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三角形の平面をした不思議な屋上に、軍服を纏ったの数十人の男たちが銃を構えて地上を見下ろしていた。彼らの眼光は鋭く地上を這う。蟻一匹逃さない、隙間ない監視体制。 そんな張り詰めた空気の中で。 「おんせん、おんせん、おんせんせん♪ せんせん、おんせん、せんおんせん♪」 その全てを打ち壊しかねない陽気な歌声が流れていた。 三角形の一つの頂点の手摺の上に、すっくと仁王立ちをしている男がいる。重力に逆らった髪の毛が天にすっく立ちあがり、特徴的な垂れ目がきらきらと輝く。手摺はかなり高いし、そうでなくともそんなところへ立っていれば狙い撃ちされかねない危険な行為だ。 だが、激が一番乗りで屋上に来て、なんの躊躇もなくそこへ登り、『いい見晴らしだなぁー』と額に手を当てながら見回すと、全てが許されてしまった。激の隊は基本的にこの能天気な上官に異常に甘い。 その歌を聴きながら、隣の頂点にいる毒丸がけけけと笑い声を上げた。 「激ちゃんは今更無理だよねぇ。 だって誰がどう考えても末期だもん。 入っても治らないよー」 言われた鉄男は意味がわからず首を傾げる。と、同時に、反対側の頂点にいた現朗は、成る程、と少し誇らしげに相槌を打った。 「恋の病は治らないものだ。 仕方があるまい」 互いの声は小さいが、誰も会話しないので全員が聞き取れた。 ぶっ、と毒丸が噴出して、くるりと現朗のほうへ振り返る。 「あっはっはっはっは。 んなわけないじゃん。 激ちゃんの治らない病っていったら、馬鹿の方に決まってるじゃんねー」 ねーと同意を求められた周囲の同僚たちは、一気に顔が青ざめた。 毒丸は自分が面白いことを言ったと笑っていてその発言が何を齎すか全く理解できていない。毒丸というこの青年は仕出かした後で後悔するという典型的迷惑型人間なのだ。 「お前なんてことを……」 鉄男が注意しようと右足を一歩踏み出す。 数人も手を振り上げる。とりあえず笑うのを止めさせようと。 が、どの人間も毒丸に辿り着くよりも早く――― どす。 激と部下一同の目の前で、前触れも脈絡も何もなく、毒丸が吹っ飛んだ。 吹っ飛ばしたのは勿論、金髪の上官。二人の間には十数メートルほどの距離があったはずなのに、彼は一瞬でここまで跳躍して蹴り飛ばしたのである。 咄嗟のこととはいえ訓練された軍人。本能の域で軽く防御はしたが、それでも蹴りのほうが強い。綺麗な弧を書いて宙を飛んでいたが、地面に到達する直前、毒丸は痛みを堪え一回転して着地する。 ところが相手もそれは読んでいて、現朗はさらに腰から大振りのナイフを引き抜き駆けだしていた。 完全に止めを刺すつもりなのだろう、動きに躊躇というものが感じられない。相手も腰の鞭を取り外して構えた。 「蹴ったなぁぁあああ〜っ」 「永眠させてくれるわっ」 毒丸は右手大きく振って一直線に得物を走らせる。現朗の眼前に来るまでは直線的な動きだったが、突然蛇のようにうねりだした。うわぁぁと安全圏にいると思って安心しきっていた周囲の隊員たちが、蜘蛛の子を散らした様に逃げ出す。 だが、上官は速度を全く落とさず、ナイフを一振りするだけで先端の刃を叩き落した。 血走った眼で興奮した荒い息を吐く二人から立ち上るのは、本物の殺気。このまま十秒放置すれば確実にどちらかが負傷を負うだろう。 いくら遊び好きの零武隊とはいえ、仕事中にこんな私的戦闘が許されるはずがない。瞬間遅れたが、隊員たちは次々に二人へ襲い掛かった。 鞭の二撃目を繰り出そうとした毒丸の手を鉄男がつかんで持ち上げる。 一方現朗は、激が後ろから全身を抱きしめて止める。 人一人分のギリギリの隙間を残して、何とか最終事態を止めることができた。 「現朗ちゃんが、現朗ちゃんが悪いんだぁぁぁぁ。 蹴ったぁー、蹴ったぁぁぁぁー! 酷いやぁぁぁ―――」 毒丸は鉄男の胸にぎゅっと抱きかかえられたまま、えーんえーんと大声で泣く。鉄男以外が見れば嘘泣きもいいところだが、心根優しい大男はあやす様にその背を撫でて慰めている。それがあいつに憑かれる原因なんだよ、と鉄男に忠告した同僚は次の日毒丸にやられたという噂が実しやかに流れているので誰もつっこまないが。 泣き喚く青年の前で、現朗は狂犬のように金髪を振り乱しながら吼えたてていた。 「激が俺に惚れてないというのかっ! 愛されてないというのかぁぁぁっ! 貴様ぁ、その情報をどこで仕入れたぁぁ―――っ」 とてつもなく情けない発言を大声でかましている。がくっと、現朗の部下たちは思わず力が抜けて床に四つん這いになった。 どうして、どうして貴方は真面目と異常のギャップの差が激しいんですか。 声にならない悶々としたオーラが周囲の隊員たちにも伝わってきて、同情の視線が注がれる。どの部下にもそれなりに上官に対する悩みがあるのだ。 それはともかく、力で負けしそうな状態に激は冷や汗が垂れた。愛用の棒を使って全身で封じこめているというのに、恋人は両手両足もがきながら前進しようと信じられない力を発揮している。後ろへ引き戻そうとしているのに、それに全身全霊使っているのに、その場で踏み止まるのが精一杯なのだ。 「おいおい、現朗。 落ち着けよ。落ち着けってばっ! 今仕事中だろーがっ」 抱きかかえながら親友に叫ぶが、全然耳に入っていない。金髪の動きは収まらないどころかますますヒートアップして過激になる。あわわと黒髪は慌てて腰に体重を乗せて青年を引き戻す。 そんな一進一退を繰り返している馬鹿上官達の後ろで、部下が聞こえるような声で囁いていた。 「……やっぱ激さんが悪いよなー。どう考えても」 「現朗さんを追い詰めてさ……。どこまで迷惑かければ気がすむのやら」 「いい加減あしらい方ってのを覚えて欲しいぜ。 何年迷惑かければ気がすむのかよ」 「今日は寝かせないぞとか言えばすぐに尻尾振って大人しくなるのになー」 「なー」 寝かせない。 寝かせない? ―――ね、ね、ね、ね、寝かせないっ!!?? と、たった一言が激の耳の奥で何度も何度もエコーする。 そして、その意味を理解した瞬間、白服の顔が耳まで赤くなった。固まった所為で一メートル程現朗に引っ張られてしまい、再び二人の小競り合いが勃発する。が、眼前の些細な出来事は無視して、激は目を怒らせて振り返った。 「な、な、な、な、何いってんだ馬鹿ヤロぉぉっ! そんな言ってないで手伝いやがれっ!」 毒丸と現朗の小競り合いは手の長い現朗が一方的にやりたい放題だった。引っ張たり抓ったり、半泣きで仕返しようと振るう拳をよけてぼこぼこに殴る。 そんな虐めに一心不乱だった現朗の耳に、その恋人の一言は何故かはっきり聞こえた。さっきまでは全く聞こえなかったというのに。毒丸のぷにっと膨らんだほっぺをぐりぐりと引っ張っていた手がするりと落ちる。 「ほら、やはり激は俺とヤルのは嫌なんだ。 無理矢理俺がするから合わせているんだ。 どうせ激は優しいもんな…………」 「おいおい。お前も変なスイッチ入るなよ」 いきなり腕の中でぐったりし始めた現朗に激は慌てる。毒丸は現朗がぐったりしたのをこれ幸いに、さっきの仕返しをしようとしているが手が届かない。その後ろでは激と現朗の部下たちは自分の上官がいかに普段迷惑をかけているかを自慢しあっていた。 仕事中のハプニングは慣れているどころか、ハプニングがないと落ち着かないくらいに毒されている零武隊では、このような小競り合いはよくあることである。いやむしろ、大佐が乱入しなかった分、最も穏やかに処理されたというべきだ。 そんな和やかな空気が一言で破られる。 「不審な煙を発見っ。 東24度、距離八百メートル先」 突然、現朗の部下の一人が叫んだ。 途端に、全員が軍人の目に戻る。 激と鉄男は手を放し、現朗と毒丸は直ぐに持ち場へ向かい、煙を監視する人々は次々に新しい情報を伝える。 鋭い銃砲が響き、硝煙の香りが充満した。 |
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