・・・  試合に勝って勝負に大負け。 3  ・・・ 


 波がこちらに到着するよりも早く、誰もが動いていた。
 咄嗟の対応には慣れすぎていて、本人達すら無意識で動くこと自体に驚くくらいだ。戸口に近いものは直ぐに扉を開き、湯気を逃がして視界をよくする。他の者は音の震源へと向かう。
 わずか、三秒。
 ―――被害者と加害者の周りに、人々が集結していた。
 取り囲むように全員立ったまま、何をすべきかわからず硬直していた。異界の者の仕業とかそういうのだったらすぐにでも攻撃に転じられたのというのに。
「…………あー。
 すまん、説明の前に、立つのは止めてもらえるか?」
上官が命令ではなく頼むという形で言ってやると、全員慌てて湯に入る。白い濁り湯が幸いして、彼女の体は首から下はほとんど見えない。だが、水面からにょきっと現れた白い腕が頭にたんこぶをつくって伸びている毒丸の首をしっかりと持っていた。
「お、女湯と、繋がっていたのですか?」
いち早く事態を理解した真が口を開いた。
「そうらしい。男だけだと思って宿の者が敷居をはずしたのだろう」
いいながら毒丸を突き飛ばして鉄男の胸に送る。その手で無い髭をさわるような仕草をした。
「残念だな……」
隊長はまるで目の前でプリンが消えてしまったくらいに沈痛な表情を浮かべている。つられて周囲の部下たちも暗い顔をした。
 そうか、大佐は、女性なのだ。普段全く欠片も意識していなかったことを、今、改めて思い知る。互いに顔を見合して、彼女へかける言葉が思い浮かばない。その次に来る言葉は、誰もの予想を超えたものだった。

「折角、お前らが温泉を楽しみにしていたのにな」

『は?』
蘭の言葉の意味を理解した炎は、頬を引きつらせて尋ねた。
「……どういうおつもりだ、大佐?」
「どうもこうも。さっさと出て行け」
「時間交代制、ですよね?」
現朗が精一杯の理性を働かせて、笑顔を作って炎の疑問を引き継ぐ。
 が、彼女は心底不思議そうな顔を作る。
「それでも構わんが、どうせ今から入ったら二時になるぞ。折角だから長湯したいしな。朝の出発は五時だから、それには遅れるなよ」
一番に切れたのは、やはり激だった。
 勢いよく立ち上がって水面がうねる。蘭は彼の股間のブツを目の前に晒されて思い切り眉根を顰めた。
「いいっっっっ加減にしろよっ。
 なんでいつもいつも独り占めの方向にしか頭が働かねえんだよっ!
 子供じゃないんだから遠慮とか覚えろっ!」
「馬鹿者。子供のころは色々と遠慮した結果、遠慮は人生にとって不要だと思い知った結果がこれだ」
『嘘吐けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――っ』
全員のツッコミが、室内で反響する。
 その反応は非常に面白くなかったが、いちいち咎めるのも気が引けた。この誓いに纏わる昔話をすると、どうしても過去の失敗の数々が露呈することになる。
 それに、蘭はさっさとこの広い湯舟を独り占めしたかった。温泉宿に行ったことはあるが、いまだかつてこんな規模の湯舟を一人で使ったことはない。この美味しい機会を逃すのは忍びない。
 部下を叩き出そうかとも考えてみたが、それでは後で絶対に零武隊の隊員に密告されて、夫に倍返し以上の行為をされる。
 ならば、と考える。
「じゃあ、一勝負しないか?
 お前らの誰か一人が勝ったら今宵の湯はくれてやる」
彼女の提案に、全員の目の色が変わった。
 勝負と聞くと急に真剣になってしまうその好戦的な性分。
 反論はおそらく出ないと蘭は踏んだ。そして、その予想は正しかった。
「面白い」
炎が挑発的に言い返す。それは全員の心情を代弁していた。
「肩が腕の部分まで出たら失格で、最後まで残った輩が勝ちだ。
 わかりやすくて良いだろう?」
ざわめきが風呂場に広がる。勝負を知った男達が次々に浴槽に乗り込んできた。鉄男は伸びた毒丸をもってさっさとあがる。腕は鉄製だから、あまりこの湯はよくないのだ。
「長湯勝負ねー。
 そーいや現朗って案外すぐに出るよなー。お・ふ・ろ。
 今のうちに棄権した方がいいんじゃね?」
「……お前は湯上りはいつも倒れているな?」
「てめぇが倒すんだろがぁっっ!」
激や現朗が話す横では、真が真剣に炎の髪をいじくっている。
 次々に参戦者が現れて、浴槽が狭くなってきた。鮨詰め状態の湯船。いったんは外に出たはずの毒丸が戻ってくる。
「俺で最後ー。
 これで、棄権者以外、零武隊中の皆が入ったぜーっ」
どぼんっ!
 助走をつけて飛び込んで、水柱が上がる。
 それが開始の合図になった。