・・・  七花八裂九死一生を得る  4  ・・・ 


 女軍人の今までの行動から考えれば、八俣の問答無用の強制終了宣言は物笑いの種にするだろうと思えた。負けた負けたと、五歳児並に囃し立てるに違いないと嵐はこっそり思っていた。
 が。驚くべきことに。
 その発言に、ぴたりと蘭の笑い声が止まった。
 言い過ぎたことを詫びるため、ではない。
 彼女の纏う気配は攻撃的に変化する。一瞬呆けたように目を見開いていたが、直ぐに眇めて男を睨みつけた。
 一流の武人が放つ闘気に、嵐の全身から汗が噴出す。
 八俣も瞬時に気が静まる。闘争本能を刺激されたがために。
 突然訪れた静寂。
 息が詰まるような緊迫の空気。
 そんな沈黙を打ち破ったのは、蘭自身だった。

「……やめろ。嵐殿が穢れる」

「穢れるワケないでしょッ!?」
あまりの言葉に場の空気を無視して思わず八俣はツッコむ。ずるっと、再び嵐もこけかけたが、それは蘭の視界には入っていなかった。彼女は本気なのだ。
「じゃあ減る」
「減るかぁぁぁぁぁぁっ!」
がしがしと地団太を踏みつける八俣。
 対峙する女は、すらりと刀を抜いた。
 血を吸いすぎてその真剣は光りはしないものの、存在感がある。場に血生臭い空気が広がったのを八俣は肌で感じ取った。蘭は武人だが、殺人者により近い。そういう人間を嵐には近づけたくない。
「……あら。なんのつもり?」
声はいかにも楽しそうだが、目は少しも笑っていない。言いながら、目の端で武器の置いてある位置を確認する。
「正当防衛だ」
「警察に向かっていい度胸じゃない」
正当防衛。急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利または生命を守るために行う防御行為。その要件のいずれも満たしていないような、逆にぴたりとくるようにも思える。
 八俣の思いつきは突拍子も無い。急迫で不正な侵害だ。
 その思い付きに振り回される娘の名誉のためならば、オカマを斬ることに何の躊躇いがあろうか。
 下段に構えながら、一歩、踏み込む。
 逆に八雲は、一歩引く。
 女を睨みつけながら、手は滑らかに化粧台の上の漆塗りの小刀に向かった。
 小刀と長刀。長いものの方が有利なのは当たり前だ。だが、屋敷の中という地の利がこちらにはある。懐に飛び込んでしまえば、勝負は決まる。
 男の手が、勝利を確信して小刀を握り締める。
 同時に、蘭の刀が半月の軌道を描きながら八俣に襲いかかった。
 一刻程、嵐は静かに立っていた。
 口を真一文字に結びながら眺めて、二人がどうやら傷つけあうつもりはないらしいとようやく確信に至った。この二人は冗談と本気の境が正直よくわからない。もし本気ならば命を張ってでも止めようかと思っていたが、冗談ならばそのまま遊ばせておいたほうがいいのだろう。
 困った人だと思っていた日明大佐が、今は少しだけ頼もしく見える。
「……全く」
ぼそり。
 と、嵐は独り漏らす。
 偶々鍔ぜり合いをしていた二人にはそれは聞こえないが。

 あの着物を買ってくる度胸。
 そして、他人の家にもかかわらず刀を抜ける豪胆さ。
 とても常人には真似出来ない。
 割れ鍋に綴じ蓋というか、本当にお似合いの二人だと思う。
 こんな人々がこの帝都を守っているのだと思うと、頼もしくもあり不安でもあった。

 ただそれを口にすると、恐らく双方がそれなりにショックを受けてまた鬱陶しいことになりそうなので、心にとどめておくだけで口にはしなかった。大人はたまに繊細なことがあるなぁ、と娘は不思議に思ったがそれ以上深く考えなかった。
 嵐は隙を見計らって、昼食の用意のために部屋を出て行く。
 見られてない、と娘は思ったが。
 二人の武人はしっかりとそれを目撃していた。暫くして聞こえてくる、台所からのわずかな音。

「……どうやら、勝負はあったな。
 貴様の着物は嵐殿に受け入れてもらえなかったようだ」

 にやりと蘭が笑う。
 嵐が出て行き、そして食事を作り始めたということは。暗に、八俣の誘いを断ったということなのだ。蘭は清清しい表情で刀をしまった。怒り任せに柱に小刀を突き刺す男を尻目に、彼女は部屋を後にする。帽子を取りながら、蘭は敷居のところで振り返った。
「さて楽しい楽しいお仕事の時間だ。
 揉み消しを頼むぞ。
 ……どうせ午後は暇なのだろう?」
さらりと流れる髪の中から見える、悪戯っぽい笑み。
「……黙れ」

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 その夜。
 背を丸めて、買ったばかりの晴れ着を押入れの奥に仕舞い込む主の姿があったのを嵐は知らなかったのである。