頂き物
 ・・・  人形遊び 3  ・・・ 


 「教授め。こちらが仕事を多く頼んでいるからといって侮りおって……」
会議が終わってから再び部屋に戻ってくると、新たに実験の結果が机の上に置かれていた。どうやら予算の追加の申し出も含まれているらしい。
 書類を捲っているうちに、あの眼鏡のいやらしい顔が浮かんできて、むかむかと腹の中が煮えくり返ってきた。口も顔も考えも軽いくせに、なかなか深謀遠慮なところがあるので蘭とていきなり斬りつけることが出来ない。そのため殴る蹴るで我慢をしているのだが―――
 だが―――
 ……こちらにも我慢の限度というものがあるのだ。
 確かに落花生だけの弁当でも悪くはないと思って持ってきたのだが、ちょっと栄養偏るかな、とか、少し恥ずかしいかな、とか人並みの感情はある。だから蓋を閉じて隠したのだ。天馬がいないと弁当もろくに作れないということは、心のどこかでは人に知られたくないと思っている。
 そういうささやかな思いを踏みにじり茶化して笑いものにする、そんな人間性の欠片もない残虐な行為をして許されるべきだろうか。否。悪因悪果、天罰覿面、そういう人間こそ天罰を受けるべきである。
 ではどうやって絞めてやろう。
 ―――と考えて、思考が中断する。天罰を受けさせる手段がない(天罰は自然に行うから天罰なのであって彼女が行うのはそれは違うのだが、そういう思考は蘭に組み込まれていない)。蘭が教授に悪戯をしたら、ストライキは必死、むしろ今までの悪行の数々を零武隊中にばら撒かれる危険性がある。肝胆相照の二人はある種運命共同体なのだ。
 私とばれないようにするしかないわけだが……
 教授の力を借りず、蘭の力だけでそれが出来るだろうか。肉体派の彼女の作戦はどうも力押しが多く、ばれないことは不可能に近い。
 突然。
 快刀乱麻を断つがごとくのいい案が、浮かんだ。
 はっと蘭は机をあける。
 抽斗の中に入っているのは、昨日、菊理が見つけた例の藁人形。それをおそるおそる持ち上げた。
「……使えるかな、これ」
普段なら人形を信じる輩の気が知れないが、今は信じかけている自分がいる。
 藁人形でやったならば、完全犯罪だ。たとえあのエキセントリックを地でいく教授にだって気づかれまい。
 蘭はしばし眺めた後それを机に置き、床に這いつくばった。絨毯の上にならばかなりの量の髪の毛がある。そのうち短い黒い髪を三本拾った。
 人形に絡まっていた髪の毛と五寸釘を取り除き、代わりに三本を埋め込む。細かい作業は苦手だったが集中してやればなんとかできるものである。四苦八苦して髪の毛を結び付けて藁を戻した。そして、五寸釘を足の太もも部分に狙いを定める。
「えい」
案外、楽に刺さった。勿論藁だから当たり前の話だ。
 釘を抜き、別のところを差してみる。
 さく、さく。
 藁は釘を簡単に受け入れる。

 ……こんなので、本当に効くだろうか。

 流石にむなしくなったとき―――
「大佐ぁー」
「わぁぁぁ―――っ」
引き出しに慌ててソレをしまって顔を上げると、そこにはなんと例の眼鏡がつっ立っていた。早鐘のように打つ心臓を何とか無理矢理気合で押さえつけて、肘を机について手を組む。
「な、な、なんだ教授。ノックぐらいせんか」
「……めちゃめちゃ怪しい行動とっていたのには突っ込みませんが。
 先ほどのデータと申請読んでいただけましたか?」
「あ、ああ。
 予算は追加できて半分だな。なんとかやりくりしとけ」
「あー。やっぱり半分か……まあじゃあお願いしますね。完成間近ですから。
 …………と。
 僕の顔に何かついています?」
蘭があまりにまじまじ見てくるので、丸木戸は少し眉間に皺を寄せて尋ねた。
 尋ねられると大仰に驚いて、ぶるぶると首を振る。
 ―――珍しい反応だな。
 丸木戸は訝ったがそれ以上は考えなかった。
 上官はいつまで経っても下がれという命令をしないでまじまじと見ている。忙しなく指を擦り合わせていたかと思うと、
「そうだ……エエと、教授。最近、体調は悪くないか?」
妙に優しげな口調でこんな質問をしてきた。
「は?
 え、ええ。元気ですよ。いたって」
「そ、そうか。足とか腕とかに鋭い痛みが走ったりとか、しないか?」
「しません」
即座に否定する。
 蘭は肩を落として、そうか、と再び答えた。残念そうだった。

 待て。こいつの場合、研究中は集中しても気づかないということもあるのではないか?

 こっそり抽斗を開けて、手をもぐりこませる。
 最後の希望を託して、ぐっと人形を握りつぶしてみた。
 ……が。
 やはり、教授はなんともない。
「…………もう下がれ」
「はあ」
なんともいえない生返事を置いて、扉が閉まる。
 蘭は人形を荒々しく掴みだし、八つ当たりを込めてぎらりと睨んだ。人間相手ならば縮み上がって泣き出しかねないほどの眼光だが、人形はのらりくらりとしたまま。それが火に油を注ぐ。

 これでは、期待した私が馬鹿みたいではないかっ!

 持ち上げて、強肩をもって凄い速さで床に叩きつける。
「こいつめっ!」
ぼきっ。
 藁人形とは思えないいい音がしたと同時に―――

「ぐはぁぁ―――っ!」

窓の外から、悲鳴があがった。
 何事だと窓によってみると、外では野外演習が行われているはずだったのに、なにやら人だかりが出来ている。
 中心にいるのは―――
「……激と、真?」
悲鳴をあげている。救急班が駆けつけて必死に応急処置をしているようだ。
 ………………まさか。
 その瞬間全てを悟った蘭は、藁人形を丁寧に丁寧に持ち上げて、机の奥の奥に隠して封印したのである。