は思った。ここらの風の変化はなんとなくわかる。地元とよく似ているのだ。 今回の零武隊の任務は、珍しく少人数での行動だった。総勢八名。出撃場所が一月の新潟の山村というだけに、蘭が雪国出身だけ中心に選んだためである。丸木戸と現朗、炎だけは出身は違ったが、雪山の任務は何度か経験している。 雪は死をもたらす。 それを身にしみて判っている者でなければ危っかしくて連れて行くことはできない。 「でさでさ。現朗ちゃんの家のほうはどうだった? 雪男の話あった?それとも雪女だった?」 「雪男なんか聞いたことねーよな? いい女ならいいけど、いい男がきても全然うれしくねえぜ」 「違ぇーよー。雪男は、こう、けむくじゃらのでかい野郎なんだよ。 鉄男みてーな」 両手いっぱい振りながその大きさを表現しようと必死だ。雪女しか知らない激は、なんだよそれ、といいながらポケットに手を突っ込んだままの姿勢で笑っている。むすっとした口調で、現朗はさすがにその言葉をたしなめた。 「鉄男はお前よりもずっと先輩にあたる。敬称くらいつけろ」 「えー」 横から水を差されると、ぶうと頬を膨らませて青年はむくれる。 毒丸は今年零武隊に入隊した新兵だったが、態度は古参兵のそれよりもでかい。ミニ激、というかなんというか。二人を相手をしていると疲れが倍たまるような気がする。 現朗のうんざりとする顔をみつめて、一瞬、彼の悪戯心が疼いた。 こんなこといったら、どう反応するかな、現朗ちゃん。そう考えるだけで口に笑みが浮かぶ。 「……俺。自分より弱い相手にそーゆーことできなーい」 現朗の青筋が立った。敏感に友人の怒りを察知した激は、あわてて毒丸の裾を二三度引く。だが、青年はあえて無視した。 「じゃあ。俺たちは敬称に呼ぶにふさわしくない、と?」 「現朗ちゃんにはちゃんって言ってるじゃん。 俺なりの敬称だからね」 「おいおい。仕事前に揉め事は止めとけよ。 な? 現朗」 彼では話にならないと悟った激は、なだめる矛先を変える。しかし、友人のほうも、この零下の夜よりも冷たい目で睨みつけていた。その殺気、人を好戦的にさせるよくない力を持っている。 「……身の程をわきまえんか」 うめき声のようなその言葉に、毒丸は鋭く反応し目が細くなった。 一触即発。 激がなんとかしようと現朗に必死で呼びかける声もむなしい。今のところ武器に触ってないが、それも時間の問題。 ひときわ大きく風が啼いた。 「いやはや。皆さん元気ですねー」 のんきな声が緊迫した空気を割って入ってきた。 邪魔な、と殺気を隠さず振り返った三人に――― 『むぐっ』 この空気を打ち破るすさまじい破壊力を持った光景が、飛込んできた。 ―――えーっと。変質者……? 否。変質者なんて可愛いレベルではない。相手がわかっていなければ間違いなく刀を抜いて零にしている。 コートを二枚以上羽織って、胴体をベルトで止める。ベルトの部分がひどくくびれて、胸と尻の部分が大きく盛り上がり、ひょうたんか雪だるまのようだ。 手には手袋、足は長靴(ワンタッチかんじきボタン付)。胴体部分だけ見ればさほど変質者めいているというわけではないが、問題は顔だ。 顔には、いつもの眼鏡の代わりにゴーグルがある。頬や口をすっぽりおおう目だし帽の上に、さらに生地の厚い帽子。この格好で声がくぐもっていないのは、目だし帽の口元につけられた変な機械のおかげなのだろう。そして、その変な機械が口元にあるだけで異様さは百倍以上に跳ね上がる。 ぶっちゃけ、気持ちが悪い。 ぶっ、と、思わず毒丸が噴出した。他の二人は鍛えられた腹筋を駆使してなんとか耐えた。 「ぎゃははは。ナニソレ。丸木戸教授、おかしー」 さっと教授に敬礼した現朗と激は、毒丸の反応に窘める視線を儀礼的に送る。 「ふっふっふ。 なにを言っているのですか。このくっそ寒い中、命令でしぶしぶきた以上完全防備ですよ」 「この前よりグレードがあがりましたね」 軽蔑とも尊敬ともとれない口調で言われたが、丸木戸はそれを好意的に解釈した。(短い)腕を振り、恍惚めいた表情で(見えないが)朗々と語りだす。 「ええ。もう改良にまた改良を加えましたからね。 この前は話すのと聞くのに苦労したせいで大佐に帽子をとりあげられたので、今回はちゃーんとこういう拡声器と集音器をつけておきました。あとこの服。防水はもちろん、ダウンを50パーセントも増量しちゃったんですよ。おかげで今月は塩酸の一本も買えない痛い出費でしたが、背に腹はかえられませんからね。そーそー。凍傷にもならないように手袋の中に蓬の葉っぱをたしたんですが、これはちょっと効果がわからないですねー。なんてったて、零下五度になっても全然寒くありませんし。うふふふ」 「……燃費は悪いがな」 ぼす。 とくぐもった音がして丸木戸が前のめりに倒れる。 コートが動きをして手をつくことができなかったが、雪があったのでなんとか無事だった。 「痛ぁぁぁっ! な、な、なにするんですかぁっ。大佐ぁ。 拡声器口にあるからめちゃめちゃ痛いじゃないですかっ」 「安定性にも欠ける」 しれっと彼女は言いながら、三人を見つめた。 丸木戸を後ろからけり倒し、なおかつ今踏みつけている。彼女は、直視したくないのだ。笑ってしまうから。笑いを堪えるのに実はかなり必死だ。 三人はそれなりのコートを羽織って手袋も帽子もきちんとつけていたが、蘭はいつものコートにいつもの白手をつけているだけだった。帽子も軍帽だ。 「休憩が終わったならさっさと汽車にもどれ。 もう全員戻っているぞ」 「も、申し訳ございません」 いわれて三人はさっと青ざめ、すたこらさっさと止めてあった汽車に乗り込む。 三人が見えなくなったところで足をどかし、そして、丸木戸を引き上げた。コートのせいで一人では起き上がれないのだ。腕も足も短すぎて。 「……くぅ。か、改良の余地あり、ってところですね」 「その不屈の精神は脱帽するが……。 頼むからもうちょっと顔はましにしてくれ」 上官は珍しく真摯な口調でお願いした。 |
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