・・・  いじめ1  ・・・ 


 硝子戸の中には、埃をかぶった薬瓶が順序よく並べられていた。
 ラベルにはどれも同じ人物で書かれた丁寧な文字が並んでいる。薬品名と購入日付、さらには良くわからない記号と値段まで書かれていた。ラベルは変色していたが、汚れているものはひとつもない。それだけで彼の几帳面な性格がうかがえた。
「薬品が面白いですか? 大佐」
「……勝手に失礼したぞ。丸木戸教授」
蘭が振り返ると、そこには、眼鏡をかけた男が立っていた。
 にやついた食えない顔つきにやつれた頬肉、そして、シャツの上からでもわかる華奢な体格。好意的にいえば学者然というべきだろうが、むしろ犯罪者的といってしまった方が的確だ。
 一方、零武隊を率いる若き女武将、日明 蘭は対照的だった。骨太の肉体に無駄なく筋肉がついており、白い軍服にはしわ一つない。真一文字に結ばれた口元には、意志の強さが伺える。
 彼女はしばらく何も言わず睨めつけた。丸木戸の中で、言われるだろう用件を探すがこれといったものが思いつかない。最近は零武隊に特別な事件もなく、だから自分も研究に精を出していたはずだ。
 蘭の冷たい目はいつものことだが、その瞳の奥に誘うような色が浮かんでいる。
(……なるほど)
その素晴らしい意思を悟って、自然と彼も口が引きつった。
「仕事じゃないんですね」
「まあ……な。
 研究をしているということは、時間はあるのだろう?」
「本業は教授なんですけどねぇ……。
 まあ、時間はありますよ。それに疲れもたまっているので、気分転換もしたいですし。
 ……でも、結婚したくせに、いいんすか?」
むっと蘭が嫌そうな表情をする。
 家庭のことを持ち出されるのはあまり好きではない。
 新婚ともなればなおさらだ。
「どいつもこいつもつまらん事ばかり言う」
「へえ。誰です? つまらない事をおっしゃったのは」
「現朗だ。
 二言目には日明の名前を出して、まったく……面白くない」
あごに手を当てながら、金髪の青年の顔を思い浮かべた。零武隊には珍しくまともで礼儀正しい男だが、確かに、無茶が基本の蘭には最大の天敵だろう。
 他の隊員、特に炎や爆は突拍子もないことばかりするが、無茶の度合いは彼女のほうが二枚も三枚も上手だ。こういう常識のないタイプのほうが彼女は扱いやすい。
「でもねぇ、大佐。
 こういっちゃあれですが現朗をハメるのは厄介ですよ。隙がないですからね。それに冗談じゃ済ませちゃくれないでしょう」
「ああいう人間はムキになって怒り狂いそうだな。おそらく。
 口封じに脅迫材料でもとっておけばよくないか?」
「過小評価はやめましょう。
 んなことをしたら、間違いなく僕らがやられますよ。
 しかも今は大佐には最大の弱点がありますから、迂闊なことはしないほうがいいんじゃないですかァ〜」
けたけたと笑い声を上げる横で、蘭に眉間にしわが三本刻まれる。
「……ならば、貴様に話すことはない」
言いながら踵を返した。彼女は揶揄されるのが大嫌いなのだ。
「おおっと。ちょっと待った。
 軽い冗談のところで帰らないで下さいよ。
 大佐に覚悟がおありなら、私がお手伝いしないわけないでしょ。単に、標的は現朗を直に狙わないほうがいいんじゃないか、ってことですよ」
「ほう?」
怒り半分、興味半分、といったところか。
 顔だけ振り向きながら、信用していない固い口調で返答した。
「つまり。
 標的は、現朗の友人……激、でしたっけ? 彼イキがいいからねぇ〜」
丸木戸は言いながら机の上の瓶を持ち上げた。何の変哲のない薬瓶だ。
 HCL、濃塩酸とラベルから読める。
「こういう依頼が案外多いんで、まあ遊び心と小遣い稼ぎにやってるんですが。
 かわいく言ってみれば惚れ薬ってやつですよ」
「惚れ薬? ……そんなもの作れるのか」
彼女の声からかなり興味を持ったのが判る。丸木戸はそれを手渡した。
 軍人は瓶を顔の前まで持ち上げると、しげしげと見ながら中身を振る。思った以上に粘度がある液体で、瓶の中でゆったり動いた。
「はっはっはっ。知らないんですか?
 惚れ薬なんて単なる性欲刺激薬ですよ。勃てば惚れたってことですからね。
 ……まあそれはともかく。ずいぶん効き目はあるって評判ですし、いわゆる中毒性は極力排除しましたから」
蓋を開けて嗅いでみるが、匂いはしない。
 科学者たる彼が「ずいぶん効き目がある」といった以上、相当なものなのだろう。彼は表現には気を使うほうだ。
「確か激と現朗はよく一緒に行動してましたし、仲も良かったかと。
 エリート隊員に訪れた晴天の霹靂。
 軍内部は危険でいっぱい、とかどうでしょう?」
「……面白そうだな」
明るい、少し弾んだ声。話は決まった。
 瓶を机に戻して、蘭は軍帽を脱ぐ。
 真っ黒な長髪が乱れずに真っ直ぐに落ちた。その一瞬で、正義感の強い無表情な軍人面を脱ぎ捨てた。
 瞳は幼子のように爛々と輝き、隠せない笑いが口元まで漏れている。彼女が悪戯をするときに見せる独特の表情だ。丸木戸もつられて笑みを浮かべる。
 二人は近くの椅子に腰掛けると、紙を持ってきて詳細に計画を詰め始めた。