・・・  成長期に於ける問題点  2  ・・・ 


 その部屋に二人の男女が入ってきた瞬間、帝月は高らかに宣言した。
「これはこれは見事な呪だな。
 面白い姿になっているではないか」
宣言した後、非常に面白そうに呵呵大笑。
 カミヨミがいる部屋、つまり、菊理の部屋に入ってまさかこの兄の方がいるとは思わなくて、蘭の眉間に一本深い皺が刻まれる。
 対峙する少年は相手の反応が小気味よくて、さらに笑うことができた。
 天馬も、菊理がいるとばかり思って入ってきたものだから吃驚して固まっていると、部屋の隅で気配を殺していた瑠璃男が近寄ってきた。
「ほへえ……これがお前の母ちゃんかい。めっちゃ男前やなぁ」
「菊理はいないのか?」
「姫さんは買い物に外に行きはったで。ちょうどすれ違いやな。
 はぁぁ……坊ちゃんよりは劣るが、ええ顔やないか。
 天馬、おまい残念だが父親似だったな。これだけ美男だったら、おかんに姫さんとられるぜ」
笑いながら揶揄されても、天馬は困った表情のまま言い返せない。
 実のところ、天馬自身も、昨夜から同じことを思っていたのだ。
 ―――似てない。
 似てないにも程があるくらいだ。共通点といえば引き締まった口元ぐらいで、すっきりとした顎も眼光の鋭い垂れ目もどれも似ていない。そして、何より。男性化した母親は天馬よりもずっと美形だったのだ。
 男の、しかも実子の自分ですらくらりときてしまいそうになる壮絶な色気。
 その横顔に見蕩れながら、もし菊理が『彼』を見たらどう思うだろうと考える。考えた途端二つの感情が覆いかぶさる、恐怖と嫉妬だ。菊理を信じたいが棄てられるかもしれないという恐怖があり、そしてあの美しい顔へ狂おしいほどの嫉妬を感じる。
 武人として非常に情けない、と自分の精神を叱咤した。
「解き方は?」
天馬と瑠璃男には一切気を払わず、蘭は帝月に問う。彼もカミヨミなのだ、別に菊理である絶対の必要はない。
「呪によく効くのは、どこの国でも相場は決まっている。
 愛する者の口づけだ」
きょとんとした目で、カミヨミの顔をまじまじと見つめた。あまりに簡単すぎて容易には信じられなかったのだ。
 口付けが解除条件。―――そういう話は聞いたことはある。御伽噺の一つとして。仮にも妖が死ぬ直前に放った呪が、そんな程度でなんとかなるとは思えない。
「そんなことで効くのか?」
蘭は、帝月が悪戯の可能性を考えた。
 質問に素直に答えるとは思っていないが、少しでも怪しい素振りがあれば菊理に聞けばいい。
「まあ、その程度ならな。
 お前に一々説明するのも馬鹿らしいが、日明家の人間はもともと呪には強い。その呪も一般人なら生死に関わりかねないものだったが、お前たちなら『他人』が『心を正してくれる』だけで十分治る」
説明に不審な点もないし、動作も問題はない。
 ―――四分六分。信じるには少し根拠が足りない。
 やはり菊理に会いにいこう、と考えた。
「それより強い呪はいくらお前とはいえ命に関わるから気をつけろ。お前はいなくなると、いろいろと厄介だからな」
あくまで高慢に彼は言い放っていたが、その目は本気の心配が伺えた。
 どうやら彼がこの部屋で待っていたのは、菊理に会わせない為だったらしい。妹に心配を掛けたくなかったのだ。
  「言われるまでもない」
聞きたい情報は全て聞き出したので、蘭は踵を返す。
 瑠璃男とじゃれながら、息子は部屋の隅で待機していた。
 とりあえずつれてきたが、どうやら役に立ちそうだ。
「天馬。
 目を瞑れ」
きびきびと命令される。こんな馬鹿げた呪、さっさと解くに限る。天馬もきちんとこちらの話を聞いていたらしく、反論も質問もしなかった。
「ちょっと待て、日明大佐……っ」
後ろから帝月がごねようとしていたが、無視だ。彼が天馬にご執心なのは良く知っている。接吻の一つや二つ減るものではないし、未亡人であるため息子以上に良い相手が居ないというのも事実なのだから。
 彼女の行動を予見した天馬は、目を瞑って顎を上げた。顔に手袋の手が触れたのが、感触でわかる。続いて、唇に生暖かい他人の体温が伝わった。
 相手が息を堪えているので、天馬もつられて呼吸をとめる。そのせいで心拍数はどんどんあがってしまう。そのせいで、二人揃って気配を察知する能力が落ちる。
 ―――障子が開く音は、二人にとって予想外だった。
 一斉に日明親子は目を開き、横を向き、同じことを思った。

 運命はどうしていつも皮肉なほうにばかり働くのだ!

 白い着物、白い肌、白い髪。世俗らしさを欠片も持ち合わせない深窓の少女が、そこに立っている。
 放心状態の菊理と、視線がかち合った。
 天馬は、男を付き離して菊理に近寄る。が、近づいたのと同じ距離だけ彼女は後退さる。
「……嫌ぁっ」
細く、小さな悲鳴。だが、断固とした固辞。少女の見せる全身の拒絶があまりにも辛くて、天馬も蘭もその場に硬直してしまう。
 その間に背を返すと、走り去ってしまった。
 小さな足音がフェードアウトして。
 それでも、目の前で繰り広げられた修羅場に、帝月も瑠璃男も思わず動けずにいた。ちなみに天馬は自我が崩壊しかけて壊れた笑いを浮かべている。
 いまだ男の姿をした蘭が、くるりと後ろを向いた。目が、怒りで真っ赤に燃えている―――ように見える。瑠璃男は本能的に蘭と帝月の間に割って入って、刀を抜く。だが、恐怖のために腰が思い切り引けている。
「貴様……っ。騙したなっ」
呪詛のような言葉が漏れた。
「馬鹿者っ。
 説明の途中だっ。日明家の者にかかった呪が『日明家の者』で解けるわけがないっ。肉親では無駄だと僕が忠告する前に、お前たちが先走った行動をするからだろうっ!」
だが、帝月は猛然と言い返す。
 なるほど、確かに記憶を辿れば、彼は蘭を止めようとしていた。今更そんなこと、とてもとても遅い話だったが。
「肉親以外で、愛する者だけだ。
 お前を愛し、そしておまえ自身が心から愛している者だ。
 心と心が完全に繋がらなければ呪は解けぬ。相手は男女問わんが、体を重ねる位の熱い接吻でなければ効果はない。
 ……わかるか、日明大佐?」
「何がっ!?」
結論を蘭が急かす。苛つきは最早限界を越えていた。殺気じみた気迫に押されながらも瑠璃男は刀を構えなおした。
 流石に帝月は、幼心ついたときから冥府のものと渡り合ってきただけあって物怖じしない。
「今、お前は、菊理を怒らせた。
 彼女の怒りがなくならない限り、お前はその姿のままだ」
怒りで過呼吸気味に息をつく男の後姿を、心配そうに天馬は見つめた。少年は、自分の危機はとりあえず放棄することにした。菊理に謝り倒して誤解を解けばいい、と。
 蘭は殴らんばかりの気を友人たちにぶつけている。特に瑠璃男は得物を構えているので、容赦しないだろう。この場を、なんとかしなければならない。
 それにはまず母親の気を宥めることが必要だ。
 とりあえず、とんとんと腕を叩いて彼女の注意を自分に向ける。なんだ、と尋問するような視線がぶつかったので、天馬はいつもの爽やかな笑みを浮かべた。

「母上、そんなに急かないで下さい。
 大丈夫ですよ。そのお姿でも大して困りません。保障します」

 ぶち。
 血管が切れることなんてありえないのに、精神のどこかが切れたような錯覚を覚える。目の前にある息子の爽快な笑顔は、喧嘩を売っているとしか思えない。もう少し冷静なら少年の思慮が浅い―――つまり、愚かな―――所為だと気づいただろうが。ただそれに気づいても同じ行動をとっただろう。
 覚えると同時に、蘭の右手は軽い握り拳をつくり、上半身を曲げながら思い切り肘を引いている。
 次の瞬間。
 突き出した右拳は天馬の鳩尾に決まって軽いその体を吹っ飛ばし―――。
 瑠璃男が恐怖で顔を強張らせ―――。
 ―――帝月は大きくため息をついたのだった。